アフリカのグローバル・ヘルスー公衆衛生業務者のための歴史・人類学のテキスト

Giles-Vernick, Tamara, and James L. A. Webb. Global Health in Africa : Historical Perspectives on Disease Control. Perspectives on Global Health. Athens: Ohio University Press, 2013.

Lachenal, Guillaume. "A Genealogy of Treatment as Prevention (Tasp): Prevention, Therapy and the Tensions of Public Health in African History." In Global Health in Africa, edited by James L. A and Tamara-Giles-Vernick Webb, 70-91. Athens, Ohio: Ohio University Press, 2013.

Giles-Vernick, Tamara and Stephanie Rupp. "People, Great Apes, Disease, and Global Health in the Northern Forests of Equatorial Africa." In Global Health in Africa, edited by James L.A. Webb and Tamara Giles-Vernick, 70-91. Athens, Ohio: Ohio University Press, 2013.

Moulin, Anne Marie. "Defenseless Bodies and Violent Afflictions in a Global World: Blood, Iatrogenesis, and Hepatitis C Transmission in Egypt." In Global Health in Africa, edited by James L. A and Tamara-Giles-Vernick Webb, 138-58. Athens, Ohio: University of Ohio Press, 2013.

医学史と医療人類学が発展途上国の国際公衆衛生、あるいは「グローバル・ヘルス」と繋がる新しい方法を示している素晴らしい書物。基本的な読者は、歴史学者でも人類学者でもなくて、新しい世代の公衆衛生の学生なり実践者であり、公衆衛生のプロを訓練するのに、人文社会科学の視点を具体的な事例を通じて与える書物である。社会科学と生物医学を統合した学問のセットに、歴史や人類学が入っていないと宜しくない。疾病の、social, political, economic and econological process を知らなければならない。そうしないと、何よりも、現地の人たちと公衆衛生上の合意が取れない。技術的に優れたものを持って行けば、現地の人はそれを採用して公衆衛生のシステムを喜んで変えるはずだと考えるのは、技術屋の発想である。大根を売るのと公衆衛生のシステムを売るのは根本的に違う営みである(この言い方、ここではうまくはまらないし、もともと、大根の話じゃない 涙) 

読んだ論文は三点。 Guillaume Lachenal の論文、Tamara Giles-Vernick and Stephanie Rupp の論文、そして Anne Marie Moulin の論文。HIV やエボラなど、新しい疾病の誕生の背景にあると考えられているヒトとサルの関係に関して、現地の別のバージョンのヒトとサルの話を紹介したもの。 アンヌ・マリー・ムーランによるエジプトの医原病C型肝炎。「トリートメントこそが予防である」Treatment as Prevention, TasP を分析した論文。 どれも素晴らしく、クオータブルな表現をピックアップして論文の原稿にした。 

 

戦前と戦後の医学研究の短期的な格差

石橋卯吉・村野廉一「健康人ノぢふてりー保菌率ニ関スル研究」『日本微生物学病理学雑誌』31(1), 1937, 99-103.  
 
伊與雄二「蠅の保菌数に関する研究」『十全医学会雑誌』52(4、5、6)、1950、29-37.
 
日本の細菌学に関する研究をしているせいで、731部隊に関連する旧帝大などのエリート医学教授たちとよく出会う。それほど大きな資金が投入され、集中力がある総力戦が医学を含めて実行されていたということだと思う。もう一つ、改めて気がついたのが、戦後に、日本の医学研究がさまざまなリソースを一気に失った時期に、どんな研究が出てきたかを示す論文。読みながら、なんだこの論文は、お前ふざけるなと思ったくらいの、みじめな質の論文だった。
 
神奈川県逗子町小学校の1年から6年まで1750名。住居が葉山御用邸付近なので、じふてりーの予防接種をしていた。陽性者は2名、陽性率は0.11%  ちなみにこの論文は、神奈川県立第二衛生試験場 所長は渡邉邉(?) 石橋卯吉は慶応卒で応召のあと戦後には厚生省に入って防疫に活躍した。この論文を京大の木村が見たというが、731で有名な病理学の木村簾だろう。 
 
