ドライセージを作りました

私はお料理が非常に下手であり、この年になって実佳に教えてもらっている。もともとできるお料理は、ゆで卵とアーリオオーリオのスパゲティ、ここしばらくサラダのドレッシングを作ることができる。最近、カレーを作る方法も教えてもらい、エヴァーノートにメモしてある。初心者用のお料理である。
 
お料理ができるようになる一環かどうか分からないが、庭のセージの葉を取ってドライセージにしてみました。葉を茎から切り離し、レンジで500Wで2分、裏返しにして1分という簡単な仕事。
 

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何かに似ているような気がしますが、セージの葉です

二匹のカエル

昨日は台風が伊豆半島に上陸しましたが、幸い、私が住んでいる地域では暴風雨という現象がありませんでした。意外な地域に大きな被害が出て、どうか立ち直りに集中してください。静岡ではそこそこの大雨が降り、二匹のカエルがガラス窓に仲良くよりそっていました。

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二匹のカエルです

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これは部屋の中から

『銀座秘録』と『浅草経済学』と『神経衰弱の光秀』

昭和戦前期の東京の精神医療の世界を考えるてめに、石角春之助(いしずみ はるのすけ、1890 - 1939)の本を読んでいて、もともととても面白い作家であり、しかも神経衰弱を政治的な脈絡でとらえた作品を出版していることに気がついた。『銀座秘録』は娯楽と快楽の銀座をとても面白く取り上げている。銀座はお客様とお食事をするだけになってしまったし、もともと私が知っている銀座にそのような機能があったかどうか知らないけれども、私が学生時代に住んでいた横浜の地域を思わせる書き方だった。『浅草経済学』は、経済学というよりも、浅草の名店・名サービス紹介で、これは知っておくといい。最後の「神経衰弱の光秀」は、明智光秀は神経衰弱に罹っていたという短い芝居の脚本である。同じ本に『狂人仇討』という作品も収められている。

10月12日はコロンブスの日

www.history.com

 

History の「今日は何の日?」メール。20世紀のアメリカを中心とする主題でとても楽しい。10月12日はコロンブスアメリカを「発見」した日である(配布は10月13日になる仕組みなのだろう)もともとは10世紀にヴァイキンググリーンランドとニューフォンドランドに植民したが、大規模に発展しなかったとのこと。そのことを知らなかった人々が、15世紀末にカリブ海の諸島を発見することになる。コロンブスはおそらくジェノヴァで生まれ、1492年8月3日に3隻の帆船を率いて大西洋を西に向かい、10月12日にバハマ諸島のワトリング島に上陸したとのこと。上陸した島は普通はサン・サルバドル島とならうが、英語名としてはワトリング島というとのこと。10月の末にはキューバ島を見つけ、これはシナだろうと考え、12月にはヒスパニョーラ島に到着して、これはシパンゴ(日本)だろうと考えたのとのこと。現在ではハイチ共和国ドミニカ共和国である。そこには、シナの影響を受けながら、マルコ・ポーロが黄金の宮殿と呼ぶものがあるとされた場所である。

二十四節気「寒露」

しばらく遅れてしまったが二十四節気の「寒露」についてメモ。「寒露」は一か月前の「白露」から「秋分」の次の節気。朝の冷気は一段と増して、寒々と凍るかと思うばかり。季秋9月の建戌(けんじゅつ)の月の節気。太陽は黄経195度に達し、太陽暦では10月8日くらいである。季秋という数え方、9月の導入、建戌があり、月の節気という数え方をすること。分からないながらも、どこが分からないかが分かるようになった。

ところが、今回の三つの候は、いずれもものすごく難しい。私にとって難しいだけでなく、岡田先生も難しいと仰っている。初候が「鴻雁来賓」(こうがんらいひんす)。これ自体はOKだが、白露の初候がすでに「鴻雁来」(こうがんきたる)であり、1か月前に鴻雁が来て、寒露で来賓となるという事態がよくわからないとのこと。私には全く分かりません(涙)次候は「雀入大水為蛤」(すずめたいすいにいりてこはまぐりとなる)というのは、もともとスーパー奇妙な語句。これは「こはまぐり」、別のものは「おおはまぐり」と読むというのは、魔術の世界の中で展開される根本から分からない難解技法である。末候は「菊有黄花」(きくにわうかあり)は、ものすごくほっとするものである。

レインボーフラッグの6色と7色と8色

wotopi.jp

 

