ハンセン病と精神疾患―日葡辞書より

土井, 忠生, 武 森田, 実 長南, and Jesuits. 日葡辞書 : 邦訳. 岩波書店, 1980.
 
日葡辞書で精神疾患について簡単に調べたことをメモ。日葡辞書は1603年に刊行された、イエズス会の布教のための、ポルトガル語を中心とした辞書。約3万2千語を掲載する非常に重要な資料。
 
「三病」 Sanbiŏ ( 以下、o の短音記号を省略)サンビョウ の項目が持つ疾病は、ライビョウ、クツチ、テンゴウの三つである。クツチ、テンゴウの二つは、現代語では聞き慣れない言葉だが、日葡辞書やほかの資料にも表れる言葉で、いずれも、精神疾患の意味を持つ。テンゴウは、おそらく癲狂の漢字をあてることができそうだと思う。「狂」は呉音で「ゴウ」と読むとのこと。クツチは、もともと「いびき」の意で、ある資料には、クツチは癲狂の意味で、俗にクツチというという記述がある。また、どちらにも癲癇の意味があるとも書かれている。だとすると、それを二つと数えて、ハンセン病と足して「三病」と数えるのは何かおかしいところがある。もともと三病というのは、治りにくい三つの病、そこから派生してハンセン病のこと、あるいは仏教上の概念など、複数の意味の系統があり、この部分の記述は、何がどうなっているのかよく分からないが、重要なポイントは、ハンセン病精神疾患を合わせて、「三病」というのだということが日葡辞書に記載されていることである。
 
「気違い」 Qichigai  これは、「気の変ること」という説明がある。ここの「気」というのは、一時的な気の流れというより、性質としての気質の意味であって、「はじめおとなしかった人が、凶暴に怒りっぽくなるなどして性質が変わること」という説明がある。
 
「乱心・みだれごころ」 Ranxin, midare gocoro  乱れ心、混乱した心、「乱心」には「文書語」という説明がある。
 
――テンゴウ
 
(「ごう」は「狂」の呉音)
 
(1)「てんかん(癲癇)」に同じ。
 
*日葡辞書〔1603〜04〕「Tengo (テンガウ)。すなわち、クツチ〈訳〉癲癇」
 
*かた言〔1650〕二「癲癇といふ病ひはおこり侍る時に、手かき、あがき侍る物なり。あづま人は、その癲癇をてんがうと云るとかや」
 
(2)「てんきょう(癲狂)(1)」に同じ。
 
*書言字考節用集〔1717〕五「顛狂 テンキョウ テンガウ」
 
 
――クツチ
 
(1)鼾(いびき)をいう。
 
*新撰字鏡〔898〜901頃〕「鼾 久豆知 又伊比支」
 
*字鏡集〔1245〕「吼 ウシノナクイヒキ ナク ホユ クツチ」
 
仮名草子・尤双紙〔1632〕上・一〇「うるさき物のしなじな〈略〉くつち」
 
(2)癲癇(てんかん)をいう。
 
太秦広隆寺牛祭々文「癲狂(クツチ)」
 
*蘇磨呼童子請問経平治元年点〔1159〕「癲癇(テンカン クツチ)」
 
*名語記〔1275〕八「病のくつち如何。答、鼾睡とかける歟。きゆたゆたゆしにの反はくつしとなる。くつしをくつちといへる歟の疑もあり」
 
*米沢本沙石集〔1283〕三・一「或る里に癲狂の病ある男子ありけり。此の病の癖として、火の辺(ほとり)、水の辺、人の多く集まれる中にして発(おこ)る、病なり。俗にはくつちと云ふ是也」
 
