精神疾患の写真と患者の経時的な人生について

Pearl, Sharrona. About Faces : Physiognomy in Nineteenth-Century Britain. Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 2010.

第5章・6章が、19世紀後半のイギリスの精神医療における写真の利用を論じている。ヒュー・ダイアモンド、ジョン・コノリー、チャールズ・ダーウィンやフランシス・ゴールトンといった著名な精神病医や科学者などが、写真をどのように精神医療の研究に取り込んだかを分析している。

興味深いのが、著者が diagnostic photography などの語で表現している分析の視点。もともと写真はある時間の断面を切り取るのだが、そこに計時性があるエレメントを入れると、患者の精神病の解釈に「これまでの人生」という側面をもたらすことができる。だから、患者の長期にわたる貧しさを強調して貧困が精神病の原因であることを論じ、破れた恋が精神病の原因であることを論じるために、患者に黒のショールと花冠をつけた『ハムレット』のオフィーリアのような衣装を着させる。

 

 

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Pearl, Sharrona. About Faces : Physiognomy in Nineteenth-Century Britain. Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 2010.

Chapters Five and Six deal with physiognomy in the context of psychiatry, focusing on the prominet images and texts of Hugh Welch Diamond, John Conolly, Charles Darwin and Francis Galton. One interesting analytical framework is the idea of what the author calls "diagnostic photography". Psychiatrists and photographers added crucial elements in the images of mad patients, in order to incorporate various meanings and messages into the photographic images and deliver a certain type of interpretation about the causes of mental illness and the present status of psychiatry. Since they wanted to emphasize the negative influence of poverty, they incorporated signs of poverty into the images of mad patients. Their stress on the effect of failure in love led to women who were dressed as an Ophelia with a black shawl and garland.

ダッハウ強制収容所の医療人体実験の描写

www.atlasobscura.com

ナチス・ドイツ強制収容所で、医師たちによる凄惨な人体実験が行われたことで悪名が高いダッハウ強制収容所。そこに収容されていたゲオルグ・タウバー (Georg Tauber) が、絵が結構上手で、SSの将校に見込まれて収容所内の様子を記述するために雇用されていた。彼が描いた作品などが、現在、ダッハウ強制収容所跡で開催されているとのこと。
 
タウバーは軽度の精神疾患、万引き、貨幣の偽造を行ってはモルヒネ中毒にかかっていた人物で、優生学的な理由でナチスによって粛清されるべくダッハウに収容されていた。当時のダッハウでは、SSの医療官たちが、被収容者を用いて、軍事医療を目的とした人体実験を始めており、彼らの命令でタウバーはその実験などを描写することになった。その引き換えに、被収容者に与えられた負荷が少し軽くなったからである。冷水に長時間浸して生命が脅かされる温度や時間を測定するなどの実験が描写されている。
 
ナチズムと強制収容所における人体実験は、私がまだ勉強していない主題であり、英語で読めるきちんとした本も、買ってはあるけどまだ読んでいない。その段階での感想を言うと、731部隊の実験に較べたときに、戦略的にも研究組織の側面でも、ナチズムの人体実験の側が素人っぽいという印象を持っている。731部隊に関するさまざまな研究書を読むと、戦略的に高度な段階である生物兵器を本気で開発しているし、それにふさわしい組織化された人体実験を行っていることがわかる。それに比べて、ナチズムの人体実験は、散発的で思いつき的な要素があるという印象を持っている。近現代の日本の医療を考えるときに、欧米を模倣した部分と、その方式を取らなかった部分があって、731部隊は後者なのだろうか、アメリカ軍が非倫理的なことをしてもその成果を独占したかったのも当然なのだろうかなどと考えている。
 

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これがサイトに公開されている冷水実験をタウバーが描いたもの。もちろん残虐だし絵に描いたようなナチズムの暴虐さを顕している。でも、どこか素人っぽい人体実験だと感じるのは私だけだろうか? 

