清代中国の医学
フランスでエクソシストがなぜ人気が出ているのか
フランスでエクソシズムがなぜ流行しているのか。エコノミストの記事がちょっと面白かった。ここでは、exorcism という語が、カトリックの司祭が行うものと、そうでない人たちが行うものの双方に使っており、どう訳していいのか分からないので、そのままエクソシズムという語を使う。うまい訳し方があるのなら、教えてください。
カトリック教会は、現在でもエクソシズムという手法を持っている。精神疾患や身体の疾患でなく、悪魔に憑かれたときに用いる手段である。しかし、現在ではこのような現象は聖職者たちによっても非常にまれなことと考えられているので、ほとんど用いられていない。(具体的には、何年に一度とか、一年に何件とか、どのくらいなのでしょうか?)
しかし、それを或る程度まで模した、カリスマ性があるエクソシストが人気がある。ウェブや電話帳などで探すことができる。料金はわりと高めで、一つの仕事で€500くらいとることもある。忙しい時には、月に一万ユーロ以上かせぐという。テロがあった街でも人気があるし、アフリカから来た移民がエクソシストにお金を払って色々と問題を解決してもらうという。記事では、部屋を浄めるとか、愛情を元通りにするとかの仕事をしているという。カトリック教会のエクソシズムに較べると、レンジがかなり低い。
人気の一つの理由は、人々がエクソシズムを見てみたいということがあるという。私自身は自分では絶対に頼まないだろうし、人がエクソシズムを受けているのを見たいと思わないけれども、小さな問題であれば、エクソシズムを見たいという気持ちは分からないでもない。だって、エクソシストって、もともと映画でしか見たことがないんですよ(笑)
ダウン症の歴史のバーティー(2015年)
同志社大学で非常勤で教える障害の歴史学の研究者である大谷誠先生が、「医学史と社会の対話」に書いてくださった記事。少し前の話ですが、2015年の10月に、日本ダウン症協会の後援と主催で、麻布の南アフリカ大使館の大使公邸でパーティが開かれました。カナダのマッギル大学で教える医学史家の David Wright 先生を招いて、『ダウン症の歴史』の翻訳を祝うものでした。南アフリカのモハウ・ペコ公使、日本ダウン症協会の上原公子さま、ライト先生、大谷先生などがあつまった、とても楽しい時間でした。それと同時に、歴史学者に、それもご専門はイギリスの精神障害の歴史である大谷先生に、日本のダウン症と触れる機会を作ることができました。どうしたら、このような機会を研究の日常と構造の中に組み込むことができるのか、あたらめて考えさせてくれる大谷先生の記事です。
当日の写真です!ペコ公使、上原さま、ライト先生、大谷先生になります。
アメリカの社会心理学の確立者 J.M. Baldwin と20世紀初頭の「有色人種の売春宿」
Horley, James. "After 'the Baltimore Affair': James Mark Baldwin's Life and Work, 1908–1934." History of Psychology 4, no. 1 (2001): 24-33.
Smith, Roger. The Norton History of the Human Sciences. 1st American ed. ed. New York: W.W. Norton, 1997.
J.M. ボールドウィンは19世紀末から20世紀の初頭に活躍したアメリカの社会心理学の確立者のひとり。フランスの Tarde, le Bon, デュルケムなどの影響を影響を受けて、アメリカで理論的であると同時に実用的な社会心理学を始めた。児童や学校の問題を論じたとのこと。スミス先生の書物に的確に書かれている。学童の著作は明治期に日本語にも訳されている。
ふと気になったことが、彼が学問の世界を去った事件。ボルティモアのジョンス・ホプキンス大学に就任して、アメリカの社会心理学をさらに展開しようとしていたときに、同市の売春宿の手入れの時に店内で拘束され、その責任を取ってホプキンスを辞めたという。これはボールドウィン個人にとっても大きな事件で、それからアメリカの大学では教えていないし、フランスやイギリスやメキシコでも学問関連の仕事にはかかわったが、いずれも本格的な仕事ではない。重要な仕事は発表していない。生産性の絶頂は過ぎていたが、まだ力があった指導的な学者を、一撃で打ち砕いたと言ってもよい。
しかし、この事件の詳細について我々が知っていることはあまりに少ない。Horley の短い論文を読んでも、分かっていることはほとんどない。ボールドウィン自身は、自伝でもほとんど言及していないし、何がどうなってホプキンズを辞任したのか、それもよくわからない。
私が気づいたのは、この売春宿が colored brothel と呼ばれていることである。白人から見て、有色人種の売春婦がいるという意味だろうと思う。google でざっと調べても、そんな印象を受ける。画像の検索では、明治期の横浜の人気があった売春宿の芸子たちの写真などが出てくる。世界的な航海や、世界の港町での売春の発展の中で、そのサービスをアメリカでも提供する売春宿ができていて、ボールドウィンはその客だったということなのだろうか。それが、大学を辞任しなければならないようなスキャンダルということだったのだろうか。
マトリョーシカ、南極、月と火星、そして崎陽軒
http://lib-arts.hc.keio.ac.jp/exchange/open/PDF/201709.pdf
慶應日吉キャンパス公開講座。今年の大きなテーマは「観光と開発」で、そのもとで普通に重要な主題や有益な話題が展開されているが、いくつか特別に面白い講義がある。
熊野谷先生の「ロシアのみやげマトリョーシカ」。なぜ愛されているのかよく分からないマトリョーシカと観光という落としどころ。鈴木忠先生の「南極の自然」や、新井真由美先生の「月・火星における居住の可能性」が、「観光と開発」の大主題の中に入るあたりには、何かを突き抜けた次元の違いがある。
しかし、とどめをさすのは、やはり、11月25日の野並直文先生の「横浜と崎陽軒」だろう。慶應日吉で観光と開発について話す時に、この講義を入れるというのは天才的な発想だと思う。野並先生は崎陽軒の代表取締役社長とのこと。私はぜひ出席してお話を伺い、メガシュウマイ弁当について質問をしたい。
チジック・ハウスの精神病療養所の研究プロジェクト
ロンドン郊外のチジック・ハウス。18世紀に完成された貴族の館で、現在でも人気があるスポット。この館の一角が精神病の療養所に使われていた。19世紀の末から20世紀の初頭の話で、患者はイギリスの富裕な人々で定員は30名から40名、医師は著名なチューク一族の兄弟とあるから、おそらく 19世紀の末にイギリス精神医学の権威の一人であるDaniel Hack Tuke も含まれるのだろう。
この病棟自体は、チジック・ハウスの芸術的なコアにあたる部分ではないし、バーリントンが設計した部分ではないので1950年代に取り壊されたとのこと。しかし、この精神病療養所の症例誌などが残っており、その分析から、チジック・ハウスの精神病院における患者の生活が再構成できる。たとえばアルコール依存症の患者もいたし、看護人がいびきをかいて困った患者もいたとのこと。この症例誌はウェルカム・ライブラリーが保管し、研究は イギリスの障碍者の歴史の大規模なプロジェクトである Disability in Time and Space の一部であるという。そのサイトはこちらになります。
A History of Disability: from 1050 to the Present Day | Historic England
色々な意味でヒントになる記述である。とても面白かった。