クマムシ!

鈴木忠. クマムシ?! : 小さな怪物. vol. 122, 岩波書店, 2006. 岩波科学ライブラリー.
 
慶應日吉の同僚の生物学者の鈴木先生からクマムシの書物をいただいたことがある。鈴木先生は多くの真面目な論文も書いているのだろうが、この岩波の書物はクマムシについて一般の人々に向けて語った面白い書物である。ことに「クマムシ伝説の歴史」と題された第三章は、クマムシについての18世紀から20世紀のヨーロッパの研究をまとめていて、とても面白い。イギリスやアメリカの科学史研究者が行うような、学術としての科学史研究として優良かという問題ではない。科学者が歴史の一角で、細かなことを調べて丁寧に楽しんで書いているありさまを感じることができる。科学者としての科学史の人文系の楽しみ方はこうであるといつも教えられる。
 
面白い歴史的な逸話がたくさん盛られているが、エルンスト・マルクスと妻のエブリンについて。エルンスト・マルクス1920年代の後半にクマムシについての論文や書物を数多く出版した。 Baertielchen (1928) や Tardigrada (1929) などがそうである。それまでの情報を網羅したクマムシ研究の一里塚であるだけでなく、挿絵が素晴らしく美しく、これは妻のエブリンがすべて描いたものであるとのこと。このエブリンは、科学者や医学者の名家の出身である。祖父はベルリン大学の生理学の教授のエミール・デュ・ボア・レーモン、父もベルリン大学の生理学の教授のルネ・デュ・ボア・レーモンである。子供のころに父親の顕微鏡をのぞいて美しい世界に惹かれたという。ベルリンで動物学の教育を受けているときに、ベルリンの動物学の教授であったエルンスト・マルクスと結婚した。エブリンは23歳くらい。若きエルンストとしては、教え子のエブリンと結婚したことになる。現在では眉を顰められる行為だろうが、当時はむしろよいことと考えられていたのだろう。その後も夫と共同して研究し、彼女は細密で美しい挿絵を描いたという。本書が口絵1として真っ先に選んでいるカラーの図版は、1929年に刊行された Ernest Marcus, Tardigrada の一枚である。鈴木先生の学生たちも、とても好きになっているという。この挿絵の魅力を何といえばいいのだろうか。博物館的な写実性が失われていくということだろうか(笑)
 

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戦前日本における心理調査の男女比

精神医療の制度や設備を利用する男女比は私たちにとっても面白い問題である。もちろんあまり変わらないケースも多いが、私がこれまで取り組んだ問題に関しては、鮮明な男女比が出てくることが多い。法律的に財産を所有する権限を女性が持っていない場合には、精神疾患による法的な処置の大多数は男性のものであった。

今回の本で戦前日本の精神病院の利用に関しては、男性が多く、比率でいうと男女比は2:1 である。これをどう説明するのかという大きな問題があり、色々と考えている。精神病院の利用件数でいうと、患者の家族が最も重要な判断主体であったケースが多いので、家族の中での男女観を見ることができるといい。先日読んだ『練成心理学』という書物は、日本の高等師範の心理学者たちの仕事で、刊行は1943年と遅いが、ヒントになる記述が多い。これは日本人に男女の性格の長所・短所を聞いて、その中で多くの人が上げたものを一覧表にしたものである。面白いことはいろいろあるが、個人的な衝撃でいうと、男子の短所というのが自分にものすごくあてはまることがうううむという感じだった(笑)

 

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アルコールの歴史・無料PDFも手に入ります!

link.springer.com

 

19世紀後半から20世紀初頭のイギリスにおけるアルコールの問題についての書物。マクミランから刊行された書物であり、ウェルカム財団の学術出版資金を獲得したため、無料でPDFを読むことができる。まだ読んでいないが、とりあえずダウンロードしておいた。学術出版の助成という仕組みは日本にも存在して、私の身の回りでも著名な出版社が行っている。日本では無料PDFの提供ではなく、価格は発生しているのだろうと思うが、おそらく無料PDFを行えるようになるといいのだろう。これは学術書だけでなく、視覚やカラー画面を強調する書物に関してふさわしいタイプなので、次の企画で考えてみようと思っている。

