黒死病と公衆衛生

古くからの友人と話していて、ポーター先生が原稿を仕上げるのが早かった理由の一つとして、全体の構図を決めてしまって、ある部分は書いておくからかもしれないという話が出た。試しにある原稿の構図と書いた部分を書いてみた。

 

 

1 ペストという感染症
2 14世紀の黒死病
3 キリスト教と公衆衛生
4 17世紀のクライマックス
5 ヨーロッパにおけるペスト流行の終焉


1720年のマルセイユのペストが終焉すると、ヨーロッパの先進的な地域は自分たちはペストの流行を脱したと感じたと同時に、ヨーロッパの周縁にある地域はまだペストを実際に経験し、その危険に直面していると捉えていた。実際、ロシアでは1760年代に、エジプトでは1830年代に実際に流行を経験した。19世紀の中葉には、フィクションや想像の範囲でもペストは大きく広がり、小説や日々の想像で大きな影響を与えた。1840年に刊行されたマンツォーニの『いいなづけ』は、17世紀のミラノのペストを背景にしたロマン主義の小説の大作である。1853ー54年にマデイラ島を訪れたイギリス女性は、周縁地では隔離収容所には数多くの患者が悲惨な状況がいるのではないかと想像していたが、静かな平穏な場所であったと記している。一方で、公衆衛生の歴史学においても、黒死病命名と研究が離陸をした。

このよう周縁地におけるペストの危険、フィクションと想像力におけるペスト、そして歴史学における過去のペストの研究は、19世紀の後半から20世紀の中葉にかけての第三次ペストの世界大流行を暗示している。

二十四節気の立秋

色々な理由で立秋を調べてメモ。立秋立春と対比させるとよく分かる。立春は一年が始まる節気で、2月の4日か5日。一年で一番寒い時期である。立秋は、それから半年と少し経った8月の7日くらいで、一番暑い時期である。

初候は「涼風至る」(りょうふういたる)。和歌では古今集の「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」はこの涼風を和歌で歌ったものという。これも春の「東風解凍」(とうふうこおりをとらえる)と同じという。ここのコメントして、この時期は熱風ばかりだと書いているが、私自身は、たまたま昨日の夕刻に涼しい風が吹いていたので、納得しながら読んでいた。

次候は「白露降」(はくろくだる)。白露は草花の葉の先端の露。岡田先生のこの部分の解釈は非常に専門家的である。陰陽五行説を用いて、この時期には陰の気が僅かに出て、それが秋の色である白となって白露になるという。さすがですね。

末候は「寒蝉鳴」(かんせんなく)。寒蝉はヒグラシという蝉であろうとのこと。分かるような分からないような命名だけど、心もとない哀愁を含んだ鳴き声であることはその通りだと思う。

 

ル・ゴフ『中世の身体』よりメモ

Le Goff, Jacques et al. 中世の身体. 藤原書店, 2006.

ダヴィンチが肝臓を重視したことに関して、頭と心臓を比較しているル・ゴフの書物があったので確認して引用しておいた。

 

「13世紀から15世紀にかけて、心臓のイデオロギーが花開き、妄想すれすれの想像世界の助けを借りて増大する。12世紀には神学者リールのアランがすでに「体の中の太陽たる心臓」を讃えている。」一方で、頭も発展するが、その力は中世には心臓が完全に圧倒していた。一方、それに対して、肝臓が欲望の重要な器官となるという記述がある。

もう一つ、これはベースにして引用する部分があったので、それも引用しておいた。「結びーゆるやかな歴史」の冒頭である。

歴史家と歴史愛好家にとって、身体史には一つの利点があり、ほかでは得られない興味をもたらしてくれる。身体は、ゆるやかな歴史に例証を与え、これを豊かにしてくれるのだ。深いところでは、思想史、心性史、制度史であり、技術史、経済史でさえあるこのゆるやかな歴史に、形が、身体が与えられる。