 
 

 

大学と学術の暗い将来について

www.timeshighereducation.com

THE (Times Higher Education Supplement) からの配信。主にイギリスとオーストラリアの大学教員などを調査して出された議論。大学と学術のコアにおける深く根本的な浸蝕について。私自身、これを読みながら深く反省する部分や、反省という生易しい言葉では表現できない何か暗いものを感じていた。ぜひご一読を。

精神医療と音楽の歴史 参加申し込みページ 

igakushitosyakai.com

 

9月9日と9月16日に、東京都立松沢病院にて、以下の講演会を行います。参加費はいずれも無料ですが、お手続きのうえ、ご参加ください! 参加用のページを開設いたしましたので、そちらからお手続きが便利になります。 

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講演会 精神医療と音楽の歴史

2017年9月9日(土)14時30分~16時30分
東京都立松沢病院リハビリテーション棟105号室

2017年9月16日(土)13時30分~16時30分
東京都立松沢病院松沢病院本館エントランス

医学・医療の世界において、精神医学・精神医療は特に芸術文化との関係を密に築いてきた。それは、精神疾患が人間の精神的営為の一部を占めるからだろう。芸術文化は、人間の精神を源とし、自己を表現し、他者、社会へと発信することを旨とする。両者が関係をもつこと、たとえば、芸術文化において精神疾患が表現されること、あるいは精神医療の現場で芸術療法が実践されることは、ごく自然のことなのかもしれない。アウトサイダー・アートアール・ブリュット)も同様である。しかし、精神医療と社会の関係は、一般的に言えば、必ずしも近いものとは言い難い。近年の精神医学において脱スティグマ化が推進されていることは、そのことを傍証しているといってよいだろう。この公開講演会は、以上のような問題意識にもとづき、精神医療と社会の接点を、音楽と歴史という視点から探求するものである。過去の音楽において、精神疾患は度々主題として取り上げられてきた。それは、社会の精神医療観を下支えする大事な要素であった。また、精神医療の歴史においては、精神の失調状態の回復をめざして、音楽や芸術をもちいた治療が模索されてきた。こうした歴史上の精神医療と音楽の関係を探求することで、この講演会は、精神医療と社会の関係を問い直す一歩を目指したい。なお、精神医療と音楽に関する講演(9/16)に先立って、前週(9/9)には、精神医療の歴史についての講演を用意している。

プログラム
① 9月9日(土)
「西洋世界における精神医療の歴史」
高林 陽展 立教大学文学部史学科・准教授

「日本における精神医療の歴史」
鈴木 晃仁 慶應義塾大学経済学部・教授

②9月16日(土) 
「精神医療と音楽――再現演奏でたどる戦前期松沢病院音楽療法
光平 有希 日本文化研究センター・プロジェクト研究員
演奏:野澤 徹也 洗足学園音楽大学・講師(三味線)
概要:松沢病院(前:巣鴨病院)では、明治後期から精神医療の一環として音楽が用いられてきました。松沢病院では、なぜ音楽が治療に用いられるようになったのか、またそれはどのような内容で、どのように変容していったのか――。今回は、明治期から昭和戦前期までの松沢病院における音楽療法の歴史について、若手邦楽演奏家を代表する三味線奏者・野澤徹也氏を迎え、三味線とピアノによる再現演奏を交えながら、その実像に迫ります。

「愛に狂った者たちの歌 - 17世紀イギリス、イタリア声楽作品に表象された<精神病院>と精神疾患患者を巡って」
松本 直美 ロンドン大学・ゴールドスミス・コレッジ・専任講師
演奏:福島康晴(テノール)、阿部早希子(ソプラノ)、佐藤亜紀子(リュート、テオルボ)、櫻井茂(ヴィオラ ダ ガンバ)
概要:狂気を扱った声楽作品というとドニゼッティの《ランメルモールのルチア》など19世紀のオペラを思い起こすかもしれません。しかし、実は狂気という主題はオペラ誕生期、17世紀にすでに偏在しており、それ以降、脈々と一つのサブジャンルを形成していったといえましょう。このトークではそういった17世紀における「症例」を、現代を代表するバロック音楽の名手の演奏で紹介しながら、そこで「精神病院」「精神疾患患者」がどのように表象されていたか、疾患に対する当時の理解、治療方法とどのように関連していたのか、また「患者」の像はどのようなものかを、明らかにしていきます。

