2017年の6月にロンドンの高層公営住宅で火災事件が起きました。安価で燃えやすい高層建築という現象でした。同じように、1903年1月に、ロンドンのコルニー・ハッチにあった公立精神病院で火災が起きて、52名の女性患者が死亡しました。状況が捜査される中で、さまざまなひずみが明らかになっていきます。歴史と現代をつなぐ俊英の医学史家、高林陽展先生の文章をお読みください!
エコノミスト・エスプレッソの見出しが、ユージン・ジャレキーという映画監督が作成した The King という作品についての記事。貧しい少年から成功して「皇帝」となり、そこから比較的早く世を去ったエルヴィス・プレスリーについての伝記映画であり、その背景に、トランプ大統領を選出したアメリカの姿を見ようとする作品であるという。エルヴィスは私の世代の男性には実感を持って感じられないが、私にとって、マイケル・ジャクソンや中森明菜や松田聖子なのだろう。トランプや安倍総理や麻生副総理についての「謎だけどまぎれもなく現実に起きている」という思いも共有する。The King が日本で公開されたら観てみよう。
キャサリン・コックス先生とヒラリー・マーランド先生が書かれた刑務所と精神病院(アサイラム)の関係に関する論文。19世紀のイングランドが事例だと思う。必読論文である。いまであれば自由にDLできる状態だと思う。
精神病院と刑務所の二つはある側面で深く結びついている施設であり、精神医学と刑務所関連の医学とは深く結びついている。現在のアメリカの精神医学の問題の神話的な作品である『カッコーの巣の上で』は、実は精神疾患でなく刑務所に入っていた人物に関する映画であり、刑務所に収容されていた人物の映画であることは多くの皆さんが知っているだろう。日本においては、大正や昭和戦前期には精神医学者が刑務所の医学をリードしたという事実もあるし、公私の双方の都合で、精神病院が刑務所がわりに用いられた事実も存在する。現在のアメリカでは、精神病院を閉鎖したのち、慢性化した患者が多数にわたって収容されているのが刑務所である。
一方で、精神病院と刑務所は、18世紀末から19世紀初頭にかけては、両者は厳密に二つの別の施設であり別の理念を持つと考えられるべきだという分離説が唱えられた。古い体制においては、精神病院という施設がまだ未発達であり、刑務所に患者を入れることが日常的に行われていた。そこから新しい体制に移行するときには、精神病院と刑務所の根本的な異なりが唱えられた。精神病院では処罰は基本概念ではないし、刑務所では規律の概念がより強い。
この二元論は理念であり、現実の患者の処理については別の原理があった。いずれも隔離する施設である。症例誌を読めば、イギリスでも日本でも両者の移行が実現するケースも多い。私が今回書いている書物では、日本を事例にして、両者の関係について書く。世帯の視点から見て恥さらしである世帯のメンバーを精神病院に入れるケース、公けの視点から見て犯罪のリスクが高いが刑務所には入れられないものを精神病院に入れるケース、それもいずれもかなりの年月にわたって入れる例などを用いる。
国立保健医療科学院の逢見憲一先生が書いてくださった、インフルエンザのウィルス循環と予防接種という二つの側面がからみあいながら、過去と現在と将来の環境と人為がどう変わるのか洞察する素晴らしい記事です。ぜひお読みください!
イギリスの18世紀学者たちが出している『18世紀研究』が、18世紀とロマン主義の文学を取り上げて、流行と疾病を検討するという特集をしている。この特集のエディターの一人がクラーク・ローラー先生である。ローラー先生は20年以上前にアバディーン大学で同僚で、論文も共著した友人である。特集を読んでみると、私が18世紀イギリスの結核のイメージについて考えた時期に比べると、研究が多様化して深くなっていることに驚きながら、懐かしい思いで目を通した。その中で、私が初めて見た1800年近辺の全裸の女性の海水浴のイラストが2点あり、とても面白い分析をしていたので、そのイラストと議論についてメモ。論文は以下の通り。イラストはウェルカム医学史図書館からフリーにDLできる。
Rachael, Johnson. "The Venus of Margate: Fashion and Disease at the Seaside." Journal for Eighteenth-Century Studies, vol. 40, no. 4, 2017, pp. 587-602, doi:doi:10.1111/1754-0208.12508.
