江戸時代の大名・旗本による博物誌の研究

科学朝日編集部 and 磯野直秀. 殿様生物学の系譜. vol. 421, 朝日新聞社, 1991. 朝日選書.
 
江戸時代には、大名や旗本たちが、博物誌の書物を座右に置き、植物や動物を収集し、それを写生したことなどが知られている。徳川家康も『本草綱目』を最初に見た日本人の一人であり、また皇室も昭和天皇や平成天皇生物学者である。これらは薬学の一部ではないが、薬の産業と深い関係を築いた。この部分は江戸や名古屋などを背景とする部分で、英語でパラグラフを一つ書いてみた。
 
それとは別に、冒頭で20世紀初頭に日本鳥学会(にほんちょうがっかい)が多くの華族によって作られた。1912年に飯島魁の東大教授が主唱して、鷹司信輔(公爵)黒田長禮(侯爵)、松平頼孝(子爵)らが組織して、ほどなく山階芳麿(侯爵)、蜂須賀正(侯爵)、清棲幸保(伯爵)、池田真二郎(男爵)なども参加した。日本野鳥の会(にほんやちょうのかい)は、多少は重なっていたが、1934年に創立されて裾野で鳥見を行った。会長は初代は中西悟堂で、華族ではなかったが、藩士の息子であった。
 
会員数でいうと次のようになる。日本鳥学会の会員は1,200人、日本野鳥の会 がその40倍くらいの51,000 人。そこにイギリスのRoyal Society for the Protection of Birds の会員を数えると、野鳥の会の20倍をおそらく超えている100万人以上。 RSPB の雇用者が1,500人を超えているから、日本鳥学会の会員数より大きい。

アフリカと近現代の医学

Baronov, David. "Shifting Agendas and Competing Interests within Public Health, Science and Technology, and Medicine in Africa." Isis, vol. 109, no. 4, 2018, pp. 809-816,

Iliffe, John. The African Aids Epidemic: A History. Ohio University Press, 2006.

Lachenal, Guillaume. The Lomidine Files: The Untold Story of a Medical Disaster in Colonial Africa. Johns Hopkins University Press, 2017.


火曜日は疾病の歴史の最後の回で、アフリカの HIV/AIDS の話をした。John Iliffe 先生の書物が素晴らしかったので、西部の赤道地帯で発生し、そこから東部へ、最後には南部に移動していくこと、しかしいずれの地域でも異なる状況があったことなどをメインにした。もう一つ、Isis で読んだエッセイ・レヴューで、近年のアフリカ研究の方向性についての良いポイントがあったので、そのような部分も Iliffe 先生の本の最終章から拾ってきた。

このエッセイ・レヴューで書評されていた、ギヨーム・ラショナル先生が書いた書物が、フランスの植民地医学の疾病対策とその失敗について。フランス語から英訳された。エッセイの本流とは異なるが、面白そうなので買っておくことにした。「ロミディンの事故」と呼べる、フランスが1930年代から50年代にかけてアフリカの植民地で起こした事件である。アフリカで眠り病のワクチンとして開発されたが、非常に大きな人体被害が出てしまったとのこと。公衆衛生ワクチンが起こしていた事件である。これも知っておこう。

Until recent times, the conventional history of public health, of science and technology, and of medicine has been presented in the West as a tale of out-migration from the advanced, developed world (principally Europe and the United States) to the less developed (or underdeveloped) world.  By this account, Africa emerges as a peculiar mix of charity case, experimental laboratory, and lucrative market. The four works considered here mark a significant turn in this curiously one-sided and resilient story line. Each text begins from the premise—some more forcefully then others—that Africans have always been, and remain today, active agents in the creation, development, innovation, and adaptation of knowledge and practices across public health, science and technology, and medicine.

