ビルマ戦線での英軍捕虜と疾病について

mosaicscience.com

 

soundcloud.com

 

イギリスのウェルカム財団は、第二次大戦中にビルマ戦線で日本軍がイギリス兵の捕虜に何を行ったのかという番組とそのテキストをアップロードしている。さまざまな意味で過酷な取り扱いをして、暴行に至ったことはよく知られているが、日本人がつい忘れがちなことである。テキストにもなっていて、学部の演習などにすぐれた資料にもなっているから、お使いいただきたい。

私も少し聞いてみて、熱帯の状況において捕虜に対する日本軍の熱帯医学について、改めて考えることがとてもたくさんあった。栄養のこと、参考図である「感染症病院」のこと、捕虜への処罰のこと、多くのことを学ばなければならない。ことに、赤痢の問題は、もう一度丁寧に考えてみよう。いま手元にはないが、小菅信子先生の論考をもう一度読んでみよう。石塚久郎・鈴木晃仁共編『身体医文化論ー感覚と欲望』(2002) に掲載された「<戦死体>の発見」が、同じ主題を扱っています。

f:id:akihitosuzuki:20180803093029j:plain

画像は捕虜による赤痢感染症病院のスケッチ。

『野鳥』2018年8月号より、シマフクロウとカラスの記事

日本野鳥の会 : 会誌「野鳥」

 

小さな仕事の区切りがついたので、日本野鳥の会の会誌『野鳥』を読んだ。北海道のシマフクロウの記事が面白かった。北海道大学の理学大学院の増田隆一先生が、現住の鳥や博物館の鳥の剥製をもとにして、そのミトコンドリアDNAなどを指標にした研究。北海道集団と大陸集団がとても違っており、50万年前くらいに分化がはじまっているとのこと。北海道といったが、ロシア政府に調査を認められて行ったのが、国後島択捉島、サハリンのシマフクロウで、そこにも日本タイプのシマフクロウしかいないという。色々と複雑ですね(笑)

もう一つが、カラス学者の松原始のインタビューで、日本のカラスの素晴らしい食べ物の話。 東京のカラスはクルミ割りを、北海道の港にいるカラスはバイ貝を、東京の埋め立て地のカラスはホンビノス貝を食べている。北海道の厚岸あたりでは、試算すると一日2千円ぶんぐらいのウニを食べているという。ううむ。羨ましくなった(笑)

大英博物館のアッシュルバニパル王とアッシリア文明展

blog.britishmuseum.org

 

大英博物館でアッシュルバニパル王に焦点をしぼったアッシリア文明展をするとのこと。アッシリアはイギリスに留学したときにとても惹かれていた文明だった。ギリシアやエジプトと異なった彫刻が美しく、大英博物館の彫刻を巨大な背景として上演したヴェルディのオペラ『ナブッコ』を日本で観たこともあって、青春の一コマになっていた。大英博物館に図書を読みに行った頃には、アッシリア部門のライオン退治などの彫刻を見て学問の血が熱くなっているという、よくわからない心理状態になっていた。でも、いま改めてその彫刻を見ると、たしかに血が熱くなることは理解できる。今年の秋から来年の初春まで。この展示に行けるといいのだけれども。

 

f:id:akihitosuzuki:20180801185041j:plain

 

 

 

日本語原稿と英訳原稿

色々な事情が重なって色々な企画ができるというのは本当である(笑)故金森先生のご逝去に関して、彼の業績に関する知的なまとめの議論を示し、それに日本の医学史研究の発展を合わせて論じるというよくわからない話である。一番大きな難題は、それを一流の国際誌に英語で提示することである。かなり難しいが、私たちはその企画を実現するために頑張っている。

その中で一つの大きな問題が、日本語で素晴らしい原稿を書くことと、それを英訳することである。例外なしに全部の学者が英語が書けるようになればよいというのももちろん正しい議論である。私もそう思う。しかし、そうでない学者もたくさんいる。私の在任中にはそんな世界は実現しない。あるいは、プロフェッショナルな翻訳サービスに頼むという方法もあるだろう。二言目にこれを出す日本語執筆学者もいる。私はお願いしたことがないのでわからないが、うまく使っている人もいるのだろう。

私は、学者の共同体の中では、現在の段階では、できない言語への翻訳を、あるチームの中で面倒を見るのがよいと思う。これは直感の問題だけど、英語執筆能力は広がっていくだろう。ことに、文学研究や文化史などは、学術的な言語が二つできると素晴らしいことになる。しかし、現段階では一つだからと言って、共同体からはじかれてはいけない。共同体が助けなければならない。もちろん、いつまでも一つでいい、誰かが必ず助けてくれると思い込むとしたら、それは私から見るとほとんど卑劣な思い込みである。ごく近い将来に二つの学術言語を持つこと。そのようなことを考えて、若手学者の日本語原稿を私が英語に訳してみました。この仕事もあと少しです。

あと1パラグラフで英語6,000語の論考の第一原稿が終わる。故金森修先生の日本語の単著16冊を書評して全体像を描いたもの。ファースト・オーサーはもちろん奥村君 で、大変な仕事をしてくださいました。有難うございます!