戦後の論文は、蠅の保菌数の季節的な消長、地域別並びに職業別による保菌数。季節でいうと最高は7月。地域で言うと、ダントツ1位が金沢駅で一匹あたり1億2300万個の菌、2位が近江町市場の4,000万、3位が兼六公園の1,800万。職業でいうと、ダントツ1位が魚屋で1億3600万、2位が八百屋で5,100万、最下位で最も清潔なのが酒屋の470万。「なんだこのふざけた論文は」というのが正直な印象である。金沢医科大学(現在の金沢大学医学部)の細菌学教室の学生の研究だが、実験が非常に貧しい。蠅をつかまえてきて、ちょっと洗って砕いてブドウ糖寒天をそそいて発生した菌の聚落数を算定して、それから保菌数を計算するというもの。よく分からないが、昭和22年に発表された論文だからなのかと思う。戦前の論文と較べると、原始的な実験になった。まるで逆方向のタイムスリップが起きたかのような印象を受ける。石川県は空襲の被害はほとんどなかったらしいが、科学実験をするのには、色々なものが必要なんだろうと実感する。ただ、他の論文を読むと、1950年ごろには、かなり復興しているから、総力戦のマイナス影響のある部分に関しては、短期的なロスだったのかと思う。 
 

顔の女性化のための美容外科手術の歴史

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デューク大学出版局から医療人類学者の論考が刊行された。Facial Feminization Surgery を描いたものである。これは、顔の女性化のための美容外科手術と訳すのだろうか。英語では FFSと略されている。ネットで検索すると、英語では性器のうえでは男性である人物が、顔を女性的にするために、骨や組織を入れて、「女性らしい」顔にすることである。日本語で検索すると、硬い感じの顔の女性が、「柔らかい感じ」の顔になるようにすることがより強い目的であるかのように見える。本書はアメリカに取材した書物だから、主にトランスジェンダーの人々の身体改変という、現代社会の力学と個人の志向が錯綜する、複雑で緊張感が高い脈絡で分析されるのだろう。 読んでみようかなという気になっている。trans-medicine, trans-selfhood, trans-therapeutics という、意味は想像できるけれども、実はなんだかわかっていないトランス語が三つもならぶ本というのは、少し魔界の書の雰囲気もあるし。 

第69回正倉院展と異国的な文章

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この10年くらい、正倉院展に行くという小さな贅沢をしている。色々と好きな個所があるが、一つが文章である。予告の文章やカタログを飾る文章は、不思議な文章で、おそらく名文と言ってもよい。私には全く読めない漢字、聞いたことがない読み方、何のことだか分からない説明。それが重層していって、最後に落とされる説明を聞いて、ああそうかと納得する。一段落を示しましょう。

 「また、アッシリアに起源を持つとされる楽器・箜篌(くご)の貴重な遺例である漆槽箜篌(うるしそうのくご)、インドに起源を持つ迦楼羅(かるら)の面、同じくインドに起源を持つ迦陵頻伽(かりょうびんが)があしらわれた最勝王経帙(さいしょうおうきょうのちつ)、ペルシア起源の器を中国で写したと考えられる緑瑠璃十二曲長坏(みどりるりのじゅうにきょくちょうはい)やわが国で製作されたと考えられる金銅八曲長坏(こんどうのはっきょくちょうはい)、異国情緒溢れる金銅水瓶(こんどうのすいびょう)などの宝物からは、各地に源流を持つ文化が結集し花開いた、国際色豊かな天平文化の様相がうかがわれます。」

 

なんですか、この魔法のような、あるいはごまかしのような文章は(笑)

1933年のモダニズムと看護婦

中村, 史子, 園子 中西, 愛知県美術館, 岐阜県美術館, 三重県立美術館, and 中日新聞社. 魔術/美術 : 幻視の技術と内なる異界. 愛知・三重・岐阜三県立美術館協同企画. Vol. No.6: 愛知県美術館 : 中日新聞社, 2012.

中井, 康之, 国立新美術館, 国際交流基金, 国立国際美術館, Yong Ping Huang, 広義 王, 培力 張, et al. アヴァンギャルド・チャイナ : 「中国当代美術」二十年 = Avant-Garde China : Twenty Years of Chinese Contemporary Art. 国立国際美術館, 2008.

甲斐, 義明, 由紀子 富山, 新 林田, 史子 中村, 塩津青夏, 愛知県美術館, and 朝日新聞社. これからの写真 = Photography Will Be. 愛知県美術館
朝日新聞社, 2014.

