50年前の石垣島のカビラにおける動植物知識・宗教・外部の医療システム

Lévi-Strauss, Claude. The Savage Mind. University of Chicago Press, 1966. The Nature of Human Society  Series.
 
Smith, Allan H. "The Culture of Kabira, Southern Ryūkyū Islands." Proceedings of the American Philosophical  Society, vol. 104, no. 2, 1960, pp. 134-171.
 
クロード・レヴィ=ストロースは『野生の世界』の冒頭において、未開な社会に住む人々が、彼ら・彼女らが住む地域における動物や植物に関する詳細な知識を持っていることを描いている。未開人たちは在来文化を適格にマスターしており、その地に在住している動物や植物に関して、いちじるしく詳細な知識を持っている。ガボンのファンやフィリピンのハヌノーなどは、それぞれの地の動物や植物の属性に関して詳細な在地の知識を持つ。
 
これらの在地の動植物に関する知識は、しばしば現地の宗教と結ばれて理解されることが多い。しかし、レヴィ=ストロースが挙げている沖縄の石垣島に住む700人弱のカビラを見ると、興味深いことは、動植物に関する知識は他の地域と同様に詳細だが、神話や伝統の伝承との結びつきはまったく存在しないことである。踊りに関しての伝承はあるが、動植物はほとんど関係ない。もう一つ面白いことは、独自の医療の独立したシステムを持たず、病気になったら「シカ」の町を訪れて、医師、偽医師、占い師などの治療を受けたということである。ちなみに、シカというのは四つの字が集まって「四固」と書くらしく、発達が遅れた石垣島ではあるが、そこの中心と考えられている。そこにカビラから病人を送るというのも、複雑な議論である。

ベスレムにおける元患者の芸術運動とアクティヴィズム

historypsychiatry.com

 

https://historypsychiatry.files.wordpress.com/2019/08/ap_pressrelease_4.pdf

 

h-madness の広報で、ロンドンで開催される元精神病患者の芸術運動とアクティヴィズムのポスターを見た。当たり前のことだが、とても胸を打つ部分であり、今書いている考察の重要な支えがあったので書いておく。

精神医療には境界線のあいまいさが残っていたし、おそらく現在でも残っている。精神疾患が存在するかどうかという問題、その患者が罹っているとしたらそれは何かという問題、その患者を精神病院に収容するかどうかという問題、これらは医学的な性格が中心にある問題で、いずれもとても難しい問題であると、症例誌を読んでは実感する。

一方で、患者を精神医療のシステムの対象とするかどうかという機能的な議論だけが問題になってしまい、患者が人間らしく生きることができるかどうかという、より大きな問題を忘れてしまう。その大きな問題を患者自身が判断すればいいという考えには、歴史的には私は明確に反対であるし、現在の問題についても、慎重な態度をとっている。歴史的には、精神疾患があまりに深く進行して「早発性痴呆」や「精神分裂病」とまで呼ぶケースが多いからであり、現在では、薬物が進んで「統合失調症」がかなり回復するが、だから患者にすべてを任せていいわけではない。

それでも、患者たちがそのように言うきっちりとした社会的なスペースは絶対に必要である。ベスレムで展示を出しているこの言葉の意味が少しわかった気がする。

Dolly says: “This exhibition will honour our right to be ourselves and to be treated with humanity and respect, and even our right to stay alive, by using art to confront, to embolden ourselves with, to stand tall, and to show others they are not alone."

ことに using art という概念が存在することが患者の人間性と結びついている。凡庸に訳すと「芸術を用いて」となるが、「芸術」の概念がちょっと違う。art は、それよりもずっと広く深い概念である。専門的な芸術として卓越していなくてもいいし、精神疾患に特有の、おどろおどろしい病理である必要はあまりない。凡庸な表現でかまわないから、それが重要な患者を支える構造なのだから。

二十四節気の処暑

数日遅れましたが、二十四節気処暑についてのメモ。

8月23日に処暑立秋に続く秋の2番目の節気。処暑の「処」というのは、暑さが止まるという意味。処を漢和で引いたところ、ところ、場所、いる、とどまる、というような意味である。処刑や処分というフレーズとつなげて考えると「止まる」という意味が分かる。しかし、処女と「止まる」がうまく合わない。性交をまだしていないという意味なのか、月経に注目すると「止まる」なのか、私にはよく分からない。

