エドワード・ジェンナーとカッコーの托卵

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天然痘のワクチンをつくったエドワード・ジェナー (1749-1823)のDNBの記事。色々な部分を的確に記述している素晴らしい記事である。天然痘と人痘、牛痘、馬痘などの記述も的確である。一つ私が改めて認識したのが、カッコーの托卵を天然痘・ワクチンのフレームワークでとらえた部分である。メモしておく。

カッコーが他の鳥の巣に卵を産むことはすでに知られていた。ジェンナーは最初は他の鳥が自分の卵を押し出すのかと考えており、その論文を発表する予定であった。しかし、直前に重要な部分を観察した、それが、カッコーのヒナが早く生まれて、他の鳥の卵を押し出すことであった。この観察により、他の鳥からカッコーのヒナに焦点が移った。ジェンナーが新たに考えたことは、ヒナは生まれた直後から強い力で別の鳥の卵を押し出さなければならないので、特別の骨格になっていくということであった。なるほどと納得した。ただ、これが本当かどうかは私は知らないです(笑)

 

ラヴェンダー・オフィキナーリスの問題

あとすぐ終わる論文の関係で、自然の世界の薬草を、自分の生活あるい身体との関係に取り入れることを少し考えている。ハーブの精油の小瓶を買ってみたり、ヒロ・ヒライさんが編集されたルネッサンスの自然哲学への入門書を読んだりしている。

中世の修道院では修道士はもちろん宗教的な営みを送り、原理主義的な修道士もいただろうが、それなりに修道士としての人生を静かに充実される人々もいた。彼らの楽しみの一つとしては、庭で薬草を栽培したりすることであった。宗派によっては、それぞれの修道士が個人的な楽しみを持つために庭を持っていたという。そこで収穫された薬草が、保存されるために精油となったりしたことは有名である。この情報を非常に素晴らしく書いているのは Kerr (2009) である。「神が修道士個人のために与えた喜び」の中に修道院でのガーデニングが入っていることはとても面白い。個人のために与えた喜びだが、その喜びをSNSで人に見せるのは、やはりよくないですね(笑)

Kerr, J. (2009). Life in the medieval cloister, Continuum.

その中で、今の私には難しいものがラヴェンダーの問題である。現在のラヴェンダーは Lavandula angustifolia という学名で、そのもとに細工をしたものが日本の園芸店で売っている。私は Violet memory というものを買った。angustifolia というのは「狭い葉の」という意味である。これに多くの国などの名前が付けられていて、イギリス、フランス、スペイン、ブルガリアカシミール、ヒマラヤなどである。ううむ。

よくついていた名前は Lavandula officinalis. 薬用に使われるものに組織的に officilalis をつけたのは 18世紀の医師で生物学者のリンネであるとのこと。もともとは officina という言葉があった。これは office であり、修道院の収納部屋を意味し、修道士が庭で栽培した薬草をしまっておいた場所である。だから薬用に使われたものには officinalis をつけたということになる。この部分が色々とよくわからないが、このことだけ書いておく。次の論文を読んでみたが、これはまだ私がついていけないものである。

Pearn, J. (2010). "On 'Officinalis' The Names of Plants as One Enduring History of Therapeutic Medicine", Vesalius, Supplment, 24-28.

タレイランという人物

タレイランという人物は色々な意味で有名な人物である。歴史的には有名さより悪名が高いといったほうがいい。「原理がない」という言葉が自動的に出てくる(笑)

本名はシャルル・モーリス・ド・タレイラン・ペリゴール (Charles Maurice de Talleyrand-Perigord, 1754-1838). 神学を学んだが、フランス政府の外相として活躍し、ルイ16世フランス革命期、ナポレオン、ルイ18世、そしてルイ=フィリップ国王と、外相を勤め続けた。distrust だけれども useful という言葉がぴったりなのは彼が一番ふさわしい。そして手際が優れ、シニカルである。結婚はしなかったが、私生児はおそらくたくさんおり、悦楽主義者であった。無料の本を一冊買っておいた。

もっとも優れているのは、彼の名言である。迷言と言えばいいのかもしれない。エコノミストエスプレッソには毎日、名言が掲載されるが、今日はタレイランであった。そこからちょっと調べてとったメモだが、やはりその名言が一番優れている。

男の名声はその影のようなものである。実際に会う前には巨人のようなスケールであるが、会ってみると矮小な節度となってしまう。

“The reputation of a man is like his shadow, gigantic when it precedes him, and pigmy in its proportions when it follows.”

22,000頭のレピドプトリストで100万語のダイアリスト(笑)

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lepidopterist という単語があり、発音はレピドプトリスト。蝶と蛾を研究する人物である。「鱗翅類研究家」という言葉の方が難しい(笑)そのレピドプトリストで、女性で、世界のあちこちを回って蝶などを集めて、22,000頭の巨大なコレクションを作り上げ、壮大な日記を100万語を超えていた。蝶の幼虫やさなぎのスケッチもロンドンの博物館に寄付されている。絵に描いたようなヴィクトリア時代の変人の女性である(笑)

蝶のコレクションが形成される過程を日記から復元する仕事、ちょっとやってみたいです。何かが分かると、自分も蝶になるような気がしますね(笑)

 

 

東京の現代アートの画廊 WAITINGROOM

 

waitingroom.jp

 