私の仕事は奥村君の原稿を英訳すること。日本語で素晴らしい原稿を書ける研究者と、それを英語に直すことができる研究者の組み合わせです。時々プロフェッショナルの翻訳者に依存する方を見ますが、私は研究者同士のコネクションがいいと思います。

このことは、奥村君と私が故金森先生に対する甘々のお世辞文ばかり書くことを意味しません。同じ雑誌の特集号に私が書いた別の論文もありますが、ここでは、尊敬する故金森先生のあるご著作に対して非常に批判的な議論を提示しました。

 

English Seminar 19 Sept 2018 / 英語セミナー 2018年9月19日

皆さま、5年以上続いて恒例となった英語セミナーのご案内です。これは大学院のセミナーに基盤を持ち、それ以外にもいろいろなつながりを持つ英語でセミナーの練習をしてみようという企画です。現在、学問のグローバル化を目指す多くの大学や大学院で行われているプロジェクトです。

まずは古典的な形をマスターするために、20分から30分で英語でプレゼンテーション、20分から30分で英語でディスカッションという形式になります。プレゼンテーションで優れた英語で議論を構築することはもちろんですが、ディスカッションを本格的な英語でできるようになることも大きな目標です。

場所は慶應日吉です。朝から夕刻まで場所は予約してあります。可能な方は夕刻にはキャンパス内のパブでビールを飲んだりする予定です。今年のセミナー出席者、あるいは過去のセミナー出席者、研究室のポスドク、そのほかの研究者のみなさま、ぜひ英語の論文をご準備し、ディスカッションの能力を高めるためにご出席ください。問い合わせですが、博士課程大学院生で DC の三原さんか、私自身にお願いします。

sykmihara<@>gmail.com

akihitosuzuki2.0<@>gmail.com 

今年もお待ちしております!

 

 

 

解放されて自由な野菜の簡易栽培(笑)

f:id:akihitosuzuki:20180730070352j:plain

f:id:akihitosuzuki:20180730080558j:plain

 

野菜の簡易栽培をやってみようと思い、使わなくなったお皿にブロッコリー・スーパースプラウトを蒔いてみた。一週間くらいして見てみたところ、直線性と秩序がまったく存在しないことを見せつけられた。野菜が持つ伸び伸びとした解放、あちこちに生じる自己との混乱をどうでもいいとする自由さがある。今週は、スーパーで売っているようにするために、四角くて少し背が高めのビニールポットに蒔いてみた。来週は規律の勝利を示す画像だろうと思います(笑)

MD-PhD の形式で医学と人文社会科学の二つの学位を持つ研究者

bmcmededuc.biomedcentral.com

無料で論文をDLできます。専門家だけが読んで意味を持っている論文ですが、関心がある方は読んでおくといいと思います。

アメリカでは医学博士と哲学博士の二つの学位を持つ人々がいて、MD-PhDと呼ばれている。PhD は哲学博士と訳すのだろうが、ここにはほとんどの自然科学系ではなく、多くが医学と自然科学の二つで学位を持っている。その中で、PhD を人文社会系で取得している人々も現れてきて、医学生たちに人文社会系を教えることになっている。アメリカ全体で100人から150人くらい存在して、そこから70人ほどにアンケートなどをだした調査である。教育は合計して9年かかり、88%が大学の先生だという。 近年はこれはいい制度であると好意的に受け止める若手が多いという。

「医学史」という学問領域がイギリスやアメリカで人気が高いのは、それに対する人々の関心が強いという側面と、それを医学部の教育の制度に組み込むことができているという二つの側面を持っている。前者では、医学や医療を人文社会科学者の研究対象にすることはわりと簡単である。人文学でいうと哲学、歴史学社会学、文学、人類学など、社会科学でいうと経済学や法学など、人文社会科学系で確立した領域を持っていれば、そこに医学や医療という主題を組み込むことはそれほど難しくない。イギリスやアメリカではスムーズに進行したし、日本でもかなりスムーズに進行していると思う。

しかし、後者の制度的な問題、特に医学の教育の中に人文社会科学も学んだ人をどのように取り入れるのかというのが、イギリスやアメリカでは定着しつつあるが、日本ではかなり苦しんでいる。私は総合大学で教えているから、学部1年生の医学部の学生に一般教養の歴史として基本的な医学史を教えており、そこは何の問題ない。私は楽しく教えているし、学生のレスポンスもいい。それ以上に展開する要因がないのは、慶應の地理的な特徴であり、日吉・三田と信濃町は、やはり異なったキャンパスであるからである。東大ならよさそうであるが、東大では医学部は本郷に、科学史駒場にあるという、よくわからない要因がある。京大などはどのように展開しているのだろうか。あるいは他の総合大学で、医学部と人文社会科学の学部が同じ場所にあるところだと、どのように動けるのだろうか。あるいは、順天堂大学北里大学といった、基本的には医学の単科大学が日本の医史学教育の拠点であるというのは、どう説明すればいいのだろうか。