HIV で SCID (重症免疫不全症 Severe Combined Immunodificiency Disease, 俗称バブル・ボーイ症)を治すこと

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BBC の記事から非常に面白い記事。HIVを用いて「重症免疫不全症」という疾病を治すことが始まったという。この病気は、子供が出産した瞬間に免疫の能力がいっさいないことが発見され、すぐに隔離するプラスティック製の大きな空間に写される。男児に多いこともあって「バブル・ボーイ」と呼ばれている。1970年代に生まれた男児は12歳くらいまで生存できたとのこと。それを治すのにHIVを用いると、これまでよりずっと強力になった治療であるとのこと。今回は、テネシーの病院で、HIVを用いて子供の「バブル・ボーイ症」に用いて、よい結果が出ているということ。BBCの別の映像を見たら、普通に話したり対応することができる状態まで持っていかれた10歳の少年が出てきた。これも HIVの利用であろう。
 
これは、もちろん素晴らしい部分が大きい。そして、うまく言えないのだけれども、何かが深い部分で存在している。私が特に深く感じることは、HIVのイメージの激変である。私が20代だったころは、私たちの人生のすぐそばでHIV/AIDS のステータスについて激論が戦わされていた。それを感じて、歴史書を読んで、現代の議論を聴いて、私が HIV/AIDS について持つ印象は、正直に言って、大きく変わった。人類や私たちと対立する悪い敵ではなくなってきた。共存できる何かになった。
 
それが、バブル・ボーイ症をかなり改善することができる薬になった。これまで8人が生命の質がかなり伸びているという。もちろんHIVが人間の敵であることは変わっていない。一年に百万人の死亡だから、その10万倍くらいの数の人間がHIV/AIDSで死んでいることは、現在でも厳しい現実である。HIVというものは、人間の敵なのか、共存できる何かなのか、それとも薬なのだろうか。

韓国での中絶禁止令が廃止へ!

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いつもの無知ですが(恥)、エコノミストエスプレッソや BBC などで一斉に報道されたニュース。韓国では1953年に作られた法律で、中絶が禁止され、妊婦と医師の双方が罰せられていた。それが、2020年末までに新しい法律を作って、このルールを改正するようになったという。まずはおめでとうございます!私も、これは法律として正しい制度だと思いますし、実質上も便利さが大きいと思います。

ただ、かなりの複雑性がある。BBCにも書かれているが、統計で言うと、子供を持つ女性の中で5人に1人が実質上の中絶をしたことがあるとのこと。非合法にならないような仕組みがあって中絶ができたとのこと。ただ、今回、そのような仕組みを使ったことが明らかになって、それが問題化され、法がそのような仕組みを認めたということだと思う。

実は、同じような仕掛けが日本でも起きている。1920年代に起きて、1948年の優生保護法で中絶が法的にも可能になったと私は考えている。都市部ではかなりの数の実質上の中絶が可能になり、戦後に法的にも可能になったというシナリオが自然である。一度リサーチしてみたいと思っているが、かなりの時間が必要だから、手が出ていない。

そのような理由もあって、今回の韓国の判断は正しいと思う。

藤原新也『東京漂流』とコレラとハンセン病

私の青春の写真家というのは藤原新也である。私にとって写真というのは、高校で写真部に入って少し撮っただけで、全然発展しなかった趣味である。それでも大学に入っても時々写真の雑誌を見ていた。その中で藤原の作品にはいつも引き付けられていた。留学したことでしばらく中断されたが、野鳥の会の無料の季刊誌 Torino に書いていることもあって、今でも藤原の文章と写真に強く惹かれている。
 
『町でいちばんの美人』の表紙の写真が、藤原がアメリカの田舎のバーで撮ってきた売春婦の写真だった。そこからなぜ『東京漂流』を買うのか、自分の頭の中での経路はよく分からないが、野鳥の会とは違う圧力が働いて、文庫本で『東京漂流』を買った。目次を見ていたら「コレラ」という文章があり、インドとバングラディッシュの国境のあたりの疫病の話だった。この文章は読んだ記憶にない。当時は医学史などと無関係だったからだろう。コレラハンセン病の話である。憶えていなかったのはとても恥ずかしい。

慶應義塾・日吉キャンパスにて文理連接のシンポジアムが始まります!

