ヴァイオレットとパープルの歴史

エコノミストエスプレッソの土曜の記事は芸術関係のものを集めたもの。一番楽しいものである。今日の冒頭は紫の歴史という面白い話。引用している Journal of Cognition and Culture の記事も読んだ。基本は、19世紀の印象派の絵画による利用とともに、紫 violet を使うさまざまな芸術作品が増えたという議論である。印象派が描く海の静謐さを語り、それによって色彩の短い波長の問題を語り、楽しそうだから読んでおく。

この議論を日本人に話すとしたら、「聖徳太子の紫」の議論が必ず出てくると思う。これについては、赤っぽいヴァイオレットと青っぽいパープルは別の色彩だという議論がはさまれている。もしかしたら日本人が査読についた時に出たのかもしれない(笑)

論文は公開になっているのでどうぞ! 

 

Tager, Allen. "Why Was the Color Violet Rarely Used by Artists before the 1860s?" vol. 18, no. 3-4, 2018, p. 262, doi:https://doi.org/10.1163/15685373-12340030.

Although the color violet is now used in a wide variety of everyday products, ranging from toys to clothing to cars, and although it now appears commonly in artistic works, violet was rarely used in fine art before the early 1860s. The color violet only became an integral part of modern culture and life with the rise of the French Impressionists. I investigated the use of violet in over 130,000 artworks prior to 1863 and found that it appeared in about .06 percent of the paintings. Violet was used substantially more frequently in Impressionist works, and remains popular in fine art and in popular culture today. I examine several explanations for the explosion of the use of violet in the art world during the Impressionist era, and conclude that a cognitive-perceptual explanation, based on the heightened sensitivity of the Impressionists to short wavelengths, may account for it. The findings fit with a new understanding about evolutionary changes in planetary light and human adaptation to light.

This paper examines a curious phenomenon: Until the time of the Impressionists in the mid-nineteenth century, works of art (though they contained color combinations and shades covering the rest of the spectrum) did not contain the color violet. After this time violet became much more popular and remains so today. There is no prior examination of this topic that I am aware of, and there are no other colors that I know of that experienced such a dramatic shift in usage in artwork over such a short period of time. The finding itself is interesting, and potential explanations for it relate broadly to principles of optics, neuroscience, biology, astrobiology, cognitive science, psychology, anthropology, linguistics, and culture.

The color violet itself must be differentiated from a closely-related color, purple, which has been used abundantly in fine art. Although the two colors may seem similar to many viewers, from the point of view of optics, there are important differences. Violet is a spectral color with its own set of wavelengths on the spectrum of visible light. Purple on the other hand is a polychromatic color, made by combining blue and red. Purple is reddish and belongs to the red family of colors, whereas violet is bluish and belongs to blue family of colors.

OUPの医療倫理の歴史のサイト

blog.oup.com

OUPから生命倫理学の著作案内のご案内が来た。OUPだけで数百冊も出ている人気領域でどれを読むか迷うくらいである。その中で、医療倫理の歴史を描いた媒体があって面白かった。年表と有名な事件とOUPの人気書への案内という組み合わせである。10冊から20冊くらいの本を読むと一通りわかるという仕掛け。なかなか売り込みがうまい(笑)

f:id:akihitosuzuki:20181026184254j:plainしかし、OUPには珍しいミスも多い。「ヒポクラテスの誓い」はヒポクラテスが書いたという記述や、Whittenberg 大学で誓いを卒業式で言わせたという記述など、OUPには珍しいミスが多い。ヒポクラテス自身が書いたものとは考えないし、Wittenberg のドイツの地名のスペルには h は入らない。ううむ。

オーストラリアが世界で最も優れた先進国か

www.economist.com

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エコノミストの記事。オーストラリアが発展していること、それも世界の先進国で最も優れた国になっているという記事である。独立して読んでもいいし、学問の世界でもその傾向があると実感する。私はニュージーランドには何度か行ったけれども、実はオーストラリアに行ったことがないから、美化しているのかもしれない。オーストラリアの医学史研究は非常に活発であり、外国出身の教員も多いし、留学生にとっては英語を使ったアクセスなども急速に発展している。日本の医学史にはこの仕掛けがない。この記事で日本が批判されているのは、むしろ外国人への差別的な対応である。オーストラリアのようなステータスは、日本はだいぶ遠い。大学院で医学史の教える方法を考え直してみようと思う。

 

バイオエシックスと技術

加藤尚武先生の『バイオエシックスとは何か』という書物は、大きな字で印刷されているが、とてもいい書物である。哲学と歴史の関係は面白いもので、医学に関する哲学的な分析は、医学の歴史的な分析と、どのような関係になるのか、私もよく分からない。先日、金森先生のお仕事と医学史というよく分からない主題の仕事をしたときに、哲学と歴史の関係の分からなさはある意味で続いたけれども、哲学からのメッセージが大きいことも実感することができた。加藤先生の書物の前半部分も同じである。ことに、技術に関する議論と、イギリスの哲学者であるジョン・ロックについての議論の二つが素晴らしかった。
 
