筆記用具と製図用品への愛情
井伏鱒二の幻覚
1933年の2月から3月にかけて、井伏は巣鴨の病院に隔離された。(おそらく駒込病院であろうが、これは調べなくてはならない)しょう紅熱ではないかという恐れである。風邪気味なので医者に見てもらってしょう紅熱かもしれないと言われ、家には子供もいたし、妻が薬局で薬を調剤してもらって家庭医学の赤本を見て入院させることにした。最終的にはしょう紅熱ではなかったが、そこで最初に一時的な妄想を見る。
「寝床に仰向けになると、天井が素通しのガラス板で、その上が二回の部屋ー図書館のカタログ室のようにケースが並び、一人の洋装の女がカードを繰っている光景が見える。天井が素通しだから、その女性を真下から逆さまに見ることにある。女の履いている靴も真裏から見える。靴は新式のハイヒールだから、動きも軽々としてすっきりした感じである。
カタログを繰る女性は、ヒトラー総統の女秘書だとわかった。真下から見るので美人かどうかわからないが、脇目も振らず一新に指先を動かしている。その繰り続けている動きがふと途切れ、カタログの抽出から一枚のカードが床に落ちた。それを真下から見るわけだ。人名簿か処方箋かであったろう」
向田邦子『あ・うん』と精神疾患患者の見知らぬ隣戸への侵入
精神疾患の患者と家族と隣戸の対応について。私宅監置ではなく、その10倍ほどの数がいる非監置の場合である。
地方部においては、わりと自由に村の中を歩き周り、人の家にふらふらと入って行った例も記録されている。18世紀から19世紀のイギリスにおいてもあてはまるけど、これはもう一度チェックしてみよう。都市部においては、症例誌に断片的な言及はあるが、詳しい話は、そのことを書こうとした作文や小説の方が豊かである。東京の貧しい地帯においては、狂人がふらふらと入ってきて、きつねつきだとか、くずれた嫉妬のような感情を見せる事例は、豊田正子という綴方の天才が1930年代に複数回書いている。
中産階級でいうと、やはり言及はある。向田邦子の『あ・うん』の小説に、中産階級の家庭でこのような事態が起きた例が載っている。小会社の社長と会社員がいる友人同士で、家族と一緒に東京の山手地帯に住み、家賃は30円である。そこに、見知らぬ男が入ってきて「俺の嬶」を探すという場面。家の人物たちはきょとんとしたり、警察官のように尋問したり、キチガイだろうと頭を指さしたりするという場面である。
トマス・クックの袋
倒産してしまった旅行会社 Thomas Cook. 使ったことは一度もないが、19世紀末からの小説や現代の歴史映画などにもよく登場した。と思っていたら、自宅にあった硬貨入れの袋がクック社のものだった。いつ使ったのだろう。
伊藤晴雨の包茎手術
伊藤, 晴雨. and 太. 福富 (1996). 伊藤晴雨自画自伝, 新潮社.
自画自伝の中に20代の後半で包茎手術を受けているありさまを書き、その挿絵を自身で描いているのでメモと挿絵を保存しておいた。
伊藤は20代後半まで童貞で、時々吉原に行っていたがどうも勃起がうまく行かなくて多少は悩んでおり、結婚することになってきちんと性交できるように友人に相談して、結局医者に診てもらった。彼が童貞だから簡単な手術をしようということになった。「切れば使えます。君のは包茎だ」と言われた。それを切ったら、おそらく性器の包茎を取り除いたあとの仮縫いがほころび、隣に妙齢の婦人がいて、「これから使える」と思ったとたんに「ポキン」と大きな音がした。股間の一物の糸が切れてしまい、電車内の乗客が一斉に彼を見たという。
「ポキン」ですか。まあいいことにしよう(笑)
埋め立て湖とラムサールとバードウォッチング
外国に行くと時々バードウォッチングをする。一人で公園に行ったり散歩道を歩いたり位。今回はもちろんできなかったが、ルフトハンザの機内誌を読んでいて、300種類もの野鳥を大きな埋め立て湖が提供しているという記事を思わず読みふけってしまい、機内誌をこっそり持ち帰るというところまでした。
場所はギリシアのケルキニで、英語でも日本語でも素晴らしい紹介サイトがある。ギリシアの南部にアルバニア、マケドニア、ブルガリアと並んでおり、そのマケドニアとブルガリアと接している部分である。もともと1930年代に埋め立てを行い、そこから非常に美しいゾーンとなり、最近になってエコ系の観光地としたとのこと。ラムサール条約の指定を受け、エコ系の観光にいって楽しいらしい。埋め立て湖が、しばらくすると自然観察ゾーンになるということがよく分からない。でも、こういうところに行ってみようかなという気になる。