素朴絵の意味

日本橋三井記念美術館に行って『日本の素朴絵』を楽しんできた。数多くの作品が並び、絵画や彫刻として「素朴」という表現は非常に適切である。英訳することが難しいと思うけれども、それは私の仕事ではないですから、いいです(笑)

矢島新先生が素朴絵の系譜を書いている文章が、納得いく箇所が多い。ことに、私が触れる脈絡では、素朴絵には二つのものがあって、絶妙のセンスで成立している素朴絵と、普通に下手な素朴絵があると考えるといい。ゴッホは前者に入り、プリンツホルンの収集はどちらも含む。あと少し仏教と夢の構図を調べると、病跡学の小論文をまとめることができる。

「アナキスト」という語の意味

Evans, E. P. The Criminal Prosecution and Capital Punishment of Animals. Lawbook Exchange, 1998.

もともとは1906年に刊行された書物で、中世から近世にかけて、動物が司法で裁かれて死刑となった事件を丁寧に集めて論じた本である。中世の世俗の裁判と教会の裁判が、動物に関して罪を証明してどのようにして被告としての動物を裁いたのかという議論をしている。その部分も丁寧に読むととても楽しいと思うけど、あまり丁寧に読んでいない。ただ、書物の終わりにかけて、面白い仕方でanarchist という語が使われている部分があったので、そこをメモ。

アナーキストは普通に訳すと無政府主義者である。1930年代の日本の精神病院で、ある看護人がある精神疾患者を呼ぶのに「アナキスト」と記入した箇所がある。この部分の解釈が結構難しい。1930年代の日本では「無政府主義者」だけでなく「アナキスト」という言葉も広まっていたから、看護人が患者の政治的な傾向を記述に残した可能性はもちろん存在する。そうだろうかと私も推測していた。

ただ、エヴァンスの記述によると、精神が異常である人物が病的な欲求に基づいて、意図的に犯罪となることをする場合がある。この人間を anarchist と呼んでいる。そうすると、政党や政治運動の運動員でなくてもよく、意図的に犯罪性を欲求しているという意味になる。無政府主義者というより変態という意味になる。英語でいうと「小文字の a 」 lower case a を使うかどうかである。この変態性が政治的な意味合いを持っていたのでアナキストと記したのかもしれない。

なぜこんなことを書いているかというと、1920年代から30年代は、やはり警察が監禁する力を鮮明に持っていると同時に、精神医療もそれに同調している部分も確かに存在したからである。無政府主義者というのであれば 警察に大きく比重があり、変態であれば精神医療の社会性に大きく比重があることになる。

古代の女性支配者と戦士の看護の概念

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今日のDNBはジュリア・カルティマンドゥア、あるいはクラウディア・カルティマンドゥアというイギリスの部族の女性支配者。時代は紀元1世紀で、主としてタキトゥスに登場するとのこと。面白いことに、タキトゥスがドイツやイギリスの女性支配者の制度に非常に興味があった。北方のヨーロッパの部族性においては、女性支配者も認めていた。有名な人物でいうとブーディッカがそうである。このカルティマンドゥアについても、女性支配者でもよい。その一つの理由は医療的な環境があるからである。『ゲルマニア』を引くと、1章8節にこのように書かれている。

It is a principle incentive to their courage, that their squadrons and battalions are not formed by men fortuitously collected, but by the assenblage of families and clans. Their pledge also are near at hand; they had within hearing the yells of their women, and the cries of their children. These, too, are the most revered witnesses of each man's conduct, these his most liberal applauders. To their mothers and their wives they bring their wounds for relief, nor do these dread to count or to search out the gashes. The women also administer food and encouragement tto those who are fighting.

闘う戦士たちである男たちは、母親や妻がほぼ絶対必要である。その理由は、傷口のもとでの介護であり、深傷を数えたり探したりする恐怖心ではない。(よく分からない)そして、その女性たちが食料を与え、心を支える応援をすることになる。ワルキューレの勇気を与えられる部門は、たしかにこの看護のシーンですね。