初候は「鷹祭鳥」(たかとりをまつる)。獲った獲物をすぐに食べないで木の枝に刺しておくとのこと。雨水の初候に「獺祭魚」(だつうををまつる)とあるのと同じである。古代中国のインテリは何事も礼儀らしい自分たちを重んじるとのこと。鷹が獲物を木の枝に刺すかというのは、もちろんモズだとその通りで、庭の木にカエルがさされている光景は今でも見る。鷹が鳥について同じことをするのは観たことがない。

次候は「天地始粛」(てんちはじめてしじまる)。粛という中国語の意味、「しじまる」という日本語の意味、いずれも私には難しい。岡田先生の説明はとても上手である。明け方の気温が下がって、思わず身の締まるような朝になること。その時は冷ではなく、もちろん寒でもなく、やはり「粛」がふさわしいとのこと。うまい! で、粛を漢和で引いてみると、おごそかにする、つつしむ、うやまう、きびしい、という意味である。その中の「きびしい」に対応し、おそらく五行説に対応して、気が冷たいほうに動くという意味合いになる。秋気がきびしくなることを粛殺といい、霜のことを粛霜(しゅくそう)という。天地がはじめて「粛」となる、という言葉がなんとなくわかる。

末候は「こく乃秀」(こくのものすなわちひいづ)。意味は、私としてはよくわからない。麻か稲が秀でるという意味らしい。うううむ。

明るいニュースを一つ書いておく。このエントリーに「太陽は黄経150度に位置する」という記述があった。もちろん、すべての節気の説明にその体系にもとづく記述があったが、私はこの内容に関して無知であるという意識を持たなかった。それが、今朝、はじめて、自分の無知を知る言葉となった。「黄経150度」。何のことやら全く分からない。それは私がこの体系のこの部分について特別無知なせいである。この体系を知ると、コスモロジカルなものと自然との対応が分かるはずである。これからそれも調べます!

アマゾンの森林の火災と帝国主義の問題

www.economist.com

 

多くの皆さんが知っていると思うが、ブラジルを中心とするアマゾンの森林で大きな火災が起きている。これは、ブラジルが、経済発展ために森林を破壊してきた政策を次々と行ってきたことが引き起こした結果であることはほぼ明確であるとのこと。フランスなどのヨーロッパ諸国は、政策を変えるようにプラジルに圧力をかけている。一方ブラジルの大統領のボルソナーロは右派であって、ヨーロッパ諸国が確立した秩序に順々と従うような政策変更はしないし、フランスなどによる批判を内政干渉と片付け、それどころか、21世紀の帝国主義的な振舞いだと一蹴している。同じようにアフリカの中央部でも密林火災が頻発している。エコノミストの地図で見ると、ブラジルよりも多い。アフリカ、ブラジルよりもまれであるが、インドや東南アジアでも、自然火災が起きている。経済発展を目指す国家が熱帯の自然を改変していることが、大きな火災が常駐するような環境になっている。

そして、面白いことが、シベリアやアラスカという寒帯においても、同じような森林の火災が起きているという。地図で見ると、アフリカ、ブラジルに次いで、3番目くらいである。熱帯と寒帯という二つの問題系がある。

これは、日本の医学史や疾病史にとって、地域的には二つのゾーンを検討する必要があったこと、そしてそれは非常に奥深い方向の洞察に導くことを示唆している。日本の帝国は、台湾を筆頭とする亜熱帯から熱帯のゾーンの問題を検討している。南方諸島にいくと、坂野先生の『島の科学者』などの傑作が詳細な生命科学の世界を明らかにしている。逆に、蝦夷・北海道、北方領土満州などもその疾病ゆえに大きな問題になっていた。日本の帝国主義帝国主義医学は、二つの大きな問題に取り組もうとしていたと考えていい。

現在の技術と政策が作り出している森林火災の問題と、日本の帝国医学が出会った熱帯と寒帯の気候の問題。この二つをつなげて考えるといいのかもしれない。

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アマゾンにおける自然大火の頻度

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世界における自然大火の頻度

 

