ジャコメッティ展のカタログ

www.tate.org.uk

 

いま、ロンドンの Tate Modern で開催中のジャコメッティ展のカタログが送られてきたから、土曜の朝に読んだ。昨日の二つの仕事で、春学期の仕事がだいたい終わり、少しみずみずしい時間を持つことができた。

ジャコメッティの彫像は記憶に残る。内面や感情や存在など、とにかく余分なものをすべてこそぎ落したかのような線状の彫像は、話しかければ答えてくれそうな何かを持っている。しかし、そのような作品は後期のものであり、戦前にはシュールレアリスムの作品など、興味深いものをたくさん発表している。16世紀のデューラーの『メレンコリア I』の多面体を写し取ったようなオブジェや、幾何学的な立体で表現された男女の性交、「不愉快な物体」と名付けられた男性器のオブジェ(先頭部には梅毒の腫瘍のようなものがある)など、どれもとても面白かった。

著明な彫像を作っていた時期の作品でも、人物が枠に捉われていて、Cage (檻)というタイトルがつけられた彫像や描画も複数あって、新鮮な視角だった。晩年の描画で、矢内原伊作を描いたものがあり、パリに対談にきたとのこと。矢内原伊作矢内原忠雄の長男で、実存主義などの哲学の研究者であった。対話自身は『ジャコメッティとの対話』としてみすず書房から刊行されている。カタログには、ジャコメッティが認めて、妻のアネッテと短期間ロマンティックな関係を結んだという面白い情報も書いてあった。

精神療法の国際史プロジェクト

historiesofpsychotherapy.net

 

ロンドン大学 UCL の Sonu Shamdasani 先生が主催する精神療法の国際史のプロジェクト。イギリス、ヨーロッパ、北米、中南米、日本などの、さまざまな地域の精神療法の歴史を理解するプロジェクトです。通時代的で、多様な主題を論じる大型の企画です。みなさま、積極的にメンバーになり、論文や議論を提示していただければ。 

古代ギリシアの精神医学の新刊

historypsychiatry.com

 

新刊案内は、古代ギリシア医学における精神医学のテキストについて。この主題は、精神医療の歴史の一回目に来る話だから、いい話が欲しくて、かなり研究書を読んだけれども、結局はヒポクラテスの「神聖病について」の医学と宗教の対比という定番の話になってしまっていた。

この本は、おそらく新しい視点を出してくれている。ヒポクラテス文書やガレノスなどを、人体を機械のようにとらえるメカニカルな分析ではなくて、より詩的で哲学的なテキストとして分析するとのこと。力を入れて読んでおこう。Kindle で13,000円とすごく高価だが、持っておいてしかるべき本だと思う。

William Bynum Prize 2016

Bynum Prize 2016 annoucement - Global Health Histories, The University of York

雑誌 Medical History が主催している、William Bynum Prize.  投稿された論文の中での新人賞である。受賞論文はミュンスター大学の David Freis , 次点がエクゼダー大学の Angela Muirによるもの。  受賞論文の主題は、第一次大戦を始めた戦争責任に関して、当時のドイツ皇帝の精神状態をめぐる論争の分析であり、次点論文は、18世紀の母親による胎児殺しの問題である。前者は、ドイツ語はもちろん、フランス語やイタリア語による議論を英語の論文にまとめた国際的な論考であり、後者は、ウェールズの地方文書館の史料の緻密な分析である。国際性と地域性の二つの方向性に、受賞と次点が与えられたこと、その順位は問題にせず、とても重要なことだと思う。

日本の医学史は、国際性と地域性という二つの方向性をいまよりもはるかに強く意識するべきだろう。どちらについても、研究者は実力を磨くべきであるし、若い研究者は、いずれも必須の力であると考えるべきだと私は思う。

Call for Papers for EASTS journal on Life, Science and Power in History in East Asia

雑誌 EASTS が、医学・生命科学の歴史と思想と社会の特集号を企画しています。特集号のエディターは、今年の4月から立教大学の教員となった高林陽展先生。9月30日締め切りと多少きつい日程ですが、ぜひご投稿ください。 

雑誌については、以下のサイトをご覧ください。

www.dukeupress.edu

 

 

Life, Science and Power in History
Call for papers for a special issue of the EASTS Journal

Deadline for submissions: September 30, 2017

In the twenty-first century, East Asian societies encounter diverse predicaments in terms of modern science, technologies, and medicine. Since the late twentieth century, organ transplantation, genome research and euthanasia have been argued widely in the politics, society, and culture of countries in East Asia. The research environment around science and technology became more competitive, which sometime caused manipulation of, or fabrication of, experimental results. In 2011 Japan experienced a series of breakdown of nuclear power plants in Fukushima, in which extensive parts of east Japan struggle with radioactive contamination. All these situations urge us to reconsider our belief in, and ethics of, life, science and power. It is certainly necessary that science and technology studies and medical humanities consider this topic.

