「カフェー」とは何か

喜多, 壮一郎 and 猛 尾佐竹. 売淫、掏摸・賭博. vol. 第6巻, クレス出版, 2008. 近代犯罪科学選集.

1930年に日本で売り出された「近代犯罪科学選集」という面白いシリーズがあり、そこで売淫と掏摸・賭博の歴史を眺めた一冊がある。とりあえず目を通しておくが、昭和期の日本で人気が出始めた「カフェー」について説明があり、面白かったのでメモ。

大正年間は、公娼の衰微と私娼の激増である。1916年の警視庁令取り締まり規則は、江戸時代に完成された売淫形式を根本的に潰滅させた。大正以後における公娼制度は、支持階級の低下と法律的社会的圧迫のために、壊滅への道にありつつ、苦悶しているものといえる。反対に私娼の激増は、資本主義的文化現象として、文化欲望としての独占欲の対象として、現代人に適応した形式として批判された。もちろん、一概に私娼と称しても、表面は盛業にある職業婦人の場合もあるし、半公娼的状態にある玉ノ井亀戸におけるがごときものがある。これらについては他の章で述べたいので茲では省く。

昭和に入っての問題としては、公娼を脅かした私娼を、さらに脅かすものの出現である。東京大阪における「カフェー」の著しき発達はまさにこれである。これは、カフェーの女給の私娼化が質と量において優れているというばかりではない。形式それ自体が、単なる性欲執行だけの私娼よりも、より適応した性的娯楽の機能であるからである。「より適応した」という条件の中には、快適であること、安直であること、文化的であること、現代sh会生活の条件と一致すること、などが考えられる。 

教養研究センター基盤研究  文理連接プロジェクト 医学史と生命科学論 第4回、第5回、第6回のお知らせ

 

lib-arts.hc.keio.ac.jp

 

慶應義塾大学 日吉キャンパスにおける教養研究センターの「文理連接プロジェクト」。第4回、第5回、第6回のお知らせです。医療経済学の後藤先生、医療・疾病と文学の小川先生、歴史学の片山先生の研究報告になります。ぜひお出でください!

場所ですが、第4回、第5回は1階のシンポジウムスペース、第6回の片山先生のものだけは2階の大会議室です。

 

■第4回 10月8日(火)18:15~19:45 来往舎1階シンポジウムスペース

後藤 励(慶應義塾大学Rei Goto (Keio Univerity)
医療費の増加と医療の経済評価

■第5回 11月5日(火)18:15~19:45 来往舎1階シンポジウムスペース

小川 公代(上智大学)Kimiyo Ogawa (Sophia University)
フランケンシュタイン』とシェリーの天才論

■第6回 12月17日(火)18:15~19:45 来往舎2階大会議室

片山 杜秀(慶應義塾大学)Morihide Katayama (Keio University)
「日本イデオロギー」としての科学と技術―日本ファシズムにおける
「文系」と「理系」の混淆の仕方についてのイントロダクション

伊藤晴雨「責めの研究」

伊藤晴雨(いとう・せいう 1882-1961) は日本の画家である。責め絵の作成や、妻をモデルとした責めの写真で有名である。彼が書いた「責めの研究」という文章が面白いことを書いていて、それらをメモ。『世界の刑罰・性犯・変態の研究 』が1930年に刊行され、その復刻版が出ている。

基本的には、責めと苦痛において男と女は非常に異なった性向を持っているという男女二元論が非常に強い視点である。ここに、男は公の世界における責めと苦痛であり、女は私の世界での責めと苦痛であるという。公的な世界は、裁判の取り調べなどで、きちんとした秩序のルールに乗って相手に適切な苦痛を与えるという男性的な責めである。私的な世界は遊女屋などで遊女を女が責めるというような女性的な責めである。私的な責めのほうが、時間的には非常に長い。監禁と土蔵と座敷牢の話だから、憶えておく。ただ、正直言って、何がどうなるのかよく分からない。

もう一つが「実験」「観察」という科学的なレトリックを責めにあてはめている。自分自身が妻を縄で縛ったことは「実験」であった。科学の影響がある。しかし、その一方で、それだけに熱中することは「変態性欲」であり、それは頭脳に変化を与え、性格は大きく変わり、商人は破産、職工や芸術家は失業したり技術が劣化したりする。ちなみに、そのような変態性欲の学者は健忘症になるとのこと。

最後に、エピソードとしてメモしておくのが、日本の演劇と責めの場面の変化。日清戦争とともに日本の演劇は責めの場面が増えてくるとのこと。これはおそらく伊藤の個人的な人生の中で、日清戦争を経験したことと、演劇で責めの場面を見たことが重なっていたのかなと思う。もちろん、もしかしたら正しいのかもしれないけれども、私が議論をすることはちょっと無理である。

ヨーロッパ中央部の超複雑さ

ドイツ人の友人とメールを交わしていて、自分の地理的な無知を思い知る。ポイントはドイツとスイスとオーストリアが接する部分であり、コンスタンツ湖(またはボーデン湖)の感覚である。コンスタンツ湖やその周辺の街は非常に美しい。そのあたりの小さいけれども魅力的な街にも惹かれている。そこから少し離れるとリヒテンシュタインというミニ国家が存在し、フランス方面に行くとストラスブールがある。長野県の複雑さを思い知るのと少し似ていませんか?(笑)
 