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慶應義塾大学・日吉キャンパスの教養研究センターの基盤研究である「文理連接プロジェクト」が2019年の4月から始まります。医学史、生命科学論、医療経済学、医療と文学、歴史の中の医学と生命など、多様な分野から医学・医療と生命科学を論じることが可能であり、それを大学で実現するプロジェクトです。対象は学部生、大学院生、研究者たちで、さまざまな水準でアピールする講演です。

最初の講演は4月16日の18:15 より慶應日吉キャンパスで私が行います。タイトルは「症例誌と文学と社会:医学と様式と歴史の複合」です。医療の問題を幅広い文脈で位置付けるために、20世紀日本の精神医療の症例誌を取り上げ、それを文学と社会と情報に関連させる試みです。講演とパワーポイントは YouTubeで公開されます。 

 

 

 

アトリと集鳥と花鷄とbramblingとbramble とbrandling(笑)

日本野鳥の会のデスクカレンダーの3月の鳥はアトリ。冬鳥として渡来。秋には群れを作って山地の林で木の実をたべる。春先には広い耕地に出現。地上で草の種子や穀類をたべる。年によっては何十万羽という大群が渡来して、人々がその大きな群れに驚くという。私は巨大な群れは見たことがないが、YouTube で観たものでは、これは観ておくといい。
 
 
アトリは鳥名の由来辞典によれば大言海を引いて「集鳥」と書き、アツマル・トリがアトリになったという。これが、フィールド図鑑日本の野鳥の「アトリ」によると、漢字は「花鷄」である。由来辞典も「花鷄」という呼称を上げているが、ここでの読み方はハナトリ、あるいは中国語風だとカケイと読むようである。うううむ。
 
英語も難しい。英語で言うと brambling. もちろんこの単語は大体知っていた(笑) コリンズを見ると、これはフィンチの一種で、オスの頭の黒い部分とそうでない部分の対比が分かりやすいという。この黒と別の色の対比は、 brambling という鳥の名前の起源に影響を与えている。そのもとは、bramble か branbling である。m と n の区別には、実は初めて気がついた。 bramble というのはブラックベリーの意味。branbling は縞が入っているミミズの意味。どちらも黒と別の色の縞模様が強い。brambling, bramble, brandling.  アトリ、ブラックベリー、シマミミズ。うううううむ。

二十四節気・清明

立春ー雨水ー啓蟄春分を経て、次は清明太陽暦だと4月5日くらい。清明の節気には、春のうららかにして、万物が若々しい季節を表す。8月の節気である白露(びゃくろ)と並んで美しい言葉である。万花咲き、温風頬を撫で、人々は楽しく郊外で遊ぶのがこの頃である。
 
万物が清潔明暢である。「明暢」(めいちょう)という言葉は、明るくのびのびとしていること、明快で筋が通っていることを意味する。上田敏海潮音』の「明暢晴朗なる希臘(ギリシア)田野の夢」がよく引用されている。ギリシアの農耕地と果樹園で見る夢が、どのくらい明るくのびのびしているのか、私には少しわかるけれども、田野というより、エーゲ海と白い建物が浮かんでいる。青春時代に見た池田満寿夫エーゲ海に捧ぐ』という小説と映画が犯人である。フロイトオイディプス王が現代に与えた矛盾的な深い影響かもしれない(笑)
 
清明に戻すと、初候は「桐始華」(きりはじめてはなさく)、末候は「虹始見」(にじはじめてあらわる)である。桐も虹も私にとって新しい主題である。
 
次候が面白くて「田鼠化為〇」(でんそかしてじょうとなる)「じょう」と読む「〇」は、上に「如」、下に「鳥」を書いて、意味はウズラの一種。岡田には「フナシウズラ」と書いてあった。「田鼠」は田畑のモグラという意味。4月には田畑のモグラがウズラになるという意味になる。「陽気」がもぐらをうずらに変えるという説明である。陽気を感じて獣が鳥に変幻するという超自然的なあたりが古代の哲学であり、錬金術であり、化学の基盤である。日本が、この神秘主義を否定したのは江戸時代。貞享暦以降は鴻雁北(こうがんかえる)という、カモが北に帰るという別の言葉を用いている。