*日葡辞書〔1603〜04〕「Cutçuchiuo (クツチヲ)カク〈訳〉癲癇を病む」
 
方言
 
子どもの病気、百日ぜき。《くつち》長崎県西彼杵郡898
 
語源説
 
(1)クヅレオツル(頽落)義。また、鼾の音から〔大言海〕。
 
(2)クルヒクズレタル(狂壊)義〔日本語源=賀茂百樹〕。
 
辞書
 
字鏡・色葉・名義・和玉・文明・易林・日葡
 
――三病
 
(1)三つの難病。なおりにくい三つの病気。
 
御伽草子・岩屋(室町時代物語集所収)〔室町末〕「南無大明神、ねがはくは、たいのやにさむひゃうをつけてたび給へと、祈られけるこそ、おそろしけれ」
 
*日葡辞書〔1603〜04〕「Sanbio (サンビャウ)〈訳〉三つの病気。すなわち、ライビャウ、クツチ、テンガウ」
 
*書言字考節用集〔1717〕五「三病 サンビャウ 三悪疾」
 
*改正増補和英語林集成〔1886〕「Sambyo サンビャウ 三病」
 
(2)ハンセン病をいった語。
 
仮名草子・七人比丘尼〔1635〕中「或はゐざり、或は目見えず、或は顔の三病(さんビャウ)なるもあり、或はこもといふ物を胸にあて侍るあり」
 
浄瑠璃・心中涙の玉井〔1703頃〕「総じて父(てて)は三病(サンビャウ)やみ、然らば孫(そん)を継ぐなれば彼奴(あいつ)も軈(やが)て癩病が、しゃっ面から熟(う)んで来て蔔子(あけび)の様にならうもの」
 
*咄本・軽口都男〔1704〜11頃〕二「神なりといふからは、いわねどしれたさんびゃうの事よ、それにうたがいのない所、異名を雷神といへば、いよいよ癩病にきはまったといわれしはおかし」
 
(3)絵画の用筆上の三つの欠点。弱々しく平凡な板、丸みがない刻、すらすらとなめらかでない結の三つをいう。
 
(4)仏語。貪病、瞋病、痴病の三つをいう。
 
*北本涅槃経‐三九「有三種病。一者貪、二者瞋、三者痴。如是三病有三種薬。不浄観者能為貪薬。慈心観者能為瞋薬。観因縁智能為痴薬」
 
(5)仏語。謗大乗、五逆罪、一闡提の三つをいう。
 
教行信証〔1224〕三「世有三人、其病難治。一謗大乗、二五逆罪、三一闡提。如是三病世中極重、悉非声聞・縁覚・菩薩之所能治」
 
発音
 
 
 

ヒロポンーヒロポンがもたらしたもの

金原、種光. "気管支喘息患者に見られた妄覚妄想症候群." 精神神経学雑誌 60(1958), no. 12: 1248-51.
 
日本の戦争直後のヒロポン中毒の問題に関して、仕事をしてみようかなという漠然とした予感のようなものがある。この論文も書いているが、ヒロポンというのは、もともとは薬用であったものが、一挙に市場に放出されて、乱用された結果、中毒性になり精神疾患の症状が出るようになったものである。 この現象(そして他の国の類似の現象)は、これまで使ってきた薬が、中毒性になって精神疾患の症状を出すのではないかという危機感を医師や行政関係者に与えた。既存の薬の利用が医原的に生み出している精神疾患の問題が現れたことになる。これは調べていないことだが、現在でも、このような利用者の責任であると同時に、医原的であるような精神疾患は多いに違いない。この論文は、そのような大きな流れで書かれた論文である。
 
戦後覚醒剤が乱用し、その慢性中毒によって内因性精神病によく似たものが現れた。このヒロポン精神病を経験している間に、慢性の長期にわたる気管支喘息の患者に時々これと似た症状を示す症例があることを経験。これは、長期にわたって、エフェドリン、アドレナリンを運用している。エフェドリンは、これからベンゼドリンやヒロポン、ペルヴィティンが誘導されたものである。エフェドリンは中枢を興奮させる作用がある。そのため、バービツレート、モルヒネ、スコポラミン、ナルコレプシーの治療に用いられる。
 
エフェドリンの慢性投与によってどのような精神疾患が起きるか。
 
喘息が psycho-somatic な疾患として注目されている。感情の混乱が精神アレルゲンになる、精神因子でヒスタミンが遊離される。

コレラの下痢は男子の精液の匂い?+教えていただければ

"仏蘭西コレラ治方上申." 中外医事新報, no. 373 (1895): 1024-205.
 
