環境史と医学史を考えるマクロ・ミクロな視点について

Sellers, Christopher. "To Place or Not to Place: Toward an Environmental History of Modern Medicine." Bull  Hist Med, vol. 92, no. 1, 2018, pp. 1-45, https://muse.jhu.edu/article/691229.
 
臨床医学と患者の関係についてのいい鳥瞰とこれからの見取り図。ことに、環境史と医学史がどのように重なるべきなのかについて。
 
疾病や医療の問題を考えるときに、疾病が大きな環境によってどう影響されるのかという問題は医師や医療関係者のほとんどが分かっています。マクロなレベルで、環境がどうなのか、エコシステムはどうなっているのか、それがどのように疾病に影響を与え、公衆衛生や地域医療に影響を与えるか、勉強されていると思います。下水道の設立が進んでいない大都市では、赤痢や腸チフスが常に存在することになり、免疫不全ウィルスを持つチンパンジー接触している西アフリカの地域では HIVが発生してくる。これらは大きな環境やエコシステムの影響です。それを取り込んで、臨床を考えることができる。論文もそれに反映します。JAMA (Journal of American Medical Association) や NEJM (New England Journal of Medicine) といったメジャーな雑誌では、論文全体の12%から15%が環境を考えたもの、小児科の雑誌である Pediatrics では25%におよびます。マクロな水準だと、環境の影響として臨床に取り込むことができます。
 
一方、ミクロなレベルだと、医師たちが臨床で分からないことが多い。患者が疾病にかかった場所は、医師の病院から少し離れた場所です。そのため、街の通り、個別の家、そしてその個人が、それぞれのローカルな場所で、ミクロな環境の変化によって、どのように影響を受けるのかが、変わってくる。その可能性を、臨床の中立性を信じることによって距離をとるという発想があります。
 

江戸の武士と商人と売薬

吉岡信. 江戸の生薬屋. 青蛙房, 1994.
 
歴史学や医学史の学術性や方法論で言うと、正しいかどうかはまったく別にして、とても面白い議論である。武士の力と商人の道という二つの枠組みで江戸時代(徳川時代?)の薬の発展を説明している。
 
武士に関しては、家康が始めて、その後も多くの大名や旗本が従った薬への興味が上げられる。一つは、この時期に武家が確立した医学や薬に関する好奇心が基礎になる。徳川家康もそうであるし、多くの大名が徳川時代を通じて、薬や博物学に興味を表現していた。「武士」であるのに、250年ほどの平和な期間をキープしたことの重要な要素である。
 
これと並行して、薬を入手したり、売薬の形で市場を用いて購入できることとなった。入手では、特に農村部で多く、植物を手に入れて少し加工する、うどんの粉を焼き付けるなどができる。
 
一方、商人たちは、京都、大阪、江戸などで薬を売ることとなった。そこで高価な薬が実は偽なのに売られ、それが死刑によって処罰されるということも起きる。しかし、商人たちは、心学を学び、武士による支配と併存しながら、大きな利益を得ることを目標にする。
 
山東京伝曲亭馬琴式亭三馬らは、成功した浮世絵師、戯作家、読本作者、地本問屋であり、同時に薬を売っていた。山崎美成も薬を売っていた博識者で、馬琴らと、そば屋で出会う「けんどん」は「慳貪」なのか「巻飩」なのかで論争したりした。ここも面白いけれども、この問題に関しては、ヤングさんがプリンストンの博士論文できちんとした分析を書いていたから、もう一度それを読もう。 
 
管理する人、売る人たちについては、江戸時代の大きな枠組みが書けるようになってきた。江戸期の患者については、力が足りないだろうから、どこかでパラグラフを作って処理しよう。 
 

グローバルなWHOとウェルカム財団の食養生論

eatforum.org

今朝のエコノミストエスプレッソから。EAT という団体がある。それが何の略称か私にはわかっておらず、食べることに関係があることは確かである。その団体が、カラーの面白い冊子を出して、2050年までに人類の食生活を変えねばならず、牛肉などの消費を半分に、砂糖の消費も半分に、そして木の実を二倍にすると大いに健康になるとのこと。写真やイラストを見ると、たしかに牛肉も砂糖もなく、その代わりに木の実と野菜はたんまりと出されている。うううむ。まあ、でも言うことを聞いておいて、そば屋に入ったら、牛スジの煮込みではなく、枝豆と揚げ出し豆腐を食べることにします(笑)

 

 

akihitosuzuki.hatenadiary.jp

江戸時代の大名・旗本による博物誌の研究

科学朝日編集部 and 磯野直秀. 殿様生物学の系譜. vol. 421, 朝日新聞社, 1991. 朝日選書.
 