研修医制度とカルテについて

www.igaku-shoin.co.jp

週刊医学界新聞が「研修医特集」である。医学部で6年間勉強して、国家試験を通って、それから2年間「研修医」として大学病院や大きな病院で修業をする仕組みである。私は詳しくは知らないが、1950年代から60年代末まで、若手医師に対するインターン制度をめぐる闘争のあと、研修医制度になったらしい。いい本を読んでおこう。

医学界新聞の今号のあちこちに、過去に診療録をどのように記入したかという医師たちの記憶がある。これは私の仕事に大事なことなのでメモをしておいた。また、患者と接触することを外国語(おもに英語)でどのようにするかということについても書いているお医者さんがいらして、面白いことを書いているから、そこもメモをしておいた。

ベスレム精神病院・こころの博物館における「メランコリー」の展示

museumofthemind.org.uk

 

先週の合評会のあとで少しお話をした時、ベスレム精神病院の「こころの博物館」Museum of the Mind をご存知ない方がいらした。たまたま「憂鬱の解剖」という新しい展示の広告が出たこともあり、お知らせ。

これは17世紀のロバート・バートンの『憂鬱の解剖』Anatomy of Melancholy という書物にちなんだ展覧会の名称である。バートンを専門とする英文学者の講演も行われる。18世紀のジョージ・チェイニィが富裕な層がなる「イギリス病」と呼ぶ神経論や、16世紀のスペインのキリスト教におけるメランコリーの取り上げなど、面白い講演と合体している。背景に理系と技術の発展があり、それと並行して文系の学術的な専門家の育成があり、それから30年か50年ほどすると、文化はこのように成長するということだと思います。

 

フランスの薬学の歴史

Kahn, Axel et al. くすり・軟膏・毒物 : 薬学の歴史. 薬事日報社, 2017.

フランスの薬学の歴史の翻訳を見た。非常に素晴らしい。

パリ・デカルト大学の薬学・生物学部がベースである。13世紀の半ばにシャルトル修道会の修道院を作り、そこで植物園か薬草園を作るようになった。18世紀初頭から国際的な名声を得て、1,400本の樹木類を持つようになった。1578年には優れた薬剤師のニコラ・ウェルが「キリスト教善意の家」を設立し、17世紀初頭にはパリ薬剤師共同体が受け継ぎ、1630年以降にはパリ薬剤師組合がここに本部を置く。1777年には「パリ薬剤師養成学校」となり、フランス革命時に解散させられるが、その後に再建される。1875年に薬学の学校が造られる。美しい建物や内装がすばらしいとのこと。

何よりも重要なのは、そこが豊かな史料を持っていることである。公開審査室、医療博物館、薬物、道具などが展示されているとのこと。この書物に掲載されている画像も、私が初めて観るものばかりである。選んでくるセンスも素晴らしい。内科医か薬種商が浣腸器を持ち、患者も肛門に液体を注ぐあたりが、一昔の医者と患者が持っていた液体的な身体観を表現している。それと同時に、ルーブルの所蔵されている作品であることも、やはりセンスがいい。20世紀初頭の女性のエロスをさりげなく表出するあたりも、さすがフランス芸術の全盛時代に作られたと実感する。

Hektoen Inernational の記事を読むと面白さがアップします。ルイ14世は一生で浣腸を2,000回行ったとか、色々と考え直す事例がありますね。

hekint.org

 

呉秀三の私宅監置論文が英訳されました!

https://journals.sagepub.com/doi/10.1177/0957154X18818045#articleCitationDownloadContainer

 

Hashimoto, Akira. "‘The Present State and Statistical Observation of Mental Patients under Home Custody’, by Kure Shūzō and Kashida Gorō (1918)." vol. 0, no. 0, p. 0957154X18818045, doi:10.1177/0957154x18818045.

愛知県立大学橋本明先生。 History of Psychiatry に呉秀三・樫田五郎『精神病者私宅監置の実況』の一部を英訳して発表されます。家族・親族から精神病院への移行が始まる時期に、精神病院を擁護する東大教授の呉秀三の文章です。金川英雄先生により2012年に現代語訳もされています。ぜひ、どちらもお読みください!

This text, dealing with the private confinement of the mentally ill at home, or shitaku kanchi, has often been referred to as a ‘classic text’ in the history of Japanese psychiatry. Shitaku kanchi was one of the most prevalent methods of treating mental disorders in early twentieth-century Japan. Under the guidance of Kure Shūzō (1865–1932), Kure’s assistants at Tokyo University inspected a total of 364 rooms of shitaku kanchiacross Japan between 1910 and 1916. This text was published as their final report in 1918. The text also refers to traditional healing practices for mental illnesses found throughout the country. Its abundant descriptions aroused the interest of experts of various disciplines.