よく行く画廊が初めてできたのは WAITINGROOM である。最初は東京の恵比寿にあり、しばらく前に神楽坂に移転した。神楽坂にはじめて行った。京都のアーティストが『伊勢物語』から素材を取って東京の田舎の元郵便局に来て(笑)、碁盤構造と円弧が描かれた作品を見せてくださるという展示だった。オーナーの芦川さんが憶えていてくださり、作品の説明をしてくださった。実は、これは純然たる仕事だけれども、アーチストの飯山由貴さんが、ご家族に精神疾患に関する作品を展示したことで、芦川さんのインタビューをしたことがある。また、同じ飯山さんの作品を展示した中村史子さんのインタビューもした。今回は中村さんも会場にいらっしゃるということで、ご挨拶したかったけれども、タイミングが悪くて会えなかった。
 
左は現在展示をしている水木さんという京都のアーチストの碁盤の作品。右は三宅砂織さんという非常に面白い写真の作品を撮る作家の展覧会のご案内です。
 
 

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神楽坂に移転された画廊 WAITINGROOM に久々にお邪魔しました!

アヘン様合成麻酔薬の問題

www.oecd.org

 

オピオイドの問題がエコノミストエスプレッソが記事にしていたので、読んでメモ。
 
オピオイド opioid がアメリカ、カナダ、ドイツなどで大きな問題として現れつつある。オピオイドは、 アヘンを意味するオピアム opium からの派生である。訳語は「アヘン様合成麻酔薬」「モルヒネ様物質」である。アヘンやモルヒネのようなものを合成化学で作ったものである。自然の世界には、アヘンやモルヒネのような植物や化学物質があり、それに似ているものを、人工的・合成的に作ったものである。アヘンやモルヒネには一定の薬の効果もあって現実に使われているように、オピオイドにも薬の効果があり、医師たちはこれを処方する。しかし、アヘンやモルヒネが持つ中毒性や過量服用もオピオイドには存在していて、そこが大きな問題である。
 
OECDによると、これはアメリカ、カナダ、ドイツ、デンマークなどの現象である。100万人につき、4万7千件ほどのオピオイドの処方があるというから、人口の5パーセントということになる。日本は100万人につき1200件というから、何の問題もない。これは、医師による処方が多いという合法的なパターンと、中毒性と過量服用のため処方されていないのに入手する非合法なパターンがある。刑務所でもかなりの利用がされているらしい。死者でいうと、アメリカだと75,000人が死亡している。日本の交通事故による死亡者の20倍である。うううむ。
 
アメリカで多いことは何となくわかる。日本が非常に少ないのが、よく分からない。私自身の個人的な経験では、イギリスの歯科病院で痛みに耐える能力を絶賛されるというよく分からない現象を経験したことがある。日本人は痛みに強く、アヘン系を使うことをためらいがちなのかもしれない。
 

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オピオイドによる死亡率。2011年と2016年の比較。日本は意味ないほど小さいから載っていません(笑)

 

 

突発性とparoxysm

「突発性」の概念と paroxysm の概念を較べて、分かったことを記す。

医学史家だから「突発性」という語はよく出会う。色々な使い方があるのだろうけれども、「よくわからない」という使い方がされることもある。「がんは遺伝と生活習慣の二つの要因が重要だが、突発性の要因でがんになる場合もある」という使い方だと、「突発性」という語が、遺伝や生活習慣ではないが、具体的に何かというとよくわからない、というような意味である。

突発性発疹」という名前の疾病の「突発性」は、現在では「よくわからない」ではまったくない。現在では、二種類のウィルスが引き起こすものであるとのことが完璧にわかっている。しかし、この疾病が発見されたのは1910年で、その時期にはウィルスが起こすということなどはまったくわからなかった。それ以外のことはかなりきちんと把握していた。罹患の年齢は何歳くらいか、季節的にはどの時期が多いのか、症状の特徴はどのようなものか、そのようなことを特定して疾病を位置付けることができた。1980年代の末に病原体のウィルスが特定されるまでには「突発性」であると呼びたくなる気持ちがとてもわかる。すでに知られている病原体ではなく、病原はよくわからないから「突発性」と呼ぶ。この部分は想像だけど、医学の黄金時代と呼ばれる時期にふさわしい謙虚さと、この部分はわかっているという自信の、二つの考えが両立している。なかなかいい。

突発という感じは、突然の、思いがけない、前後の連絡を欠いて、急に起きて、などの意味があるから、ある種の規則を知っており、それと違う現象が起きているという意味になっている。これも「突発性発疹」にふさわしい。これは突発なのであるというときには、ある部分が分からないという意味である。

日本語の突発性を和英で引くと、もちろん sudden という語もあるが、医学系では paroxysm があてられている。これらのギリシア系の医学概念は、どれも理解しはじめると楽しい。OEDで引くともちろん医学系の意義が最初に出てくる。 ここでの paroxysm の意味は、規則があって、それが非常に鮮明に、いつものリズムを壊すような激しさで、現れてくるという意味で現れる。「しばしば定まったコースを再現するような疾病において、病気の激しさや厳しさが強くなること。ある攻撃が急に復活すること、たとえば咳である。そして疾病が急に激しくなることをいう」 OEDではこのような感じである。私の頭に浮かぶのはマラリアで、三日熱か四日熱かなど、どのようなコースなのかが重要であり、そこで症状が激しく出てきたりする。そして、例文にはもちろんマラリアが言及され、予想よりも発熱が高いという意味になっている。