映画『トールキン 旅の始まり』を観ました!

www.foxmovies-jp.com

 

トールキンという作家。恥ずかしい話だが、まだ作品を読んではいない(恥)『指輪物語』や『ホビット』の映画は、もちろん家族で何度も見たし、DVDも持っているが、この原作を読んだことがない。ジョン・ロナルド・ロウエル・トールキン(John Ronald Reuel Tolkien CBE、1892 - 1973)とのことである。彼の本を色々と読んでみよう。

この映画は、私にとっては数年に一度の傑作だった。トールキンが社会的に上昇した文学青年であり、同じような女性に恋をして、また第一次大戦にも参加した。ことに、ソンムの戦いにおける戦場の長大な描写は素晴らしかった。

 

この映画、皆さまもぜひぜひご覧ください。きっと忘れない傑作です。

ハンセン病と「アウスザッツ」という語の使い方

三井美澄『太平洋戦争と私』自費出版

ドイツ語を日本語の記述の中に混合させる手法として幾つかの基本的な文献がある。2006年に『医学界新聞』に12回にわたって連載された「教養としての医者語」という記事が基本的なものだろう。著者はディレッタント・ゲンゴスキーを名乗る御前隆(みさきたかし)先生である。面白い記事で、これもメモを取っていこう。

別の脈絡でたまたま出会ったのが、1940年に東大の医学部に入った三井美澄という優れた医師が書いた『太平洋戦争と私』という50ページほどの文章。同時の大学でどのようにドイツ語が用いられたかことにも結構言及されている。

たとえば、ビーコン 再試験 wiederkommen、パトロギッシェ・フィジオロギー 病理学 Pathologische Physiologie、プラクチカント 実習生 Praktikant、 ポリクリ 臨床実習 Poliklinik 英語では Bed Side Learning (BSL) などが記されている。

面白いのが「アウスザッツ」 Aussatz である。ドイツ語の意味はもちろん「ハンセン病」を指す。もともとは aussetzen という動詞の捨てる、遺棄するという意味である。ein neugebrorenes Kind aussetzen で「生まれた子供を捨てる」、jn. auf einer einsamen Insel aussetzen で「誰それを孤島に置き去りにする」という意味である。ここから、ドイツ語でも「遺棄される患者」の意味で用いられていた。

三井が記していることは、木下杢太郎(きのしたもくたろう)の筆名で有名な皮膚科教授の太田正雄が「アウスザッツ」を使った場面である。実習生がポリクリをしている中で一人の患者を診断できなかった。しかし太田がこの患者を一目見た瞬間に振り返って「アウスザッツじゃないか」と言って教室員を叱った。三井によれば「アウスザッツは癩の隠語である」という。それを聞いた実習生の顔からさっと血が引き、ポリクリを終えると、手や万年筆を丁寧に消毒した。患者がいる場面で「癩」という言葉を使えずに、「アウスザッツ」を使ったということだろうか。

少しネットを調べたら、渋沢男爵のノートなのだろうか、大正3年に帝国ホテルで光田健輔が行った講演も記されていた。そこでこのように記されている。

歴史一般 西洋には昔しから有つた旧約新約全書の所々にも書てあつて、其惨憺たる光景は聖者の同情を引いたのでありますが、併し此れが増加して参りましては家庭より追出し、乞丐を致す様に成り其乞丐の群は遂に市外に追出された、独逸語の『アウスザッツ』と云ふ意味は、病人を公衆の内より追出すと云ふことであります、此の乞丐の群を十字軍の前後から市外の病院に置き、二種の衣服及帽子を着せ、四つ竹叩いて賽銭箱に喜捨を受けるのである、又賽銭箱を癩病院の門前に吊して喜捨を受ける、後ちに癩病院が金持ちになり、堂々たる建築を構へ、乞丐をせないでも立派に公費で救助せられたとのことであります、此れ等の癩病院は一村一市の公立や、或は騎士の団体や、或は僧侶の団体で、貴族は常に此れが保護者でありました。
 仏王ルイ九世も癩病患者の同情者であらせられ、手づから治療されたり給仕されたりしたと云ふことであります、当時仏国のみにても二千の癩病院があり、欧洲の『クリスト』教国には千二百四十四年頃には一万九千の癩病院があり、熱心に離隔された結果十五世紀頃から英国・仏国・独逸・伊太利より癩病の跡を絶つた、爾来此の癩病離隔法は「ペスト」「チブス」「発疹チブス」に応用し、常に伝染病の予防撲滅に偉功を奏しました、彼の「ラツアレト」軍病院と申す字は、本と癩病院の守護神として祭りありたる聖「ラツアレス」より来りたると云ふことであります。

 

他に書いてあることも面白い。解剖学の時間にラテン語で骨の学名などを学んだこと、緒方富雄助教授がアメリカと日本の国力の差は20対1くらいだが、国力だけでは戦争は決まらないとも付け加えたなどの言及もある。

アーサー・コナン・ドイルの父の晩年の精神疾患とカリフォルニアの図書館の挿絵コレクション

www.huntington.org

 

