デニールゼロの魅力(違)

 
デニールについて少し学んだのでメモ。
 
デニール」という言葉を知ったのはつい数か月前で、ツィッターなどで話題の雪印の「カサネテク」というビデオを見たときである。合コンでの女の子のふるまいを通じてお菓子を宣伝するものである。ビデオもすごくよくできているし、そこで女性が違う厚さのストッキングを穿くことを「デニール30」「デニール60」と言っていた。これも初めて知って面白かった。ビデオは皆さん知っていると思うけど冒頭に掲示した。
 
デニールってなんだろうとずっと思っていて、実佳に聞いても知識は前進せず、夏休みになって少し時間が取れるようになったので基本的なことを調べてみた。これが面白い。
 
まず英語の読み方としては「デニアー」と第一音節にアクセントが来る。デニールはフランス語で小銭の硬貨の意味。ここでは「デニール」を使う。デニールは、もともとは糸の太さ、つまり断面積の長さを、質量で表示したものである。工業製品の糸に用いられることと関係あるのだろうが、一本一本の糸の断面積を正確に測りきることは非常に難しい。だから、ある長さを決めておいて、その長さの糸の質量をいえば、断面積の長さが分かることになる。その長さというのは9000メートル。この9000メートルの長さで重さが1グラムの糸を、糸の太さ1デニールという。ちなみに、これが絹糸一本の太さであるとのこと。
 
素人の驚きを発していいですか。長さほぼ1キロで1グラム。糸、あるいは絹糸って、そんなに軽いのですか! 文系は無知でいかん。理系でも知っている人は少ないと思うけど。
 
ここから先は、理屈だけ書くと、30デニールは9000メートルで30グラム、60デニールは60グラム、その部分は簡単である。具体的にどうなるのか、面白い話がたくさんあるだろうと思うが、まだ何も知らない。
 
もう一つ。ビデオで「デニールゼロなら生足よ♪」というセリフがあって、たしかに生足の魅力をうまく伝えている。9000メートルあって重さゼログラムの糸で作られた、ということですものね。 
 

清代中国の医学

多々良、圭介. "清代における「病」への対策." 生活文化史, no. 65 (2014): 18-34.
 
中国では医療従事者のことを「医生」という。清代には、病気が治せると宣言する人は、誰でも医者として受け入れられた。医療市場が活発化して、商業化が進んでいた時代であった。患者の治療に先立って、前金として医者に支払い、診療後に残金を支払う仕組みであった。これは「包医」と呼ばれていた。前金は数分の一という感じの額であった。公権力は民衆の日常的な病への介入には消極的で、医生への就業規定が存在しなかったことも、このような態度の一環である。
しかし、有事の際には公権力は発動した。具体的には疫病のときである。医官は府・州・県にわずか1人ずつであったので、疫病に襲われた地域をカバーするには、民間の医者を使うしかない。しかし、民間人の医生は、文盲同然であり、「私はわずかに<之無>が読めるだけです、どうして医書が読めましょうか、読めなくて何かおかしいですか(菅官房長官 笑)」というありさまだった。だから、考試で選抜したり、監獄の罪囚の治療で功績のあった医生などである。
この人物たちには「舟輿」が払われた。これは日本でもかつて使われていた、診療費以外に医師に払う「お車代」であると説明されている。ちなみに、その説明から、「舟輿」の二番目の漢字を推測しました。これは「しゅうよ」とよみ、船と車という意味。この単語は漢和辞典に掲載されており、中国語にたしかに存在する単語だが、私が正しく読めているかどうか自信ないです(涙)
疫病の時には、民間信仰が強くなる。ことに「五通神信仰」があり、その山を曰く肉山、その下の石湖を曰く酒海という。コレラが流行した時には、屍が変化して鬼になり、人を脅す怖いキョンシーになると信じられていた。このような民間宗教を制御することも公権力の仕事であった。

フランスでエクソシストがなぜ人気が出ているのか

www.economist.com

フランスでエクソシズムがなぜ流行しているのか。エコノミストの記事がちょっと面白かった。ここでは、exorcism という語が、カトリックの司祭が行うものと、そうでない人たちが行うものの双方に使っており、どう訳していいのか分からないので、そのままエクソシズムという語を使う。うまい訳し方があるのなら、教えてください。

カトリック教会は、現在でもエクソシズムという手法を持っている。精神疾患や身体の疾患でなく、悪魔に憑かれたときに用いる手段である。しかし、現在ではこのような現象は聖職者たちによっても非常にまれなことと考えられているので、ほとんど用いられていない。(具体的には、何年に一度とか、一年に何件とか、どのくらいなのでしょうか?)

しかし、それを或る程度まで模した、カリスマ性があるエクソシストが人気がある。ウェブや電話帳などで探すことができる。料金はわりと高めで、一つの仕事で€500くらいとることもある。忙しい時には、月に一万ユーロ以上かせぐという。テロがあった街でも人気があるし、アフリカから来た移民がエクソシストにお金を払って色々と問題を解決してもらうという。記事では、部屋を浄めるとか、愛情を元通りにするとかの仕事をしているという。カトリック教会のエクソシズムに較べると、レンジがかなり低い。

人気の一つの理由は、人々がエクソシズムを見てみたいということがあるという。私自身は自分では絶対に頼まないだろうし、人がエクソシズムを受けているのを見たいと思わないけれども、小さな問題であれば、エクソシズムを見たいという気持ちは分からないでもない。だって、エクソシストって、もともと映画でしか見たことがないんですよ(笑)

 

 

