『ワンダー・ウーマン』と20世紀中葉の女性運動と心理学

ウェルカム・コレクションの記事。20世紀中葉のコミックや映画などから非常に面白いイラストが使われている、必読水準の面白い記事。あと少し予習を入れて、一般教養の授業で使おうかとすら思っている。

 

『ワンダー・ウーマン』は1941年に連載が始まったアメリカのコミック。作者の筆名は チャールズ・モウルトン Charles Moulton で、実名は ウィリアム・モウルトン・マーステン William Moulton Marsten, 1893-1946  という。職業は心理学者で、学術的には、収縮期の血圧測定機を考えたことで有名である。これはウソ発見器に応用された。これは、彼の妻で心理学者であったエリザベス・ホロウェイ・マーステンが、興奮すると血が騒ぐというようなことを言ったことが出発点になっている。

作品の背景は社会と個人の二種類があり、マーステンが接した女性に関する社会運動と、マーステンの個人的な状況の双方が重要である。社会的には、マーステンは女性参政権の主張者のマーガレット・サンガーや、その他の女性運動者とも接触していた。その中で新しい女性たちが「力」を求めて、それに憧れていたことを理解していた。一方で、心理学的には、女性が従属 submission に喜びを見出すことも重要であった。そのため、マーステンの『ワンダー・ウーマン』は、力に満ちた女性であると同時に、鎖や首枷や縄などを用いた心理的な従属やマゾヒズムも重要な主題であった。

マーステンの家庭は、彼と親しい女性が二人住んでいたという特殊な形を取っていた。一人はもちろん妻のエリザベスだが、もう一人、タフト大学の心理学の教え子で助手でもあったオリーヴ・バーンである。バーンとマーステンは肉体関係を持ち、子供もいた。そのバーンと妻のエリザベスは、結局合意してマーステンとともに同居するようになった。マーステンの死後も、二人の女性は一緒に暮らしていた。ちなみに、バーンの外見はワンダー・ウーマンに似ており、ワンダー・ウーマンが付けている金属のブレスレットは、バーンがいつもつけていたブレスレットがモデルであるという。

 

 

next.wellcomecollection.org

無料のお茶・無料のコーヒー・無料の薬

ただのアイデアのメモ。史実は何もないです(笑)

土居珈琲が6月のコーヒー豆セットに同封してきた文章を読んでいて、アメリカではコーヒーが無料で提供されるサービス品であった自体があったことを知る。土居珈琲の文章では、これだとコーヒーは量を重視する消費財になり、一方わが社の製品は質を重視する職人が作った作品になるという流れになるのだけれども、そこは問題にしない。ここで大切なのは、コーヒーが無料で提供されるサービス品であったという部分である。

私はアメリカにあまり行ったことがないので、アメリカの無料のコーヒーという概念がよく分からないが、そういわれてみたら、日本のファミレスなどではコーヒーやウーロン茶などが飲み放題になっている。慶應日吉の教員食堂でも、コーヒーと紅茶は飲み放題になっている。ちなみに、どちらもあまり美味しくない。和風の食堂などでは、お茶が最初に無料で提供される。江戸時代でも、それと同じように、東海道の宿や甘味処などで最初にお茶を無料で提供されていた。

それなら、それと似たような形で提供されていた無料の薬はなかったのか。もしあったとしたら、あるいはなかったとしたら、昔の薬の性格について何かを教えてくれないか。コーヒーもお茶も、薬との境界があいまいなものであった。いや、薬とコーヒーの区別がああいまいだというべきなのだろうか。

 

「世界で一番幸せな人物」と、休み休み仕事をすること

ツイッター経由で探した記事。「なんで休みなく働いている人が偉いの?」というタイトルにつられて読んでみた。大切なことだから書いておく。

多くの学者は、「世界で一番幸せな人物」になったことが人生で数回ある。すべての時間を注ぎ込んで、渾身の力を込めて発表した独創的なペーパーが成功した時。何十倍かの競争の中で、他の誰でもなく、自分が常勤の教員として選ばれて採用されたとき。栄誉ある学術賞を受けたとき。私の先生は、そういうときの若い学者を「世界で一番幸せな人物」と呼んでいた。私自身にもそういう瞬間が何回かあった。私はそのことを誇りにしている。他の若い学者にそういう成功があったときには、心を込めて祝福する。

しかし、なんて危険な仕掛けなんだろう。これらの成功は、すぐに、形骸化して、空虚なものになり、人生そのものを雲散霧消させる黒い罠である。成功して高く評価されたため、仕事を頼まれる、栄誉なことだし、虚栄心が満足するから引き受ける。その結果、自分が処理できるよりはるかに多い仕事を引き受けて、人生が支離滅裂になる。そして、もっと致命的なことに、その学問が支離滅裂になっていく。

でも、世界で一番幸せな人物になろうとする努力を、否定できる学者は少ない。それを求める志向と、学問の水準を維持する志向の二つを両立させることが、水準が高い学問を確立して維持するための義務だと思う。だから、私は、休み休み仕事をするようにしている。この大切なことに気が付くのが、少し遅かったのかもしれないけれども。

 

 

 

news.careerconnection.jp

ハンセン病 熊本 菊池恵楓園

全国ハンセン病療養所入所者協議会. 復権への日月 : ハンセン病患者の闘いの記録. 光陽出版社, 2001.
国立療養所菊池恵楓園入所者自治会. 壁をこえて : 自治会八十年の軌跡. 国立療養所菊池恵楓園入所者自治会, 2006.
国立療養所菊池恵楓園. 百年の星霜 熊本におけるハンセン病の歴史.  国立療養所菊池恵楓園, 2010.
 