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がんの放射線治療のラジウムの国際的な分配について

Oxford DNB: Lives of the week

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Oxford DNB の今日の人物はヘレン・チェインバーズ (Helen Chambers, 1879-1935) 20世紀初頭のイギリスの優れた医師で、放射線治療とがんの研究で優れた業績を挙げた。インドで官僚をしていた人物の娘として生まれ、ケンブリッジで化学と物理を、ロンドンの女性医学校で医学を学び、産婦人科学、病理学を学ぶ。第一次大戦期には、イギリス国内で軍関連の医学にたずさわり、女性からなる医療のチームで活躍した。戦後はがんの研究に進み、ロンドン郊外のハムステッドに設立されたマリ・キュリー病院でがん、特に子宮頸がんの研究に集中する。当時、世界で最も好成績を上げた新しい療法にたずさわり、癌研究に免疫学や有効な放射線治療などを活用したという。
放射線治療の生命線はラジウムが握っており、この希少な物質をどのような確保するかが、当時の先端医療にとって大きな意味を持っていた。イギリスはその帝国を利用して、ラジウムを確保して国内の優れた医療研究機関に分配する仕事をしていたらしい。チェインバーズの組織は、ラジウムを受けて、それを使うことができる組織だったとのこと。

精神医療と音楽の歴史 アウトリーチのお知らせ

9月9日と9月16日に、東京都立松沢病院にて、以下の講演会を行います。参加費はいずれも無料です。お手続きのうえ、ご参加ください!

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講演会 精神医療と音楽の歴史

2017年9月9日(土)14時30分~16時30分
東京都立松沢病院リハビリテーション棟105号室

2017年9月16日(土)13時30分~16時30分
東京都立松沢病院松沢病院本館エントランス

医学・医療の世界において、精神医学・精神医療は特に芸術文化との関係を密に築いてきた。それは、精神疾患が人間の精神的営為の一部を占めるからだろう。芸術文化は、人間の精神を源とし、自己を表現し、他者、社会へと発信することを旨とする。両者が関係をもつこと、たとえば、芸術文化において精神疾患が表現されること、あるいは精神医療の現場で芸術療法が実践されることは、ごく自然のことなのかもしれない。アウトサイダー・アートアール・ブリュット)も同様である。しかし、精神医療と社会の関係は、一般的に言えば、必ずしも近いものとは言い難い。近年の精神医学において脱スティグマ化が推進されていることは、そのことを傍証しているといってよいだろう。この公開講演会は、以上のような問題意識にもとづき、精神医療と社会の接点を、音楽と歴史という視点から探求するものである。過去の音楽において、精神疾患は度々主題として取り上げられてきた。それは、社会の精神医療観を下支えする大事な要素であった。また、精神医療の歴史においては、精神の失調状態の回復をめざして、音楽や芸術をもちいた治療が模索されてきた。こうした歴史上の精神医療と音楽の関係を探求することで、この講演会は、精神医療と社会の関係を問い直す一歩を目指したい。なお、精神医療と音楽に関する講演(9/16)に先立って、前週(9/9)には、精神医療の歴史についての講演を用意している。

プログラム
① 9月9日(土)
「西洋世界における精神医療の歴史」
高林 陽展 立教大学文学部史学科・准教授

「日本における精神医療の歴史」
鈴木 晃仁 慶應義塾大学経済学部・教授

②9月16日(土) 
「精神医療と音楽――再現演奏でたどる戦前期松沢病院音楽療法
光平 有希 日本文化研究センター・プロジェクト研究員
演奏:野澤 徹也 洗足学園音楽大学・講師(三味線)
概要:松沢病院(前:巣鴨病院)では、明治後期から精神医療の一環として音楽が用いられてきました。松沢病院では、なぜ音楽が治療に用いられるようになったのか、またそれはどのような内容で、どのように変容していったのか――。今回は、明治期から昭和戦前期までの松沢病院における音楽療法の歴史について、若手邦楽演奏家を代表する三味線奏者・野澤徹也氏を迎え、三味線とピアノによる再現演奏を交えながら、その実像に迫ります。

