奥州安達ヶ原と胎児の胆の入手

月岡芳年が1885年に売り出した「奥州安達がはらひとつ家の図」という非常に有名な作品がある。もともとは浄瑠璃『奥州安達ヶ原』の「ひとつ家」のストーリーを浮世絵にしたものである。もちろん、狂気が登場しない他の安達ヶ原のヴァージョンもたくさんあるが、江戸時代から明治時代に狂気を描いた作品の一つとして面白いのでメモ。
 
天井から妊婦が逆さづりにされ、足元では老婆が包丁を研ぎながら胎児から胆を切り出す準備をしている図である。ウィキペディアによれば、老婆はもともと京都の姫につかえていたが、この姫に障害を持った娘が生まれ、5歳になってもまだ言葉を話すことができなかった。胎児の胆がこの障害のための秘薬であることを知り、岩屋にいってそのチャンスを狙っていたところ、新婚の夫婦が来て、しかも妻は妊娠していた。女性は妻を殺して胎児から胆を切り出した。しかし、その妻が自分の娘であったことを知り、狂乱してしまった。
 

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発禁となった図であるとのこと。たしかにそうですね。ううううむ。

犯罪と精神疾患の結びつき

金子準二の書物を読んでいて冒頭の写真を頂くことにした。犯罪と精神疾患を非常に強く結びつける態度である。これは、そのような患者も実際にいたという観察であるが、そうなるのではないかという危機感と、そのような可能性がある人物は精神病院に入れておこうという安易な監禁機能の利用も存在したという議論である。

 

金子, 準二. 犯罪者の心理. vol. 第5巻, クレス出版, 2008. 近代犯罪科学選集.

 

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首相殺害の試みた患者と名士を濫訪した患者です。

 

朝鮮人の移民労働者Bと本所区大平町

朝鮮人の移民労働者。患者Aと患者Bの違いを皆さんに聞くという流れになります。患者Bについての住所地に関するメモをしました。

患者Bは本所区大平町で工場につとめる労働者であった。本所区やその中の大平町については、細かい分析をした英語の書物があるので、それを参考にしながら、彼の人生と思想を位置付ける。

1920年代以降の東京は社会的な福祉の活動が活発になっていた。キリスト教救世軍、YMCA、日本の大学のセツルメントなどが、本所の貧しい労働者たちを対象とした活動を行っていた。彼らを通じて、社会主義や労働運動の原理が説明された。それと同時に、昼間の間は保育園の機能をはたして女性の労働を可能にして、夜間は宿泊ができることが行われた。東大法学部の政治史の教授であり、民本主義に関する議論が名高い吉野作造(よしの・さくぞう、1878-1933) なども本所区で活躍した。医学では、日本の産婦人科の父と呼ばれる木下正中(きのした・せいちゅう、1869-1952) は、ドイツ留学の後、東大医学部の産婦人科の教授となり、退職後、賛育会という名称で貧しい女性と乳幼児を助ける施設を作った。

このような動きは、関東大震災の折の朝鮮人の虐殺があった。[補充] 

そこからの復帰を目指している人々が、1920年代に現れた。吉野は、1920年代の晩年には朝鮮や中国のインテリたちと影響を与え合いようになり、朝鮮人の移民と日本人の関係を改善することを目標とした相愛会が、内務省の官僚によって設立された。朝鮮は基本的に植民地状態を受け入れると同時に、朝鮮の民族性も強調されていく方向である。この流れの中で、1932年には、最初の朝鮮人の国会議員が本所区から選ばれた。 朴春琴(パク・チュングム、ぼく・しゅんきん、박춘금、1891-1973)である。

Hastings, Sally A. Neighborhood and Nation in Tokyo, 1905-1937. University of Pittsburgh Press, 1995. Pitt Series in Policy and Institutional Studies.

中世中国と江戸時代の身体図

尾佐竹, 猛. 刑罪珍書集. vol. 6, 大空社, 1998. 近代犯罪資料叢書.