シギチの幼鳥区別について

私は日本野鳥の会の会員で、南富士支部の会員である。南富士支部の会には最近行くことがまったくできていないが、「さえずり」という素晴らしい支部の月報があり、これが非常に楽しい。その中でも一番楽しいのが渡辺さんのフィールド記事で、圧倒的な実力が、読者にやさしく発揮されている。

今月はシギチの渡りが始まった興奮が伝えられている。「鳥日照りの時よさらば。漸く我々の季節が到来した。シギチの渡りが始まったのである。そこで秋のシギチ渡りマニュアルと洒落てみた。」という素晴らしいオープニングである。ちなみに、「シギチ」というのは、シギとチドリという言葉を混合したものであり、サギはまったく無関係だと私は思っている(笑)

シギチの多くは春と夏には北極海沿岸で繁殖をして、8月の終わりから南に向かう。その時に日本を通過する旅鳥になる。ことに、生まれた後の雛鳥が自力で南に向かい、自らの力で採餌しながら、親に遅れて渡りをするとのこと。この瞬時に渡りをする雛鳥たちの種類を区別することが、バードウオッチャーたちの高いハードルである。このハードルは、ものすごく高い。以下のサイトは、渡辺さんのサイトではないが、その難しさを実感してくださいな。私は、何一つ分かりません(号泣)

 

walkandsee.blog80.fc2.com

ポリオ患者がアフリカでは3年間でゼロ!

www.economist.com

 

エコノミストからの記事。ポリオ患者は第二次世界大戦後までアメリカなどで継続していた。しかし、予防ワクチンが1950年代に開発されて急速に激減した。日本では戦前から流行が見られ、1960年には患者5,000人程度の大きな流行があったが、予防ワクチンを輸入してコントロールすることができるようになった。この予防ワクチンはアフリカにも広まって、過去3年間にアフリカでも一件も発見されないとのこと。おめでとうございます!現在では、パキスタンとイランでまだ残っているとのこと。
 

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世界のポリオ患者発生の地図
 
この時期にアフリカで接種したポリオワクチンが、 HIV/AIDS をアフリカ全土に広めたという激しい議論があった。 Edward Hooper の The River (2000) である。私はもちろんかなり熱心に読んで、もしかしたらそうかもしれないと思っていた。大惨事が引き起こされたのではないことが、自分の間違いを知ることと重なっていることは、ちょっとすがすがしい気持ちである。

第二次世界大戦と精神病院と隔離

第二次世界大戦アジア・太平洋戦争は、各国が兵士を陸・海・空に配するという広大な展開もあったと同時に、さまざまな隔離が大規模に実践されていたという一見すると逆説的なこともあった。そこでは、精神病院への隔離が大きな問題となっていた。ドイツの精神障碍者の「安楽死」やユダヤ人などのホロコーストがその象徴であるが、これはもちろんドイツだけではない。アメリカやラテンアメリカの諸国が、日本からの移民を10万人以上も施設に隔離収容したりする政策もあったし、逆に、日本でも戦役から逃れるために、普通の人間が精神病を装って病院に逃げ込んでいるのではないかという疑惑もあった。
 
各国ににおいて、幾つかの著名な作品で、文学と自伝と日記が渾然一体となった作品が、それらの問題を取り上げている。戦争と精神病院の密接な関係、戦時の異様な社会と個人の精神状態の不安定さの関係が描かれている。たとえば、アンネ・フランクの日記では、彼女の一家たちがホロコーストを避けるために逃げ込んだ屋根裏での数年間で、彼女が長期にわたってうつ病の状態でいたことが記されている。
 
As you [=Diary Miss Kitty] can see, I'm currently in the middle of a depression.  I couldn't really tell you what set it off, but I think it stems from my cowardice, which confronts me at every turn.  I have been taking valerian every day to fight the anxiety and depression.
 
彼女の生活や精神状態は、精神疾患とぎりぎりのところまで追い詰められた部分を持ち、精神病院に収容されてもおかしくないような状況である。ナチス・ドイツに占領された戦時下に、精神病院を避けるために選択した屋根裏生活が、逆説的な精神病院性を持っていた。これと似たような状況は、アメリカに移民して女性作家となったYamamoto Hisae が1950年に短編の The Legend of Miss Sasagawara で描いた女性の精神疾患であるし、武田泰淳が『富士』で描いた戦時の富士山麓の精神病院における場面である。