今朝はエコノミストエスプレッソをゆっくり読んで、訪問先のサイトを少し探検したりして、楽しい時間を過ごした。もともとは、カリフォルニアのハンティントン・ライブラリーで Nineteen Nineteen という展示をしているという話である。現代の100年という視点で、1919年に何が起きたかを伝えるという面白い展示である。そこから、ハンティントンには憧れているが、実は行ったことがなく、庭と図書館と美術館の融合に感嘆しながら見ているうちに、アーサー・コナン・ドイルの父親が晩年に精神病になって精神病院に入っていて、その時期にも妖精の挿絵などを書いていた展覧会を見て、熱心に読んだ。

アーサー・コナン・ドイルの父親は、チャールズ・アルタモント・ドイル (Charles Altamont Doyle, 1831-1893) という名前で、職業は挿絵作家であった。父親も兄も著名なカリカチュアや挿絵の画家であった。チャールズもそこそこ成功して、息子との写真などもあるが、酒中毒とうつ病などによってスコットランドの精神病院に入院し、10年以上幾つかの精神病院に在院して死亡した。アラン・ベバリッジ先生がいくつかの論文を書いており、芸術と精神医療の結びつきを描いている。Wikipedia に引用されているので、ご覧ください。

何がどこにあるのかがよく分からないけれども、その時期に描いた挿絵などがカリフォルニアのハンティントン美術館に寄付されている。その中の一つの大きな主題が、イギリスの風景や庭の、動物や植物と妖精を一緒に描いたものである。非常に美しい。また、動物・植物の名称と迷信を踏まえているとのこと。そのような作品は精神疾患の患者だから描いたのか、患者であるにもかかわらず描いたのか、よく分からない。

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MADAM と DAM MAD ドイルの描画の一つです

 

 

角大師という護符

実佳が京都でリサーチをしながら、医学史家の私に「角大師」を買ってくれた。これは良源(りょうげん 912-985) という平安時代の僧に関して、後に発展した護符である。良源の諡号(しごう)は慈恵大師、通称は元三大師で、これは正月の三日に生まれたため。天台座主となり、比叡山延暦寺の中興の祖である。

彼を象った護符が、角大師(つのたいし)や豆大師の厄除け大師である。象るという日本語は目に見えるような姿を取るという意味。護符というのは、英語に直すとアミュレットである。これらはいずれも魔除けの護符である。角大師というのは、二本の角を持ち、骨と皮にやせ細った夜叉の像である。これは、良源が夜叉の姿に化して疫病神を追い払ったときのものとのこと。毎年正月に京都付近の天台宗の寺などで売り出していたという。

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護符の裏の言葉は、<如意輪観音 真言 「オン・バラダ・ハンドメイ・ウン オン・ハンドマ・シンダ・マニ ジンバ・ラ・ソワカ」>とある。何の意味なのかはよく分からない。

 

ナチス・ドイツの抹殺の精神病院に関する論文・イラスト集

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ミュラー先生編集の精神病院とナチス時代

ドイツのウルム大学・ラーヴェンスブルグ大学の二つの医学史の教授であるトマス・ミューラー先生から論文集を頂きました! 

「灰色のバス」と呼ばれる車両が精神病院を回り、それぞれの精神病院があらかじめ選んだ優生学的にマイナスの精神疾患に罹った患者をバスに乗せて、特別な抹殺用の精神病院に運んで殺害したという企画。殺害数はこの企画が7万人を少し超え、それ以外にもそれぞれの精神病院で非公式な殺害が行われて、全体でおそらく15万人を超える精神病患者が殺害されるという異様で狂気の事態でした。精神病院やベルリンの本部などには、「灰色のバス」が設置されています。

ミュラー先生の論文集は、学術的な歴史の論文だけではなく、当時の画像や現在作られたイラストなどが配されている優れたお仕事です。ぜひお読みください!

 

Psychiatric Times への楽しい投稿募集

historypsychiatry.com

 

h-madness で知ったとても面白い投稿公募。もともとアメリカの History というサイトで有名な「今日は歴史で何が起きたのか」という企画があるとのこと。例えば今日だと8月29日、この日にジョン・ロックが生まれたとか、ビートルズが最後のコンサートをしたとか、ハリケーンカトリーナアメリカを襲ったとか、そのような「歴史で今日何が起きたのか」という企画である。

それと重ねるような形で、「今月は精神医療の歴史で何が起きたのか」という投稿記事を募集している。300語から500語くらいで、X年のY月に、何々が起きたという短い記事である。たとえば、Psychiatric Times の12月号は、「1807年の12月は、ジョージ三世の精神疾患を癒したトマス・ウィリスが死亡した」で始まり、ジョージ三世は誰か、トマス・ウィリスはどんな人か(ちなみに、医師ではなく牧師である)、それから何が起きたのか、というような投稿となる。ただ、この12月にどのような意味があるのか、私には分からない。あるいは、そこで作られる距離感がいいのかな。

とても楽しい企画である。日本に関する記事を投稿しようかとすら考えている。それは、何かが起きた月を知っているからではなくて、少なくとも私は全く知らないからである。フランスのパリでピネルがサルペトリエールの女性患者の鎖を取り始めるのは、1796年であることなら知っている。それを何月に始めたのか、いま手元にないあの本を読めば書いてあるということはわかるが、それが出てこないというか、一度も意識したことがない。うううむ。

それもあってPsychiatric Times を読むことにします。ちなみに、This Day in History はこちらです。

 

www.history.com