イラストの作家はイギリスの著名な風刺画家であるトマス・ローランドソン (Thomas Rowlandson, 1756-1827) である。ローランドソンには、人々が温泉(スパ)で薄着で入浴する女性をのぞきこむ好色ぶりを描いた作品などがある。この二点の作品も似たような発想で、海水浴の地として出現した Margate の地を風刺した作品である。海水浴を全裸でしている女性の泳ぎぶりを、海辺の人々が見とれているという構図である。女性の全裸体をアップしながら、海岸の人々が好色で見ることも強調することを一つの画面に取り込む発想は難しかったのだろうが、その部分はまあいい(笑)また、これはもちろん風刺画であって、1800年近辺のイギリスの海水浴はかなり本質的な性格が違う。まず、1830年以降に流行して定着した海水浴と違い、もともと病弱者が健康になるための養生であった。また、多くが男性患者であり、女性は少なかった。男性が全裸になることはあったが、女性が全裸で泳ぐなどはありえないことであり、薄いガウンを着ていたという。
この二点のイラストには、これまで医学史研究者が探すのがうまかったのと正反対の風刺が行われている。病弱さがかもしだすはかなさの魅力や、結核による衰弱が周囲と患者に起こす自己愛だとか、そのような病気と美しさの連接ではない。むしろ、その正反対である。溌剌とした身体が作り出す魅力だとか、健康と運動が性的な吸引力があるという方向である。
この方向は、19世紀の末から20世紀の前半の優生学や帝国主義で一つの頂点に達したと考えている。私は Michael Hau の著作がすぐれていると思う。ただ、ローランドソンの風刺画は、それともちがった価値観を表明している。
Hau, Michael. The Cult of Health and Beauty in Germany : A Social History, 1890-1930. The University of Chicago Press, 2003.
今朝のEconomist Espresso で、サウジアラビアの女性が自動車の運転免許を持つことができるようになるというニュースを読む。サウジアラビアで近代化を指導するムハンマド・ビン・サルマン王子の指導のもとの改革だという。これで世界のすべての国で女性が自動車を運転できるようになったとのこと。また、女性が免許の審査に応募したり、タクシーやユーバーの運転手になろうとしているとのこと。基本的に素晴らしいことだと思う。サウジアラビアの女性の皆さま、おめでとうございます!
エコノミストの記事では、さらに近代化する道のりとして、女性が医療を受けるときに、男性の保護者なりの許可が必要であるという現在の状況を変化させなければならないと書いていた。これもその通りだと思う。それはサウジアラビアの女性が、夫や父が知らない性行為をしていいということであり、そんなことはけしからんという議論があるのはたしかにわかる。しかし、それよりも、女性が自らさまざまなことを判断できる制度と社会になっていることがずっと有効であることは、20世紀後半の医療の国際比較研究が証明している。1980年代の第三世界の国家のさまざまな指標と、乳児死亡率の相関係数を較べてみると、人々、それも女性・母親の教育などが大きく、一人当たり収入、看護婦、栄養、医師などの貢献は決して大きくない。(図1参照)このようなデータを私が知り、男女の等しい権利の社会が医療の側面で優れていることを実感したのは、Caldwell, John C. "Routes to Low Mortality in Poor Countries." Population and Development Review, vol. 12, no. 2, 1986, pp. 171-220, doi:10.2307/1973108. という論文だった。懐かしい論文なので、自動車の記事を読んで書いておいた。
指標 | |
1960年女児就学率 | -0.8563 |
1960年男児就学率 | -0.8374 |
1981年家族計画実施率 | -0.8234 |
1981年女児就学率 | -0.7932 |
1981年中等教育就学率 | -0.7917 |
1960年中等教育就学率 | -0.7338 |
1981年男児就学率 | -0.6219 |
1980年対人口医師数 | -0.6105 |
1981年人口あたり消費カロリー | -0.6095 |
1980年対人口看護婦数 | -0.4401 |
1982年一人当たり収入 | -0.3109 |