マシンと学ぶくずし字の実験授業!
私の同僚で江戸時代の国文学を研究しておられる津田真弓先生。機械(マシン)と
を通じて江戸時代のくずし字を学ぶ実験授業をされます。慶應の文書コレクションの中にAIを導入する方向の試みです。9月と10月の2回の土曜日に実験授業が行われます。30名で無料。ぜひお出でくださいませ!
どうでもいいことを書いておきます。実は私の狭い専門領域の一つに「麻疹」(ましん)があります。これがある社会に常在する感染症になるためには、どれだけの人口が必要かという古典的な問いがあります。その鍵は江戸時代の日本が握っていることは確かですが、くずし字が読めないため、この研究ができないのです(涙)この問題というか、問題が解けないことは、しばらく前に書いた論文に書いておきました。もし、麻疹の問題がマシンを使って解けるのならば、私の心の中でなにかが変わります。
“Measles and the Transformation of the Spatio-Temporal Structure of Modern Japan”, Economic History Review, 62(2009), 828-856.
エボラ流行と患者と話すことができる隔離
アフリカのエボラ流行が大きなニュース。BBCの記事を読んで、内乱の戦地であることも分かった。感染症と戦争が重なると、複雑で、難しさが非常に高い状況になる。実際、コンゴとルワンダの境界にあるゴマという街の住人達は、エボラと内乱の双方に重なっていた。
エボラに関して状態はもちろん悪化している部分もあるが、その記事が強調していた明るい側面もある。まずいったん罹患すると免疫ができるということ。それから、死ぬ可能性が高い患者は隔離されるのだが、それは、プラスティックの透明カーテンの向こうで、患者の姿を見ることもできるし、患者が家族や友人と話すことができるようになっていること。4年前は完全な隔離であったとのこと。
藤原新也『東京漂流』より「リカちゃん納経」
私の愛読書の一つである藤原新也『東京漂流』。文庫本の冒頭は「リカちゃん納経」という作品である。おそらく、宮崎勤の殺人事件で開始した平成元年に、銀座の博品館の「リカちゃんコーナー」に行って、宮崎の世界とリカちゃんの世界を対置する構図である。そこに、当時のインドの死、あるいは世界各地の死体の現実が挟み込まれ、インドから宮崎勤事件とリカちゃんの双方を見るという非常に独創的な形になっている。
インドやメキシコと較べれば、日本の死体はもっともよく管理され、敏速な儀式のうちにこの世から消し去ってしまう。それは、リカちゃんファミリーには死というものが存在せず、反世界は完璧に追放されているのと同じである。
「死のみならず反世界は誰の目にもふれぬよう隠蔽され管理されている」
そのような世界が平成の初めであり、そこから30年経って、日本は変化してきている。
日記と自伝と症例の史料について
Burnett, John. Useful Toil: Autobiographies of Working People from the 1820s to the 1920s. Penguin Books, 1977. Pelican Books.
20世紀の末は、思想史の考え方と民衆史・社会史の考え方が、いずれも大きな波を作っていた時期であった。後者の流れを作っていた一つの主流が、この書物である。これを用いたメモ。まだ雑です。
20世紀の後半の医学史における患者の歴史への転換や重心の移動を考えたときに、日記や自伝が大きな史料として考えられていた。ことに、患者の側の歴史を考えたときに、患者が経験した医療が記録されている日記や自伝が非常に重要になる。
医療だけでなく一般の文化の視点では、イギリスではバーネットの Useful Toils (1977) が記念碑的な著作である。Useful toils は、19世紀から20世紀にかけての、労働者、家庭での使用人、熟練した労働者などに関して、彼らの日記や自伝を30点ほど集めた資料集であり、当時のイギリスが近代社会を急速に形成していく大きな社会の変化が、労働者の個人の人生に影響を与えるありさまが伝えられている。貴重な資料集であることは現在でも疑いない。
しかし、バーネット自身が、このような日記や自伝は当時の社会からランダムに選ばれたサンプルではなく、強いメッセージを込められたものであることを指摘している。日記を公開することや、自伝を公表・出版することである。そこには、何らかの動機を持ち、それに基づいたメッセージが込められていることが非常に多い。自らの成功の記録であり、なぜ困難が発したのか、それをどのように克服したかなどが、読み手に伝えられる。私たち医学史の研究者たちも、面白い史料、医学的、政治的、社会的に雄弁な史料を用いて、精神医療のある側面を鮮明に伝える事例を選ぶ。
夢について
西郷信綱. 古代人と夢. vol. 13, 平凡社, 1999. 平凡社選書.
河東仁. 日本の夢信仰 : 宗教学から見た日本精神史. 玉川大学出版部, 2002.
劉文英 and 邦弘 湯浅. 中国の夢判断. 東方書店, 1997.
夢について、これまでの研究の短いパラグラフを書くために古典的な著作を読んでおいた。西郷信綱『古代人の夢』、河東仁『日本の夢信仰』、劉文英『中国の夢判断』である。西郷や劉は傑作として名高く、河東は私は初めて知り、とても謙虚な書き方をされるが、素晴らしい傑作だと思う。古代・中世・近世の夢や中国の夢には、もともとあまり踏み込まないが、どれもとても説得力がある。王権を継ぐべきものが夢見で決定されるとか、仏教は集団だけでなく個人の魂にあてはまったとか、夢は個人の神話であるというような議論は、私が議論をする1930年代の東京でタクシー運転手をしている地方出身の男性が書いた夢の記録にあてはまる部分もある。
もうひとつ、スウェーデンボルクの夢の記録を久しぶりに読んでみた。科学者から宗教家に移行する時期で、1740年代に1年ほど記されている。スウェーデン語で、19世紀に発見されて、各国語に訳された。性的な主題のことが書かれている項目がいくつかあるが、19世紀にはイギリス人がこれらをラテン語に翻訳している。Kindle だと現代英語訳と解説が300円ほどで買えます。