医学界新聞にLBGTQs に関する記事が掲載されていた。とてもいい記事である。その中で著者が LGBTQs を象徴するのがレインボーフラッグであり、それが6色であると書いてあったので、5種類がなぜ6色なのか、基本的な部分を調べて理解した。もともと8色だったのが、フラッグを大量生産するための商業的な理由で6色に減少したこと。それから、この部分は私の推測だけれども、当初は1970年代に成立していた一つの概念が後退したことがある。これは最初の8色のフラッグをデザインしたアーティストのギルバート・ベイカーへのインタビューがもとになっている。

まず8色というのは、紫・藍・ターコイズ・緑・黄色・オレンジ・赤という虹の7色である。そこにピンクをつけて8色となる。このピンクは、ナチスが同性愛者につけさせた色であったという。ところが、これを量産するために、8色という色が難しい。それで、色々とあって、ピンクが消され、藍とターコイズを青にする形で、6色となったという経緯である。

ただ、ピンクを消すこと、そして緑とターコイズを青にすること、この2色の消し方には、多少の議論があったことも感じられる。以下は私の推測です。まずピンクという色が「セックス」を象徴しており、それが最上部に位置付けられていたという事実が、議論を呼ぶだろう。精神から上昇が始まり、生命、そしてセックスが最高に置かれている形は、議論を呼ぶ。もう一つが、ターコイズの意味付けである。そこに「魔術」が入っていることは、非常に1970年代の特徴があるように思う。セックスと魔術を持つ8色から、その2色を引いて6色になったこと。大きな象徴を作る方法として非常に上手であり、その背後にはセックスや魔術ではなく、それよりも根本的な原理を堅固な形にしようという考えを感じることができる。

もう一つ。最初はゲイの話であり、そこにレズビアンが参加するという過程をたどり、現在は5種類になっている。そして色は6色。かりに、もう一種類参加すると、6種と6色ときちんと対応する。SM(サディズム&マゾヒズム)は色々な意味で有力候補だと思うが、それは色々と問題があるのかもしれない。 

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8色への概念の対応です。

 

 

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日本語版です

 

アイロニー・皮肉・骨格の概念

しばらく前に OED の今日の英単語で eiron という単語が出てきた。一度説明を読んで、少し調べてみたけれども、分からなさの水準が半端でなく、全然わからなかった。今日、少し丁寧に調べてみて、少し分かるようになったのでメモ。
 
Eiron はギリシアに起源があり、ギリシアの喜劇に登場するキャラクターである。その人物は謙遜、言語での控えめさ、そしてアイロニーの意味合いに敏感な人物である。このキャラクターに対比されて登場するのが Alazon というキャラクターで、彼は傲慢で威張りたがり屋で細かい部分には無頓着である。用例を見ると、両者の二元論で使われているとのこと。これはアリストファネスにも登場するし、アリストテレス『二コマコス倫理学』でも取り上げられている。アリストファネスは『蛙』がなかったけど、アリストテレス『二コマコス倫理学』では彼が批判する自己卑下的なキャラクターとして取り上げられている。分からない部分もあるが、だいたいは OK である。
 
問題は「アイロニー」という言葉である。irony という言葉は、もともとは eiron が起源であるが、どうやってアイロニーという言葉が持つ意味になるのか分からなくなってしまう。特に、もともと喜劇に登場する面白いキャラクターが、なぜアイロニーという概念になるのかが、五里霧中になってしまう。そこで、irony をWikipedia や Fowler を調べると、かなり分かる。基本的には、言語の表面的な意味と、その下に存在する意味が、同じでないことである。ソクラテスアイロニーを使うし、これが一番インパクトがあったのだが、エディプス王もアイロニーとなっている。そして、それを分かっている人物と分かっていない人物の二種類が存在していることを知っている人物が使うのが「アイロニー」である。ファウラーの定義は次のようなものである。
 
"Irony is a form of utterance that postulates a double audience, consisting of one party that hearing shall hear & shall not understand, & another party that, when more is meant than meets the ear, is aware both of that more & of the outsiders' incomprehension."  
 
アイロニー」の概念が分かる。それが二重性が分かっていないときに、喜劇的になり「エイロン」と結びつくこともわかる。
 
これを日本語に訳すときに「皮肉」と言葉がふさわしいかどうか、よく分からない。「皮肉」は、もちろん人体などの皮と肉の意味。そこから内部にもう一歩はいると、骨と髄である。「アイロニー」と何がどうつながるのかよく分からない。