「愛に狂った者たちの歌 - 17世紀イギリス、イタリア声楽作品に表象された<精神病院>と精神疾患患者を巡って」
松本 直美 ロンドン大学・ゴールドスミス・コレッジ・専任講師
演奏:福島康晴(テノール)、阿部早希子(ソプラノ)、佐藤亜紀子(リュート、テオルボ)、櫻井茂(ヴィオラ ダ ガンバ)
概要:狂気を扱った声楽作品というとドニゼッティの《ランメルモールのルチア》など19世紀のオペラを思い起こすかもしれません。しかし、実は狂気という主題はオペラ誕生期、17世紀にすでに偏在しており、それ以降、脈々と一つのサブジャンルを形成していったといえましょう。このトークではそういった17世紀における「症例」を、現代を代表するバロック音楽の名手の演奏で紹介しながら、そこで「精神病院」「精神疾患患者」がどのように表象されていたか、疾患に対する当時の理解、治療方法とどのように関連していたのか、また「患者」の像はどのようなものかを、明らかにしていきます。

 

(参加申し込み)

入場無料。席数に限りがありますので以下のいずれかの方法での事前申し込みをお願い申し上げます。)

*オンライン http://igakushitosyakai.com/
*ファックス 03-3985-3684 (立教大学文学部高林陽展研究室宛て)

*ハガキ 〒171-8501 東京都豊島区西池袋3-34-1 立教大学文学部 高林陽展研究室宛て

 

 

<お問い合わせ先A>
立教大学文学部史学科
高林 陽展
E-mail atakabayashi@rikkyo.ac.jp 

 

<お問い合わせ先B>

 akihitosuzuki3.0@gmail.com

 

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精神医療の家父長的な体制についてのフェミニズムの批評

Wollstonecraft, Mary, and Gary Kelly. Mary, and, the Wrongs of Woman. Oxford World's Classics. Rev. and corrected ed.: Oxford University Press, 2007.
 
『マライア、あるいは女性の虐待』は、『女性の権利の擁護』で名高いメアリ・ウルストンクラフトの最後の著作として書いていた小説。この作品を書いていた時期に、女児メアリーを出産したが産褥熱のために死亡したので、未完の草稿の形で残され、夫で思想家のゴドウィンが刊行したのが1798年である。この娘が、のちに詩人のP.B. シェリーと結婚してメアリー・シェリーとなり、『フランケンシュタイン』を執筆している。 
 
ウルストンクラフトの小説は、フェミニズムの視点からの社会批判を、当時の精神医療の問題に適用したものである。批判の対象は、不法監禁 wrongful confinement と呼ばれるものであり、精神病者の監禁介護施設を悪用して、実は精神病でないものを監禁することである。18世紀の初頭からイングランドでは精神病者の隔離監禁介護施設の悪用が行われ、それを予防し発見するための批判や立法も行われていたが、あまり効果はなかったようである。そして、この監禁は、おそらく、家父長制と深い関係があった。不法監禁の基本形は、夫が妻を、父親が子供を監禁するものであった。この部分は若干の事例に基づいた私の推測である。組織的な研究は、もう存在してもいいと思うけど、私は気づいていない。だから、ウルストンクラフトの小説の骨格は、家父長的な精神医療の悪用を批判し、フランス革命の自由の概念を女性に広げたものである。後者については、彼女自身が『女性の権利の擁護』のタイトルで書物を出版している。そのため、小説のストーリーは、不道徳で絶望的な夫によって精神病施設に不法に閉じ込められた妻の物語である。とても面白い。ただ、小説としてまだまだこれからの部分で終わってしまっているので、これからどのような作品になるのかがわからない。とくに、最後にメモの形で付されたエンディングでは、夫との離婚、恋人による裏切り、そして妊娠と流産と自殺というなにからなにまで壊滅するストーリーになっているが、どうするとそういう自己破壊的な結末になるのかよく分からない。
 
最初のほうに、同じ施設に閉じ込められている(正気の)男性との恋が芽生える美しい部分がある。彼の名前はダーンフォードというが、主人公のマライアの様子をうすうすと感づいて、その男性が書物を差し入れてくれる。そして、その書物の余白に、色々な書き込みがしてあり、アメリカとヨーロッパの社会の比較やコメントなどが真摯に伝わってくる。それを読んで愛情が芽生え、本を返すときにコメントを書き添えて、手紙の交換が始まるという設定である。