安政コレラ流行の時には、諸外国からコレラの治療法についての助言があったが、これはフランスのラフラス船号の第三等医師、アンスリンによる処方。「三宅医学博士の家に蔵せられる」と説明されているので、東大教授の三宅秀(1848-1938) の家蔵の史料で、おそらく三宅秀の父の三宅艮斎(みやけ ごんさい 1817-1868)が入手したものだろう。艮斎は幕末に蘭学を学び、東大医学部の前身と言われるお玉が池種痘所の開設にも力を尽くした。フランスの医師からどうやって処方を得て、どのように解釈したのか、面白い史料だが、私にはそれを読み解く力と素養はない。
 
コレラの症状を示してある箇所があり、劇症であること、進行が急であることなどが記されており、そこで、コレラの下痢は男子の精液の匂いがするという記述がある。
 
電光病の名を命せし急劇症は次章に述る症を顕す。嘔吐泄瀉数回にして益甚しく益多し。飲液は少間にして忽ち帯黄白色の粘稠物も雑え下り、その後の瀉液に於ては全く米湯の如くにして男精の如き臭あり。これ血液中の「ヲトリース」及び「ラムフリース」を輸出し雑るなり。
 
話は、血液の中に「ヲトリース」と「ラムフリース」があり、それがコレラの下痢に混じって、それが男子の精液のような臭いがするということだろう。(もし、この段階で間違っていたら、教えてください) というと、ヲトリースとラムフリースというのはなんだろうという疑問になる。もとがフランス語だからなのか、それとも私の無知なのか、頭の中に手掛かりを作ることができない。もちろん自分で調べてみますが、正解やヒントを頂ければ。

病院の歴史ワークショップ(大阪大学)演題募集 2017年3月17日・18日 

演題募集

 

病院の歴史 / 歴史の中の病院 ― 学際的アプローチ

 

開催場所:大阪大学中之島センター

開催日程:2017年3月17日・18日

 

現代の世界において、<病院>は重要な医療機関となっている。病院は、ヘルスケアシステムの中核に存在し、出産と死亡が起きる場所になり、多様な医療職の人々が雇用されて労働し、最新の医学技術のイノヴェーションの場であり、それぞれの地域にとって重要な施設である。もともと、病院はキリスト教イスラム教に端を発してヨーロッパとその影響を受けた地域で発展したが、19世紀の末以降に根本的な性格の変容を遂げ、20世紀には世界各地で劇的な成長をしてきた。

 

病院は社会史、ジェンダー史、技術史、患者の歴史などの多様な領域において、歴史学者たちの関心の対象となってきた。しかし、これまでの病院の歴史の研究者たちは、それぞれの既存の領域の中にある意味で閉じ込められてきて、意見を交換する学際的な場を持たなかった。このワークショップは、このような状況を打開して、多様な領域の病院の歴史の研究者たちが意見を交換し、相互に刺激を与え、病院の歴史の学際的な発展を図ることを目標にする。主たる主題の事例を掲げると、以下のようなものになる。

 

  • 病院の建築と設計
  • 病院の経営史・経済史
  • 労働の場としての病院
  • 患者と病者による病院の利用
  • 病院に関する政策
  • 病院の国際比較

 

これ以外の主題も含めて、学際的な議論を通じて、新しい病院の歴史を日本と世界で開拓するワークショップを目指している。

 

このワークショップは英語で行われる。報告を希望する研究者は、英語で200-300語の要約と、100-150語程度の自己紹介の二つのファイルを作り、2016年12月20日までに、3人の組織者のいずれかに送ること。報告時間は20分程度+ディスカッションとなる。

 

 

組織者

ピエール=イヴ・ドンゼ(大阪大学) donze**econ.osaka-u.ac.jp

勝木祐仁(日本工業大学)ykatsuki**nit.ac.jp

鈴木晃仁(慶應義塾大学)akihitosuzuki2.0 ** gmail.com

(** はアットマーク @ )

CFP for History of Hospitals Workshop (17-18 March 2017)

Call for papers

  

History of Hospitals – Hospitals in History:

a multidisciplinary approach

 

Hospital is today a major medical institution throughout the world. It is at the same time the core of health care systems (where more and more people start and finish their life), a place of employment and work for doctors and health professionals, the location of the newest medical technology, and an important institution for local communities. Moreover, although hospitals are an old institution in Western Europe, their nature changed fundamentally since the end of the 19th century and they experienced a dramatic growth throughout the world during the twentieth century.

