ケタミンというドラッグとうつ病治療薬

薬品の中で伝統薬品や民間薬品よりも難しいのが、合成された薬品で、服薬して精神的な効果を期待しているものである。メスカリンやLSDヒロポンなどがそれの始まりで、それから数えきれないほどのドラッグが現れている。合成できること、色々な効果を考えられることがあって、20世紀の中葉から次から次へと生産された。合法なもの、非合法なもの、処方があれば入手できるもの、小さな実験室で作ってそのあたりで売っているものなど、多くのものがある。医師やアーチストや哲学者など、多くの人々が用いていた。ハクスリーやミショーの作品は熱心に読んだり見たりした。ことに医師がこの手の精神薬物を乱用していたことは、1930年代の東京の精神病院を見ているととてもよく分かる。中毒ー入院ー治療ー退院ー外でまた用いて中毒ー再入院という医師の被害が非常に多い。
 
エコノミストエスプレッソが、このケタミンが処方に基づいたものになったという記事を載せ、ケタミンを知らなかったので調べてみた。発見は1962年。まずは動物で実験して、囚人相手に実験をして、ベトナム戦争では1970年代に麻酔剤として用いられた。1970年にはクラブ・ドラッグとして流行した。現在のアメリカでは、医者がある分量を処方すればうつ病の薬として使うことができるということ。中国やインドが生産地であるとのこと。

海軍とGHQと日吉の福沢諭吉

AUKEMA, Justin "Cultures of (Dis)Remembrance and the Effects of Discourse at the Hiyoshidai Tunnels."  Japan Review, vol. 32, 2019, pp. 127-150.
 
慶應の日吉キャンパスは、当初は慶應が所有していたが、第二次大戦の前後に、まずは海軍が所有して本部を置いて大きな地下塹壕を作り、敗戦後にはアメリカが所有するようになった。面白いのは、これに応じて慶應側が福沢諭吉の位置づけを大きく変えているということである。戦前は「愛国者としての福沢」 Fukuzawa as patriot と呼んでいる。戦後になって、アメリカが接収した時期には、福沢は近代的でリベラルな姿となり、Fukuzawa as modern liberal と呼ばれるようになった。
 
面白いのは、GHQによる接収をやめ、戦中に海軍が造った巨大な地下壕をどう解釈するかという問題が現れた時期である。人間の記憶ではなく、物事が引き起こす記憶の時期である。学者が、この問題について、素晴らしい書物を書いてほしいですね。

啓蟄

今日は啓蟄。24節気の一つで、雨水と春分の間。もともと地中の虫が動き出すということだが、中国で「啓」という字が皇帝の忌み名であるため、別の字を使っており、その字が雷という意味を持つため、雷が虫を驚かせたという意味が発生してしまっているとのこと。

72候も色々な混乱が出ているが、とにかくメモ(笑) 初候の一つは「桃始華」(ももはじめてはなさく)。次候の一つは「倉庚鳴」(そうこうなく)。「倉庚」はウグイスで、ウグイスが山野で鳴きはじめるということ。末候は「鷹化為鳩」(たかかしてはととなる)。春の陽気に会って、猛禽の鷹も温和な性格の鳩になるという意味。ここでは温和さはたしかに空に広がっていく感じですね。 

 

フィリピンとイスラム教とスル海

今朝のエコノミストエスプレッソで、フィリピンの南部とイスラム教の問題を論じていた。そこで「スル海」を地図で見る必要があった。
 
マレーシアとインドネシアが西側に、そして北側、東側、南側にフィリピンの不規則な島々があり、そこに形成する海をスル海という。それぞれの島に名前がついていて、マレーシア・インドネシアカリマンタン島、あるいはボルネオ島という。北側がパラワン島が一番大きい。東側は、ミンドロ、パナイ、ネグロスなどだが、私が知っていた名前はセブ島だった。南側は、ミンダナオ島が大きく、そこからスル諸島がカリマンタンボルネオ島につながっている。ちなみに、南シナ海からはじまり、スル海、セレベス海、モルッカ海、バンダ海、ティモール海とつなぐと、何とオーストラリアになる。
 
エコノミストの主旨は、ミンダナオ島の西側とスル諸島では、イスラム教が強いこと。フィリピンの大統領制が不安定なところを見ると、イスラム原理主義の運動が狙っているだろうとのこと。
 