熊本のハンセン病療養院である菊池恵楓園で開催された日本ハンセン病学会に参加した。ペーパーを読むほかに、恵楓園の中をゆっくりと歩き回り、熊本の加藤清正の廟であった本妙寺という日蓮宗の寺を訪ね、学会参加記念にいただいた三冊の書物を眺めた。
 
恵楓園の空間は広々として緑が多く、どこにも深い人性の趣きがあった。東京ドーム12個分だそうで、周囲を歩いて一周すると1時間くらいはかかるかもしれない。かつては、ハンセン病に侵されると失明したり弱視になったため、農作業などに出た患者たちを音を用いて自分の居場所がわかるようにする仕組みを作る必要があった。昔は風で回る鐘があったが、現在では、盲導鈴(もうどうれい)という機械仕掛けのものがあり、そこから音楽が流れている。私が聞いた音楽は「みかんの花咲く丘」という1947年に発表された名曲だった。戦後に入院した患者たちにきっと人気がある歌だったのだろう。別の場所だと別の音楽が流れていて、それを聞き分けていくと、広い園内のどこにいるかが分かるとのこと。私は、一曲しか聞くことができなかったけれども。きっと、恵楓園を再訪する機会があるだろうから、その折に聞いてみよう。 
 
本妙寺も面白かった。加藤清正の廟であり、日蓮宗の大きな寺であった。江戸時代には身延久遠寺池上本門寺などの日蓮宗の寺にハンセン病者が集まったこともあり、また風評だが、清正がハンセン病にかかっているといううわさもあったからという。だいたい30名から150名の患者が集まっていたという。1940年に一掃されて、各地の療養所に送り込まれたという。ハンセン病部落の痕跡みたいなものは、私には見つけられなかった。清正が飼っていたサルが論語を読んで賢かったことを記念した石像があったので、感心してロウソクをお供えした。「頭をなであげろ」と書いてあると思い、「なであげる」というのも少し不思議な日本語だと思いながら、頭を上の方になであげてあげたところ、実は「頭をなでてあげろ」と書いてあったとのこと。そんなに大きな間違いではない(笑)
 
いただいた三冊の本は、いずれも生き生きとした情報が多かった。 『百年の星霜』の末尾の野上先生の言葉を引用しておく。
 
ハンセン病はもはや、不可解な病気とはいえない。科学的に解明されつつある一疾患である。苦難多き時代を入所者と共に園を支えてきた先輩諸氏をはじめ、皆にこのことを知らせたい思いをこめて、この百周年記念誌の編集に携わった。長年この病に苦しめられた人々にも、はっきりとそう伝え、治っているのだから安心して余生を送ってくださいと言い、未だに偏見の呪縛から逃れられない人々にも、誠意をもってすれば、きっと心に届くと信じて、真実を伝える努力を続けたいと思う。」
 
 
 

『日米会話手帳』を読んでみました

朝日新聞社. 『日米会話手帳』はなぜ売れたか. 朝日文庫. 朝日新聞社, 1995.
 
昭和20年に売り出して、3か月で300万部を売りきった、幻と伝説のベストセラーの『日米会話手帳』についての本を買った。多少の回想録と思い出などがついているが、やはり目当ては、原文36頁の写真版である。アイデアの原型になったものとして英語の本が参照されているが、実際は、大東亜共栄圏で売り出していた会話マニュアルで、日本ー中国もの、日本―タイものなども参考にされているという。英語に訳したのは、東大の院生で西洋古代史の研究者であった板倉勝正という学者だったとのこと。
 
書物としては、店、道、駅での会話を想定した場面が非常に多い。店でちょっと買い物をして、道で行き先を聞いて、必要であれば電車か汽車に乗るときの場面でどんな会話が必要かという設定である。ちなみに、アメリカ人が行きたがる場所の一つが Gay-quarters で、これは「慰安所」と訳されている。gay という単語は色々な意味があるし、今から70年前のアメリカ英語とかイギリス英語とか実際難しいが、これは念のため辞書を引いてみて、花街の意味があることを確認した。アメリカ人が gay quarter に行きたがったのか、大東亜共栄圏の日本人が慰安所に行きたかったのか、そこは調べてみないと分からないけど。  

EASTS 最新号の記事

EASTSの最新号 である vol.11(2017), no.2. の実物が送られてきました。大道寺慶子さんが主著者である論文が掲載されています。1939年から41年にかけて中国の蘇州に新設された病院の歴史の研究。日本の医学、それも漢方医学が、帝国日本の医療的な先端として、中国の古い医学である中国医学と対決し共存しながら、中国と大東亜共栄圏の近代化を担っていくありさまが描かれています。ぜひお読みください! 

 

書評欄では、尾崎耕司先生の書評が掲載されています。Hoi-eun Kim 先生の、ドイツに留学した日本の医師たちの集合的な研究である Doctors of Empire です。ぜひお読みください。 

 

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