Hence, hospitals attracted historians for various disciplines, from social history to gender studies, through history of technology and history of patients. Yet, the “history of hospitals” is not an academic field in itself, rather cases studies tackled by scholars from established disciplines in social sciences, who have not often the opportunity to meet and exchange. Consequently, the objective of this workshop is to assemble scholars from diverse fields and to offer a platform for exchanging ideas and overcoming academic barriers. Among other research topics, contributions on the following subjects are welcome:

  • Architecture and design of hospitals
  • Business and economic history of hospitals
  • Hospitals as a place of work
  • The use of hospitals by patients and sick people
  • Hospital policies
  • International comparisons

Scholars interested to join the workshop must send a short abstract (200-300 words) and a short biography (100-150 words) to the three organizers until 20 December 2016.

 

Venue: Osaka University, 17 & 18 March 2017

 

Organizers:

Pierre-Yves Donzé (Osaka University), donze*econ.osaka-u.ac.jp

Yuji Katsuki (Nippon Institute of Technology), ykatsuki*nit.ac.jp

Akihito Suzuki (Keio University), akihitosuzuki2.0 * gmail.com

 

* represents @ for email address

新国立劇場『ルチア』公演(2017年3月)のお知らせ

女性の狂気を描いたオペラの白眉である『ルチア』の公演。2017年の3月に新国立劇場で。本当に恥ずかしい話ですが、舞台で観るのはこれが初めてです。時間の余裕があれば、少し学術的なことも調べてから観ようと思っています。

 

新国立劇場Webボックスオフィスからのお知らせ
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悲しみは「狂乱の場」で頂点に。引き裂かれた愛の悲劇

ドニゼッティ作曲によるベルカント・オペラの最高傑作『ルチア』を待望の新制作で上演します。
兄エンリーコに恋人エドガルドとの仲を引き裂かれたルチアの悲劇
ドラマのハイライトであり最大の聴きどころは、絶望のあまり狂気に陥ったルチアが歌う「狂乱の場」です。
今回はオリジナル通りのグラスハーモニカで演奏する予定です。
演出を手掛けるのはモンテカルロ歌劇場総監督のジャン=ルイ・グリンダ。
作品に忠実でありながら機知に富む演出で定評のあるグリンダが、ロマンティックで劇的な物語をどのように描き出すか注目です。

《アトレ会員先行発売》 アトレ会員は定価の10%OFF
【受付期間】2016年11月3日(木・祝)10:00~11月15日(火)23:59
【アトレ会員購入サイト】http://w.pia.jp/a/00089383/

新国立劇場WEBボックスオフィスゲスト会員先行発売》
【受付期間】2016年11月4日(金)10:00~11月6日(日)23:59
【ゲスト会員購入サイト】http://w.pia.jp/a/00089384/

【定価料金(税込)】
S席27,000円 A席21,600円 B席15,120円 C席8,640円 D席5,400円(座席選択可)
新国立劇場WEBボックスオフィスゲスト会員先行発売では、S・A・B席の受付をいたします。
C・D席をご希望の方は、11月19日(土)10:00からの一般発売をご利用ください。


【公演日程】2017年
3月14日(火)18:30 オペラパレス
3月18日(土)14:00 オペラパレス
3月20日(月・祝)14:00 オペラパレス
3月23日(木)14:00 オペラパレス
3月26日(日)14:00 オペラパレス

「ルチア」公演サイト(PC)
http://www.nntt.jac.go.jp/opera/performance/151224_007959.html

江戸時代の医師と階級

江戸時代の医師と階級制度について。士農工商の士と農工商の経界を跳び越すことができた数少ない職業の一つの医者であった。実際には医者はサービスや薬を提供して、それに対して報酬を得るサービス業・小売業であったが、商人とは異なるという強い意識を持っていた。浅田宗伯にお薬代はいくらかと尋ねたところ、玄関番が医者は商売ではないと𠮟りつけたというエピソードが残っている。それを語る水戸藩の侍医になった人物の長い論説が掲載され、医者は帯刀するべきであると主張している。
 
三田村鳶魚は江戸時代の医者を非常に贔屓にしている。近代医学のもと、医学が成長してステータスを上昇させていた時期だからだろう。またこれは『医文学』という、基本的には医者を対象として雑誌であったため、読者の顔色を窺った部分もあるのかもしれない。