江戸時代の身体の図の中で身体の表面から内部を描く面白い図があったのでメモ。

もともとは中国で13世紀から14世紀に成立した法医学的な書に添えられた挿絵である。正面からを仰面といい、背後からを合面というらしい。それらの裸の絵に、この部分は何々という説明を書きこんで、死体がどこに傷をつけられているということを正確に記述できるための重要な図像である。解剖学が支えているわけではないが、この表面の裏側の身体に何があるのかという問題も多少は意識されている。この時代で法医学の画像が達成されたことが、改めて中国文化が早く発展していることを教えてくれる。

ヨーロッパだと、それからしばらくたつと、外科系の画像で、表面の様子、傷口、そして身体の内部が描かれている。14世紀や15世紀になると、解剖の部分はやはり鮮明に存在する。

 

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正面から見た図

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背後から見た図

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15世紀の外科系の図。以下のサイトからいただきました。https://publicdomainreview.org/2016/12/07/the-many-lives-of-the-medieval-wound-man/

 

20世紀初頭の欧米における新しい精神病院の形成

Scull, Andrew. "Creating a New Psychiatry: On the Origins of Non-Institutional Psychiatry in the USA, 1900–50." vol. 29, no. 4, 2018, pp. 389-408, doi:10.1177/0957154x18793596.

19世紀末から20世紀中葉の欧米において、精神病院は多様化をはじめていた。パリのビセートルやサルペトリエールなどの病院、イングランドのハンウェルのようなアサイラムだけが目標になったわけではない。それらとは異なる、新しいスタイルの精神医療を求める動きも存在していた。欧米で1960年代にはじまった精神医療の改革、それに基づく急速な精神病院の閉鎖と地域精神医療への移行は、19世紀の末から20世紀の中葉にかけて形成された動きが存在していたから、その運動が劇的であったと考えられる。

日本の精神病院の形成は、まさにこの時期に起きていた。19世紀の末に始まり、1900年の精神病者監護法、1919年の精神病院法、そして1950年の精神衛生法によって法制度化されるという経路を取っていた。欧米がアサイラムから離脱して新しい形式に向かおうとした時期であった。そのため、日本の精神医療が同時代の目標として考えていたのは、アサイラムを模倣することだけではない。ドイツやアメリカが目指した新しい精神医療も日本において実現が目指されていた。

上高地と奈川渡ダム

上高地に行くまでの間に奈川渡ダムという大きなダムがある。自家用車で行けるぎりぎりの部分にある。これは東京電力揚水発電をしている大きなダムである。長野県だから60ヘルツの中部電力の領域であるが、そこでは東京電力の50ヘルツで作られ、東京地域に送るだけでなく、直近の地域である安曇などでは実は東京電力から買い、支払いは中部電力であるとのこと。名前についても面白いエピソードがある。奈川はもともと梓川の支流で、二つの川が合流するあたりを「奈川渡」という。これは「ながわど」と読み、読み方としてはわりと難しい。それが関係あるのかもしれないが、東京電力は「安曇ダム」というわりとよく知られている読み方をつけようとしたが、ダム化に伴って移住することになっていた住民たちがこれに抗議した。総称としては「安曇ダム」がいいが、たしかに安曇地方がダムになるわけではない。奈川渡ダムという名称が的確である。

発酵の文化

小倉, ヒラク. 発酵文化人類学 : 微生物から見た社会のカタチ. 木楽舎, 2017.
 
発酵文化人類学という面白いタイトルの本があったので目を通した。大学時代には文化人類学を学び、そこから発酵という自然科学と科学技術の主題を取り上げることを考えた。これを「生命工学と社会学の交差点」と呼んでいる。面白い。
 
その中で、発酵文化の見取り図というタイトルで、ヨーロッパとアジアの対比で考えて居る部分があるのでメモ。中国を中心とする東アジアエリアと、かつてのメソポタミアローマ帝国一帯から西のエリアでは発酵における文脈が違うという議論である。正しいかどうかは別の問題だと思うけれども、面白い。
 
西の発酵はパン、ビール、ウィスキー、ワイン、シードル、チーズやヨーグルト。メジャーな原料をシンプルに醸す文化である。東の発行は、日本酒や紹興酒などカビを使った穀物酒、豆や麦を醸した調味料、ココナッツの果汁を酢酸菌の一種でゼリー状にしたナタデココ。特筆すべきはカビ。和食、韓国料理、ベトナム料理やインドネシア料理に共通する「旨み」を作り出す発酵カビ。これらはハードコアで地域性と多様性。また、スタンダードな発酵はパン、ヨーグルト、ビール、醤油と味噌など、どの文化圏の人にも好かれる。一方、ローカルな発酵は、キムチ、ブルーチーズ、ウィスキー、熟れ鮨、中国の臭豆腐であるとのこと。
 
これはジャック・ル・ゴフが、ヨーロッパはワインとパンの文明とビールとソーセージの文明の二つに分かれるというコメントを使った状況を、新しい発酵学で読み直すようなことだろう。