ダウン症の歴史のバーティー(2015年)

bit.ly

同志社大学で非常勤で教える障害の歴史学の研究者である大谷誠先生が、「医学史と社会の対話」に書いてくださった記事。少し前の話ですが、2015年の10月に、日本ダウン症協会の後援と主催で、麻布の南アフリカ大使館の大使公邸でパーティが開かれました。カナダのマッギル大学で教える医学史家の David Wright 先生を招いて、『ダウン症の歴史』の翻訳を祝うものでした。南アフリカのモハウ・ペコ公使、日本ダウン症協会の上原公子さま、ライト先生、大谷先生などがあつまった、とても楽しい時間でした。それと同時に、歴史学者に、それもご専門はイギリスの精神障害の歴史である大谷先生に、日本のダウン症と触れる機会を作ることができました。どうしたら、このような機会を研究の日常と構造の中に組み込むことができるのか、あたらめて考えさせてくれる大谷先生の記事です。

当日の写真です!ペコ公使、上原さま、ライト先生、大谷先生になります。

 

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アメリカの社会心理学の確立者 J.M. Baldwin と20世紀初頭の「有色人種の売春宿」

Horley, James. "After 'the Baltimore Affair': James Mark Baldwin's Life and Work, 1908–1934." History of Psychology 4, no. 1 (2001): 24-33.

Smith, Roger. The Norton History of the Human Sciences. 1st American ed. ed. New York: W.W. Norton, 1997.

J.M. ボールドウィンは19世紀末から20世紀の初頭に活躍したアメリカの社会心理学の確立者のひとり。フランスの Tarde, le Bon, デュルケムなどの影響を影響を受けて、アメリカで理論的であると同時に実用的な社会心理学を始めた。児童や学校の問題を論じたとのこと。スミス先生の書物に的確に書かれている。学童の著作は明治期に日本語にも訳されている。

ふと気になったことが、彼が学問の世界を去った事件。ボルティモアのジョンス・ホプキンス大学に就任して、アメリカの社会心理学をさらに展開しようとしていたときに、同市の売春宿の手入れの時に店内で拘束され、その責任を取ってホプキンスを辞めたという。これはボールドウィン個人にとっても大きな事件で、それからアメリカの大学では教えていないし、フランスやイギリスやメキシコでも学問関連の仕事にはかかわったが、いずれも本格的な仕事ではない。重要な仕事は発表していない。生産性の絶頂は過ぎていたが、まだ力があった指導的な学者を、一撃で打ち砕いたと言ってもよい。

しかし、この事件の詳細について我々が知っていることはあまりに少ない。Horley の短い論文を読んでも、分かっていることはほとんどない。ボールドウィン自身は、自伝でもほとんど言及していないし、何がどうなってホプキンズを辞任したのか、それもよくわからない。

私が気づいたのは、この売春宿が colored brothel と呼ばれていることである。白人から見て、有色人種の売春婦がいるという意味だろうと思う。google でざっと調べても、そんな印象を受ける。画像の検索では、明治期の横浜の人気があった売春宿の芸子たちの写真などが出てくる。世界的な航海や、世界の港町での売春の発展の中で、そのサービスをアメリカでも提供する売春宿ができていて、ボールドウィンはその客だったということなのだろうか。それが、大学を辞任しなければならないようなスキャンダルということだったのだろうか。

 

 

マトリョーシカ、南極、月と火星、そして崎陽軒

http://lib-arts.hc.keio.ac.jp/exchange/open/PDF/201709.pdf

慶應日吉キャンパス公開講座。今年の大きなテーマは「観光と開発」で、そのもとで普通に重要な主題や有益な話題が展開されているが、いくつか特別に面白い講義がある。

熊野谷先生の「ロシアのみやげマトリョーシカ」。なぜ愛されているのかよく分からないマトリョーシカと観光という落としどころ。鈴木忠先生の「南極の自然」や、新井真由美先生の「月・火星における居住の可能性」が、「観光と開発」の大主題の中に入るあたりには、何かを突き抜けた次元の違いがある。

しかし、とどめをさすのは、やはり、11月25日の野並直文先生の「横浜と崎陽軒」だろう。慶應日吉で観光と開発について話す時に、この講義を入れるというのは天才的な発想だと思う。野並先生は崎陽軒代表取締役社長とのこと。私はぜひ出席してお話を伺い、メガシュウマイ弁当について質問をしたい。

チジック・ハウスの精神病療養所の研究プロジェクト

museumofthemind.org.uk

 

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ロンドン郊外のチジック・ハウス。18世紀に完成された貴族の館で、現在でも人気があるスポット。この館の一角が精神病の療養所に使われていた。19世紀の末から20世紀の初頭の話で、患者はイギリスの富裕な人々で定員は30名から40名、医師は著名なチューク一族の兄弟とあるから、おそらく 19世紀の末にイギリス精神医学の権威の一人であるDaniel Hack Tuke も含まれるのだろう。

この病棟自体は、チジック・ハウスの芸術的なコアにあたる部分ではないし、バーリントンが設計した部分ではないので1950年代に取り壊されたとのこと。しかし、この精神病療養所の症例誌などが残っており、その分析から、チジック・ハウスの精神病院における患者の生活が再構成できる。たとえばアルコール依存症の患者もいたし、看護人がいびきをかいて困った患者もいたとのこと。この症例誌はウェルカム・ライブラリーが保管し、研究は イギリスの障碍者の歴史の大規模なプロジェクトである Disability in Time and Space の一部であるという。そのサイトはこちらになります。

A History of Disability: from 1050 to the Present Day | Historic England

色々な意味でヒントになる記述である。とても面白かった。