技術は運命という名の自然的選択を、人間の手にかかる、それゆえに選択的な選択に置きかえる。
技術は、一般的にそれまで自然の運命の手にゆだねられていたものを、人為的な処理可能な形に置き換えるものなのである。
人間が持っている魂のアニミズムに対して、功利主義と民主主義の議論である。

20世紀の中国医学における母乳論

大道寺慶子「『婦女雑誌』の母乳育児論に見る身体と近代」
 
大道寺さんのとても良い論文。1915年から1931年の上海で刊行されていた月刊誌『婦女雑誌』に掲載されている母乳論が分析の核。この20世紀の中国の女性用雑誌の内容を分析するのに、4つの軸がある。一つが中国医学の伝統的な考えと比較すること、第二に上海で起きている女性の母乳問題に組み込むこと、第三に当時の欧米の母乳論・社会運動と較べること、そして第四に同時代の日本の類似の雑誌『主婦之友』と較べることである。母乳というのは、もちろん医科学だけの問題だけではなく、社会や文化の問題とも密接に組み合わさっている。
 
乳汁は気血の変化した一形態である。乳母の血気が乳汁になる。乳母の体液と気の状況が乳汁に大きな影響を与える。彼女のさまざまま症状が乳汁に悪い影響を与える。姿形、わきが、体が曲がっていること、咳、かいせん、痴呆、淋病、白禿げ、瘰癧(るいれき)、潰瘍、口・耳の障害、鼻が詰まっている、癲癇などである。こうした症状がない乳母は雇ってよろしい。これは乳母の心性、心情、行いであり、気質である。これは、女性の身体から分泌されるものがつながっていることである。経血と乳汁の同類性である。李時珍『本草綱目』では、母乳は陰血に由来し、脾や胃より生ずる。妊娠がないときには普通の経血に、妊娠すると体内の液体に、出産すると赤が白に替わって乳汁になる。だから、生母が妊娠中に胎毒にかかる。食事、辛いもの熱いもの甘いもの脂っこいものなどを取り過ぎたこと、生活の乱れ、五臓の乱れである。 経血ー悪露ー乳汁の流れである。

イギリスの結核、日本の結核、南アフリカの結核

Packard, Randall M. White Plague, Black Labor : Tuberculosis and the Political Economy of Health and Disease in South Africa. University of California Press, 1989.

青木, 正和. 結核の歴史 : 日本社会との関わりその過去、現在、未来. 講談社, 2003.

結核の授業で結核の上昇と低下の双方に産業革命が密接な関連を持っていた話をした。イギリスを筆頭に、それから世界各地で産業革命が進行して、それが持つ幾つかの要因が、あるものは結核を上昇させ、あるものは結核を減少させたという古典的な議論である。イギリスの rise and fall の話があり、エンゲルスマンチェスター報告があり、マキーオンの栄養状態の話があり、スレーターの批判がある。それに日本の女工哀史の話をつけて、日本においても産業革命が重要であったという話を出す。いつものパターンである。
 
昨日の授業では新しい話をつけようとしたが、時間の不足でうまくできなかった。それが南アフリカの話である。パッカード先生の White Plague, Black Labor という傑作があり、それをもう一度読んで考えているうちに、日本の結核南アフリカと類似な部分が多いという議論を作ることができる。南アフリカでは金やダイヤモンドの鉱山で近代化の居住の構造などが作られ、そこには白人ではなくアフリカ現地人の男性が集中したため、地方部の鉱山地帯で、結核の近代的な疾病の構造が作られるという面白い現象が起きる。現在の死亡率でいうと、黒人、有色人、アジア人をたして99%、白人はたったの1% である。それと類似しているのか、日本では女性が結核の被害者になっている。地方部の若い女性が繊維産業の女工にやとわれ、そこの生物学的な人口密度の問題や、そのような新しい地域の社会・文化・感情の新しさのため、結核の死亡が女性のほうが多いというユニークな現象が起きている。In Japan, modernity in the body took place first in young women's bodies.  ということになる。  
 
もう一つ面白いのが、死亡率の劇的な減少の問題である。1940年代から開発されたストレプトマイシンや PAS (para‐aminosalicylic acid)は、1950年代からの結核の死亡率を南アフリカでも日本でも激減させた。この激減と喜ばしい感覚はその通りである。ただ、ヨーロッパや北米やAU/NZ のような、長い経済と社会の動きの中で結核が減少した過程と比べると、日本と南アフリカでは、薬だけでミラクルが起こされたという性格が非常に強い。また、これらの薬が起こしたのは、死亡の減少であって、罹患の減少は劇的ではないとのこと。だから、現在でも日本の結核の罹患は、いまだに中程度で、日本が多くの部門でもたらす世界有数の良いパフォーマンスを見せることができないのかもしれない。