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ひし形のきれいな海がスル海です

EASTS の故金森先生を追悼する特集号が出ました!

read.dukeupress.edu

 

EASTS (East Asian Science and Technology Studies) から、"Life, Science, and Power in History and Philosophy" の特集が出ました。金森先生の追悼特集と、生命、科学、権力についての歴史系の論文が組み合わされたものです。立教大学の高林陽展先生のイントロダクションと論文、慶應PDの中村江里先生の論文、小樽商科大学の佐々木香織先生の論文、そして明治大学非常勤の奥村大介先生の金森先生の総ての単著を体系的にまとめた長く本格的な書評です。この特集を実現するのに協力してくださったEASTS の編集のチーム、そしてデューク大学出版局にお礼を申し上げます。ことに、編集長の Wenhua 先生のお力は、書き手たちにやる気を与えるものでした。素晴らしかったです。

表紙はアーチストの作品です。もとは日本の医学者である長与又郎の胸像であり、その再現を組み合わせたものです。東京駅の東大博物館の「インターメディアテク」に再現が飾られています。これがどのような意味で「再現」なのか、少し考える時間がありました。これは、制作された当時そのものに直したわけではなく、現在の芸術作品として、ある意味で新たな加工をした「フェイク」でもあります。レオナルド・ダヴィンチらの作品に関して、歴史的に劣化した作品を、どこまでどのように直すのかという主題が大きな議論になりましたが、そのことを考えながら表紙にしていただきました。

 

www.intermediatheque.jp

 

 

「北区炎上」

北区中央図書館に行って、戦前の地図を見せてもらった。色々な資料も拝見した。その中に内田康夫「北区炎上」という話があった。東京の西ヶ原に住んでいた人物が194年の4月の大空襲について書いており、そこに王子脳病院・小峰病院が現れる。
 
父親は医者であった。1945年の4月13日に、空襲警報の発令と同時に小峰病院の救護所に駆け付けると、地獄絵のような修羅場が始まっていた。頭の半分を飛ばされたような少年を抱えた父親が「なんとか助けてくれ」と叫んでいた。足元は一面が血の海だったという。
 
深夜になって、B29も去って、無音状態になってから、大火災がやってくる。以下のような記述である。
 
「かすかにカランカランという乾いた音が聞こえてきた。音はやがて大きく、無限のひろがりに変わっていった。(中略)暗闇の夜空に、地球を丸ごと覆うほどにちりばめられた真紅の星が、東から西へ流れていた。尾久から王子にかけての下町一帯が燃えているのだろう。火の粉が家裁によって生じた上昇気流に乗って舞い、飛鳥山や農事試験場(現滝野川公園)を超えて、高台にある西ヶ原の上空に達し、浮力を失って落ちてくる。カランカランという音は、火の粉が家々の瓦屋根を叩く音だった」
 

3月23日の英語セミナー

英語セミナー、今年は3月23日に開催します。組織は中村江里さん、ゲストの一人が、コーネル大学のジョージ・マカリ先生です。ディスカッションに参加したい方は、ぜひいらっしゃいませ!あるいはこれからペーパーを読んでみたい方は、私か中村さんにご連絡ください。 

 

日時:2019年3月23日(土曜日)10時~16時(予定)
場所:慶應日吉キャンパス来往舎中会議室
構成:1演題50分(発表20分、質疑応答30分)、休憩10分
言語:英語

 

10:00-10:50 Yuto Kano (Undergraduate Student, Keio University Faculty of Letters)

"A historical  perspective  on autism in Japan"
 
11:00-11:50 Noriko Oshima (Ph.D. Candidate, English and American Literature, Keio University Graduate School of Letters)
"Satan's "Unconquerable Will": Paradise Lost and Royalist Prison Writings"  
 
11:50-13:00 Lunch Break
 
13:00-13:50 Motoyuki Goto (JSPS Fellow, Keio University Graduate School of Human Relations)
 
14:00-14:50 Eri Nakamura   (JSPS Fellow, Keio University Graduate School of Human Relations) 
"The Silence and Voices of Mentally Disabled Veterans in Postwar Japan"
 
15:00-15:50 Akihito Suzuki (Professor of History, School of Economics, Keio University)
"Medical Practice, Drug Market, and Community Disease Prevention in Japan c.1800-c.1930"