江戸時代には、大名や旗本たちが、博物誌の書物を座右に置き、植物や動物を収集し、それを写生したことなどが知られている。徳川家康も『本草綱目』を最初に見た日本人の一人であり、また皇室も昭和天皇や平成天皇生物学者である。これらは薬学の一部ではないが、薬の産業と深い関係を築いた。この部分は江戸や名古屋などを背景とする部分で、英語でパラグラフを一つ書いてみた。
 
それとは別に、冒頭で20世紀初頭に日本鳥学会(にほんちょうがっかい)が多くの華族によって作られた。1912年に飯島魁の東大教授が主唱して、鷹司信輔(公爵)黒田長禮(侯爵)、松平頼孝(子爵)らが組織して、ほどなく山階芳麿(侯爵)、蜂須賀正(侯爵)、清棲幸保(伯爵)、池田真二郎(男爵)なども参加した。日本野鳥の会(にほんやちょうのかい)は、多少は重なっていたが、1934年に創立されて裾野で鳥見を行った。会長は初代は中西悟堂で、華族ではなかったが、藩士の息子であった。
 
会員数でいうと次のようになる。日本鳥学会の会員は1,200人、日本野鳥の会 がその40倍くらいの51,000 人。そこにイギリスのRoyal Society for the Protection of Birds の会員を数えると、野鳥の会の20倍をおそらく超えている100万人以上。 RSPB の雇用者が1,500人を超えているから、日本鳥学会の会員数より大きい。

アフリカと近現代の医学

Baronov, David. "Shifting Agendas and Competing Interests within Public Health, Science and Technology, and Medicine in Africa." Isis, vol. 109, no. 4, 2018, pp. 809-816,

Iliffe, John. The African Aids Epidemic: A History. Ohio University Press, 2006.

Lachenal, Guillaume. The Lomidine Files: The Untold Story of a Medical Disaster in Colonial Africa. Johns Hopkins University Press, 2017.


火曜日は疾病の歴史の最後の回で、アフリカの HIV/AIDS の話をした。John Iliffe 先生の書物が素晴らしかったので、西部の赤道地帯で発生し、そこから東部へ、最後には南部に移動していくこと、しかしいずれの地域でも異なる状況があったことなどをメインにした。もう一つ、Isis で読んだエッセイ・レヴューで、近年のアフリカ研究の方向性についての良いポイントがあったので、そのような部分も Iliffe 先生の本の最終章から拾ってきた。

このエッセイ・レヴューで書評されていた、ギヨーム・ラショナル先生が書いた書物が、フランスの植民地医学の疾病対策とその失敗について。フランス語から英訳された。エッセイの本流とは異なるが、面白そうなので買っておくことにした。「ロミディンの事故」と呼べる、フランスが1930年代から50年代にかけてアフリカの植民地で起こした事件である。アフリカで眠り病のワクチンとして開発されたが、非常に大きな人体被害が出てしまったとのこと。公衆衛生ワクチンが起こしていた事件である。これも知っておこう。

Until recent times, the conventional history of public health, of science and technology, and of medicine has been presented in the West as a tale of out-migration from the advanced, developed world (principally Europe and the United States) to the less developed (or underdeveloped) world.  By this account, Africa emerges as a peculiar mix of charity case, experimental laboratory, and lucrative market. The four works considered here mark a significant turn in this curiously one-sided and resilient story line. Each text begins from the premise—some more forcefully then others—that Africans have always been, and remain today, active agents in the creation, development, innovation, and adaptation of knowledge and practices across public health, science and technology, and medicine.

研修医制度とカルテについて

www.igaku-shoin.co.jp

週刊医学界新聞が「研修医特集」である。医学部で6年間勉強して、国家試験を通って、それから2年間「研修医」として大学病院や大きな病院で修業をする仕組みである。私は詳しくは知らないが、1950年代から60年代末まで、若手医師に対するインターン制度をめぐる闘争のあと、研修医制度になったらしい。いい本を読んでおこう。

医学界新聞の今号のあちこちに、過去に診療録をどのように記入したかという医師たちの記憶がある。これは私の仕事に大事なことなのでメモをしておいた。また、患者と接触することを外国語(おもに英語)でどのようにするかということについても書いているお医者さんがいらして、面白いことを書いているから、そこもメモをしておいた。

ベスレム精神病院・こころの博物館における「メランコリー」の展示

museumofthemind.org.uk

 

先週の合評会のあとで少しお話をした時、ベスレム精神病院の「こころの博物館」Museum of the Mind をご存知ない方がいらした。たまたま「憂鬱の解剖」という新しい展示の広告が出たこともあり、お知らせ。

これは17世紀のロバート・バートンの『憂鬱の解剖』Anatomy of Melancholy という書物にちなんだ展覧会の名称である。バートンを専門とする英文学者の講演も行われる。18世紀のジョージ・チェイニィが富裕な層がなる「イギリス病」と呼ぶ神経論や、16世紀のスペインのキリスト教におけるメランコリーの取り上げなど、面白い講演と合体している。背景に理系と技術の発展があり、それと並行して文系の学術的な専門家の育成があり、それから30年か50年ほどすると、文化はこのように成長するということだと思います。