This special issue “Life, Science and Power in History and Philosophy” is to re-construct, extend, and develop the humanities perspectives to understand medicine in East Asia. In so doing, it promotes further development of interdisciplinary studies of science, technology and medicine from the viewpoints of humanities. Papers will examine modern medicine in East Asia from for perspectives, namely, 1) philosophical dimensions, 2) cultural dimensions, 3)social dimensions, 4) epistemological dimensions.

Among the questions that papers might explore are:

* What, if any, are the unique features related to the issue of “life, science and power” in East Asia?
* Are recent incidents related to the issue of “life, science and power” in East Asia?
* How has the political, economic, social, philosophical and cultural environment in East Asia contributed to the issue of “life, science and power” in this region?
* How have we thought of biopolitics and biopower oriented by Michel Foucault in East Asia?
* How have the scientific community, research institutes, and the state responded to the issue of “life, science and power” in East Asia?
We welcome papers from a range of disciplines, including STS, sociology, history, and anthropology.

Papers should be between 8,000 and 12,000 words including reference and other text, clearly addressing the theme and focus of the subject issue. Please submit your paper to BOTH of the following e-mails: eastsjournal@gmail.com AND atakabayashi@rikkyo.ac.jp. Please indicate in the email title that your submission is for the Life, Science and Power in History special issue.

For inquiries concerning the themes of this issue, please contact Dr. Akinobu Takabayashi at atakabayashi@rikkyo.ac.jp. For other editorial inquiries, please contact Ms. Yen Ke at eastsjournal@gmail.com.

East Asian Science, Technology and Society (EASTS) is an interdisciplinary quarterly journal based in Taiwan and co-edited by editorial boards in Taiwan, Japan, South Korea, and the West. For more about the journal:

イギリス人名辞典のイェーガー博士

Oxford DNB: Lives of the week

 
今日のDNBは、19世紀の末に活躍した医師・動物学者・人類学者の グスタフ・イェーガー(Gustav Jaeger, 1832-1917) 。現在でもセーターなどで人気がある「イェーガー」の創設と関係がある学者である。
 
動物の体毛を使った洋服のアイデアは、1880年に出版された『私の体系』に現れた。議論は、少なくともこの DNBの記述では、よくわからないけったいなものである。動物は人間より健康で長生きであり、動物の体毛は地球上で生きる大きな助けであり、綿や麻などの植物系繊維の服や、絹の服よりも、ずっと体によい。だから、動物の毛の服を着たら、病弱だったイェーガーが見違えるように健康になった。この説に世界各地で共感する人々が現れ、ロンドンで共感した人物がそのような服を売り出す支店を出し、1890年代にはリージェント・ストリートに二号店が現れた。多くの有名人がこの説に共感した。オスカー・ワイルドウィリアム・モリスが動物体毛の服を着た。特に名を成したのがG.B. ショーで、けったいな服を来て講演したりして愉快な悪名となったらしい。 
 
もう一つ、これは余分な話だが、新しいDNBに人名が掲載される基準について。 詳しいことは知らないが、イギリス生まれとか、イギリスで活躍とか、そのような基準よりも広く取られていると思う。今回のイェーガーは、イギリスに定住して活躍したことは一度もない、ほぼ生粋のドイツ人である。しかし、彼の「遺産」として最も重要な服飾店「イェーガー」(英語読みで「ジェイガー」と読むのが「本来の」読み方らしい)がイギリスの店だから、イギリス人名辞典に掲載されたということなのだろうか。乱用するとおかしなことになるけれども、これはこれでOK.  ただ、記述の中心はイェーガーの服を着たイギリス人たちの話である。

ミカド

f:id:akihitosuzuki:20170621190853j:plain

 

www.biwako-hall.or.jp

 

8月に東京の新国立劇場で「ミカド」の公演。「ミカド」 Mikado は、1885年に初演されたコミック・オペラである。19世紀末のロンドンで公演されていた「コミック・オペラ」「サヴォイ・オペラ」と呼ばれるジャンルの作品の中で、一番の成功作であろう。作品の内容の基本は、舞台を日本に設定して、当時のイギリスの政治を風刺するものであるとのこと。私は一度も観たことがなくて、イギリスで時々触れたコミック・オペラを観てみたいし、舞台が日本というのも興味ある。もちろん、ヴィクトリア時代のイギリス人がかなり勝手に想像した日本であって、色々なところで笑ってしまうだろうが、それを観てみたい。また、原作はもちろん英語だが、喜劇のオペラを英語を聴いて本当に笑うことができるかは、私にとっては大きな問題である。たぶんダメだと思う。しかし、今回の上演は、日本語に訳して日本人歌手が歌うという企画であるとのこと。もちろん原作とはかなり違う作品だけれども、これはこれで、どういうものかという興味がある。観ることができるといいのだけれども。