愛知県美術館学芸員である中村史子さんのお仕事を見ている途中で、1930年代の看護婦について興味深い記述が「魔術 / 美術」などにあったので簡単なメモ。


中村岳陵「都会女性職譜」(1933)は、日本画家である中村岳陵(1890-1969)が、1933年の日本美術院の第20回の院展に展示した作品である。都会の風俗の一つとして当時の女性の職業を描いたもので、7点のうちの一つが看護婦である。看護婦の背景には、患者がいない空のベッドと医療の設備が描かれているが、その医療の環境は非常に機械化されたものである。おそらく患者の手足を空中に上げる仕組みであり、オレンジ色の二つの滑車が上部に配され、レントゲン機械である複数の四角形の枠型がベッド全体を覆う。


それ以外の6点は、チンドンヤ、エレベーターガール、レビューガール、女店員、女給、奇術師である。
佐藤美貴「《都会女性職譜》について」 三重県立美術館・研究ノート
http://www.bunka.pref.mie.lg.jp/art-museum/54495037571.htm

イギリスの化学兵器開発と人体実験

Schmidt, Ulf. Secret Science : A Century of Poison Warfare and Human Experiments. Oxford University Press, 2015.
 
イギリスの化学兵器開発に関する生命倫理学の優れた仕事を拾い読みする。人体実験の主題で研究するときには、しっかり読もう。1915年の西部戦線で、ドイツが毒ガス攻撃を仕掛ける。その場所が第一次大戦の大激戦が闘われていたイプル (Ypre) であったため、フランス軍は毒ガス兵器をイペリットと呼ぶことになった。このイプルでの毒ガス兵器の利用は非人道的な行為としてドイツと敵対する国がいずれも激しく非難し、多くの国が毒ガス兵器の開発に取り掛かった。中立国であったオランダまで毒ガス兵器の開発をはじめていたという。
 
イギリスが毒ガス開発の基地としたのは、ポートン基地 Porton Down であった。1916年にこの軍事科学の研究施設で化学兵器の開発が始まる。ドイツは毒ガス兵器を開発した鬼畜であり、その鬼畜を処罰する正義の鬼畜となるためには、やはり総力戦の時代だから、国の最高の頭脳と優れた組織が必要である。すぐにケンブリッジ、オクスフォード、UCL といったエリート医学校との密接な関係が作られた。ケンブリッジなどから著名な教授が呼ばれ、その弟子筋の医学者たちとの連携がすぐにできて、強力な研究ネットワークが作られた。ポートン基地には、オクスブリッジのシニア・コモンルームのようなエリート学者の集会場のような雰囲気がつくられた。そして、そのネットワークと政治的な連携が作られた。この部分は、日本の731部隊と類似している部分が大きい。
 
もちろん、当初は動物実験だった。ネコやウサギが実験され、毒ガスの効果が測られた。しかし、対象が敵兵士であるときに、人体への影響を厳密に実験したいと思うのは、人道主義ではなく科学の厳密な発想に従ったときに当然である。同時に、国家の安全と個々の兵の生命の保全のバランスの発想において、戦争中にはそのバランスが前者に傾き、兵士を用いた人体実験が行われた。

ニワトリのユートピア

www.atlasobscura.com

 

19世紀から20世紀中葉までのニワトリの画像の展示。記事の内容とは少し違うが、これが雄々しく堂々としたオスと、小さく従順そうなメスの、家族の肖像画のようで、とても面白い。

私が子供の頃に、父親がニワトリのユートピアの魔法陣にはまって、自宅の庭でニワトリを飼い始めた。父親の構想の中では、7羽くらいのニワトリが、昼間は庭で放し飼いで自由を楽しみ、夜は鳥小屋に入って安眠するはずだった。これは昔話の中のニワトリの飼い方で、最近の日本では見たことがない。現実とは違う理想が一人で走り始めたのかもしれないし、何かの本にそう書いてあったのかもしれない。

数年間、家中がニワトリで大騒ぎした。全体としては、ありえない楽しさだったけれども、ニワトリが殺しあうという血みどろの惨劇もあった。最後はニワトリを一羽ずつケージに閉じ込めて採卵鶏にするという、何をしているのかよく分からない状態になった。

大人になってから、イタリアのウンブリアの村で父親の夢のように飼われているニワトリを見た。村の道を歩いて、幸せそうに餌を探していた。今にして思うと、たぶん、父親が飼ったニワトリとは品種が違っていた。でも、父親が夢見たニワトリのユートピアがイタリアの村で実現していたと思うと、なぜか幸せな気分になる。