アルコールの歴史は、歴史においても現在と将来においても面白い主題である。タバコに関して、嗜癖とある種の快楽の問題の議論の結果、先進国の多くがマイナスの態度を取り、社会的な違いが現れる現象になった。日本も数歩遅れてその流れに乗っている。同じようなネガティヴな流れがアルコールに関して起きるのか、それともそこに違いが現れるのか、とても興味がある。

ラエネックの聴診器の授業

chigai-medicalguide.net

Laennec, René Théophile Hyacinthe. 聽診法原理および肺結核論. 柴田進訳・解説. 創元社, 1950.
 
ラエネックの聴診器に関する大学院の授業。毎年苦労しながら手ごたえを感じているという不思議な授業である。今年は色々考えることがあって1950年の日本語訳を使ってみた。日本語訳も、X線が現れて用いられるようになり、ラエネックの聴診がすでに用いられなった状態での翻訳と解説で、新しい面白さがある。また、ラエネックのテキストを読んでもいろいろと趣きが深い発言がある。今年の面白い点は二つ。一つは、患者の体内から聞き取ることができた音を、どうやって同じものだと理解できるのかという学生の問題提起に対して、日本野鳥の会の聞き分けの原理を説明できたことである。さまざまな鳥の声は、似ているものがあっても、それらは違う鳴き方をするし、会員でその違いを共有できるという説明の仕方を思いついた。授業中にハシブトガラスハシボソガラスの聞き分けの実例を出してみたけれども、この例は違いすぎてあまりよくない。シジュウカラとコガラやヤマガラなどがいい。その実例は自分で作っておこう。
 
もう一つ、学生からのすぐれた提示は、大学院生で医師である三原さんが実際に聴診器を持ってきて、使い方などを教えてくれたことである。これは授業の水準をとても高くしてくれたし、その現実が分かってからラエネックを習うというのは大学院の医学史のある側面にとっては必須の内容である。また、三原さんは、二種類の断続性ラ音(ラッセル音)を聞き分けて区別するサイトを紹介してくれた。一番上のサイトをみていただきたい。これも、シジュウカラとコガラやヤマガラの聞き分けの例ととてもよく似ている。医師が医学史の教育に参加することの大きなメリットである。三原さん、ありがとうございます! 

医学史と社会の対話ー優れた記事の紹介⑪

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医学史と社会の対話は、国際医療の視点も持っています。古代には特定の都市での解剖の観察、医学写本の交換、遠隔地からの薬の輸入も行われましたし、近現代においては WHO (世界保健機構)や「国境なき医師団」も活動しています。このような医療に合わせて、文学の領域では、ボッカッチオ、デフォー、カミュらがペストについて書いています。詫摩佳代先生の、文学を背景にして国際医療の歴史を語った記事。ぜひお読みください!

 

 

医学史と社会の対話ー優れた記事の紹介⑩

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中原呉郎は医師であり、数年ほどは療養所に勤めてハンセン病の治療をしました。それと同時に、『山羊の歌』『在りし日の歌』などで著名な詩人・中原中也の弟でもありました。中原呉郎の医療と文学と患者との生き方。文学の世界での競争に敗れることと、その中での静かな充実感と合わせた美しい文章を佐藤健太氏が綴っています。ぜひお読みください!

医学史と社会の対話ー優れた記事の紹介⑨

igakushitosyakai.jp

 

『ダウン症の歴史』パーティーで思ったこと /大谷 誠(同志社大学) | 医学史と社会の対話

 

ダウン症の歴史を軸にして、イングランドの精神医療の歴史を研究したデイヴィッド・ライト先生は、著作は日本語に訳され、しばしば来日しています。ライトの著作の訳者であり、ご本人もイギリスと日本のダウン症の歴史などを研究しておられる大谷先生による記事を二つ。ぜひお読みください!