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Ravensburg を中心に置いてみました。

荒物商と小間物商

荒物と小間物の区別がよくつかなったので、国語辞典を引いてメモ。他にも、小間物針や糸などもあり、かなり小さくて細かく、それよりも大きいものが荒物であると憶えておきます(笑)

家庭で使う雑貨類。ちり取り、ほうき、ざるなど、おもに台所などで使う家庭用品をいう。

*談義本・八景聞取法問〔1754〕五・頓智の伴頭「此間の入船に酒荒物(アラモノ)を買込で」

*暗夜行路〔1921~37〕〈志賀直哉〉一・一〇「近頃は荒物(アラモノ)趣味の方はどうだい」


紅や白粉、髪飾りなど婦人の化粧用品や、楊枝(ようじ)、歯ブラシなど日用のこまごました品物。

*天理本狂言・連尺〔室町末~近世初〕「いつあのこま物や絹布のきれぎれで目出たいおいわひのあった事は御ざるまい」

*咄本・軽口露がはなし〔1691〕五・一六「ある日暮のくらまぎれに小間物を売たるを」

*書言字考節用集〔1717〕七「細物 コマモノ 本字骨董。本朝俗謂雑玩貨之類為細物」

*役者論語〔1776〕芸鑑「其比の子供、役者ども、多くは商人・職人と成、又は他国へ小間物(コマモノ)など商ひにゆくものあまた有」

仕事の時間中はこれに心を打ち込み、仕事時間の後は心を解放してスポーツや遊びで緊張を解くこと

NHK のニュースがよく熱中症の危機を叫んでいるが、私自身は熱中症や日射病や熱射病に罹らない、あるいは自分でそう思っていることもあって、生活の中で対応できていない。その中で面白い史実を見つけたのでメモ。タイトルはここから取っています。

「これらの疾患の予防は、その原因を去ることになる。すなわち上に立つ人たちはその部下のために過度の精神緊張あるいは精神の過労を与えぬよう仕事の制限を行い、十分に休養を与えるように心がける一方、孤独感、ホームシックに罹らぬよう、適当なる慰安設備を整えてやらねばならない。他方、個人個人においても、精神の過労を起こすような心配を避けるようにつとめ、仕事の時間中はこれに心を打ち込み、仕事時間の後は心を解放してスポーツや遊びで心の緊張を解き去り、正しい頑健な精神力を養成することに努め、日々の生活を楽しく愉快に過ごすよう心掛けねばならない。また適当な休暇、旅行、転地等の制度を設けて気分の転換をはかるとともに、避暑地をつくり、そこで精神と肉体の疲労を回復し、新たな気力と体力とを養うことは甚だ適切な方法である」

これは1945年に出版された小林宏志 and 服部敏. 西ニューギニアの衞生事情. vol. 4, 日本評論社. である。太平洋協會が出版した南太平洋叢書の一冊である。その一部をタイトルに入れたが、これが今日でも日本人が実践しなければならないことだと言われているから、それをメモした。「孤独感」「ホームシック」という単語まで使われていることが、少し驚く。

西ニューギニアというのは、世界で二番目に大きな島であるニューギニア島の西側である。当時はオランダの植民地であり、現在ではインドネシアの東端にあたる。東側は、もともとイギリスやドイツの植民地であったが、第一次世界大戦などの結果、当時はオーストラリアの領土となっていた。現在ではパプアニューギニアの西端となる。ちなみに、日本はこの旧オランダ領を占有した結果、オーストラリアと実際に戦闘をすることとなる。

ちなみに、この太平洋地域は、ミクロネシアメラネシアポリネシアというように大きく三つに分かれる。ミクロネシアは小さな島々ということで、2,000を超える小火山島がある。有名な島はアメリカ領のグアム島などである。メラネシアは黒い島々という意味で、原住民は黒人である。地理的にはニューギニアに始まり、ニュージーランドまで弧を描く。ポリネシアは多くの島々という意味である。島のサイズ自体は小さい。太平洋の東側を大きく占める地域である。

蝶の楽園

アナ・パヴァードという園芸家がいる。私がとても好きな園芸家で、チューリップの話は翻訳もされているし、先日は植物の分類の歴史が楽しかった。その彼女が園芸の一年のような本を書いていて、一月に始まって十二月に終わる枠組みの中で、園芸の楽しさを描く本である。その8月分の中で Butterfly Ball と題された節があり、彼女の友人が庭を蝶の楽園にしようとしている人物のことを面白おかしく書いている部分である。植物を植える庭が、その植物の葉などを食べる蝶の楽園となることが持っている、深い深い矛盾を考えるだけで楽しい。

自宅の庭は、もちろんかなりの部分が意図しない蝶の楽園となっている。ついでに言うと、それを食べるカマキリの楽園でもあるし、バラの花については、この時期にはカナブンの楽園にもなっている。今朝の水やりの時に実佳が深く感心した蝶の楽園の写真をどうぞ。パセリを多少意図的に放置すると、このようになります。若干のインパクトはございますので、どうかご注意を(笑)パヴァードの本は以下の通り。

 

Pavord, Anna. The Naming of Names: The Search for Order in the World of Plants. Bloomsbury, 2005.

Pavord, Anna. The Curious Gardener. Bloomsbury, 2010.

 

 

 

 

 

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蝶の楽園です!

 

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成虫と幼虫にご着目ください!