朝鮮人と演歌『お国節』の問題

王子脳病院の朝鮮移民にとって、朝鮮の歌が一つの大きな謎になっている。一つ演歌の中で朝鮮人がうたわれている部分があったのでメモ。演歌のタイトルは『お国節』。現れたのは1920年語のようである。はじめは「武蔵の国でノーエ 自慢したいはノーエ 米を作らず米食う虫けらうようよ住む東京」のようにはじまる。その中で朝鮮人が登場する部分がある。
 
朝鮮自慢はノーエ
朝鮮人参ノーエ
飴サラ、虎狩、オンドロ、キイサン、唄はアララン、タンバクヤ
山は金剛山ノーエ
川は大同江ノーエ
筏流しで名高い大河が支那と境の鴨緑江
 
これに、このようなコメントをつけている。「今は隣の国となった朝鮮でこれがさかんにうたわれ、妓世は宴席でかならずうたうものになっていた。が、その詞に続けて反歌のように「日本自慢はノーエ」と一節やっていたのは、客へのサービス、媚態でありながらその底に民衆的抵抗のひやりとするものをひめていたのを、日本の支配階級は感じ取らなかったようである。」
 
実は無知な私にはまだこの演歌はよく分からない。特に三行目がわからないことが多い。アラランを「アリラン」と読むと少しわかる部分もある。でも、そもそも、1920年から30年の日本人や東京人は、この3行目が分かったのだろうか。
 

c.1920年の演歌『調査節』

1920年の第一回国勢調査が象徴するように、国民の調査は日本社会の中に確立した。これらは過去の人々、そして現在のわれわれが当時の状況を把握できるようになり、社会科学にとっては不可欠である。一方で、これを調査者と調査される方の視点で考えてみると、調査される方は自分たちの生活を権力側や知識人側に伝えて、彼らは行政や知識や業績や運動を作り出すが、それらが自分たちの生活に関係があるかというと曖昧であるというパターンが多いこともある。そのため、調査に対する態度はたいがい両義性を持っている。労働者の問題とかかわろうとする知識人たちに「なんだい、この、蒼白きインテリ野郎が」とタンカを切る演劇の場面では、客席におこった爆笑と、スクリーンへの拍手まであったという。「観念の操作にとどまる知的感度と、具体の感得とが密着したものにならなかったのだ。具体的感得者である民衆の目は、知的なうきあがりをすぐ滑稽とみる」という。
 
1920年頃に歌われた演歌に『調査節』があり、以下のようなものである。
 
調査々々がメッポーカイに流行る
あれも調査よ 調査々々
これも調査で ノラクラ日を送る
おめでたいじゃないか ネ―あなた 調査々々
 
外交調査会 細民調査
小売商暴利も 調査々々
政経済 ノラクラ日を送る
おめでたいじゃないか ネ―あなた 調査々々
 
物価が高くて困ってしまふ
どうかならぬか 調査々々
どうかならぬかで ノラクラどうもならぬ
おめでたいじゃないか ネ―あなた 調査々々
 
神経衰弱また行路病者
精神病 花柳病も 調査々々
糞尿問題 生活の行詰まり
おめでたいじゃないか ネ―あなた 調査々々
 
橋の袂(たもと)に行路病者(ゆきだおれ)がゴザる
どこの誰やら 調査々々
手帖鉛筆ひねくる間に息が絶え
おめでたいじゃないか ネ―あなた 調査々々
 
海に水路あり 空には航空路
そうだそうだと 調査々々
空の上までやっとこさとお気がつき
おめでたいじゃないか ネ―あなた 調査々々
 
調査々々で幾年過ぎた
この先いつまで 調査々々
明けても暮れても調査々々 また調査
おめでたいじゃないか ネ―あなた 調査々々
 
川合, 隆男. 近代日本社会調査史. 慶應通信, 1989.
添田, 知道. 演歌の明治大正史. vol. 青版-501, D144, 岩波書店, 1963. 岩波新書.
 
この部分も書いておくと、この現象は私にはよく分からない。ものすごく印象論的なことを言うと、いまから20年以上まえに、私自身が子供を連れて街に出るときに経験したことであるが、ロンドン、スコットランド、京都などでは、個人と個人の間、あるいはグループとグループの間は社交的に開かれていた。多くの人々がまだ小さかった娘に声を掛けて「何歳?」とか聞いてきた。(もちろんそれで終わりである。)一方、東京やイタリアの諸都市においては、知らない人に声を掛けるということは非常にまれであった。もちろん東京の人達も知人の子供にはにこやかに声を掛ける。
 
 
 
 

医療英会話026

医療英会話キーワード辞典。一日3ページずつ音読。今日はpp.73-75. 「えいみん 永眠」から「える 得る」まで。今日の中くらいの山は「栄養」。1ページ近くが栄養関連でした。
 
永眠
She passed away peacefully at five o'clock this morning.
 
栄養
You are not getting enough nutrition.
You should be more careful about your nutrition.
Make sure that you take a balanced diet.
 
栄養士
school dietitian, registered dietitian
 
栄養状態
Your nutritious state is getting worse.
Evaluate and improve a person's nutritional status.
 
会陰
perineum
perineal hypospadias
 
ええ
Yes, sure, certainly, uh-huh, Mm.
May I have a second opinion?  Sure.  
 
笑顔
A mother's smile is the best medicine for her child.
 
fluid, liquid, juice, solution
 
armpit, underarm, axilla
 
液体
Did the vomit look like clear liquid?
Please keep this liquid in your mouth till I say OK.
 
エスカレーター
Take the escalator to the second floor, and you will find the department of neurology on your right.
 
壊疽
Foot ulcers can turn gangrenous if they are not treated.
 
エックス線
You need to have an X-ray.
I am going to take an X-ray of your chest.
 
エックス線写真
When was your last chest X-ray?
The chest X-ray shows a shadow of a nodule in the right lung.
 
episodic memory
 
エプロン
put on an apron
wear an apron
lead apron
 
Jehovah's Witness
 
Ebola hemorrhagic favor
 
You need to have an MRI.
Judging by the results of the MRI, it could be liver cancer.
 
偉い
You put up with a lot of pain.  You are very brave!
 
えらぶ
choose/select the most appropriate treatment for prostate cancer.
choose between breast-conserving surgery and mastectomy.
 
得る
We were able to get/obtain a good test result.
 

『演歌の明治大正史』

朝鮮移民の患者と朝鮮語による放歌を論ずる時に、脇の支えとして日本の演歌について少し調べた。著者の添田知道は、父親が実際に演歌師であり、明治・大正における演歌は身をもってよく知っており、父の友人が演歌のコレクションを持っていたという。
 
江戸時代には瓦版と読売という、ブロードシートを配る業者がいた。そこに書いてあるセリフに、リズムや節が加えられ、歌となった。これが「やんれ節」や「流れ歌」である。これが明治時代に入って、自由民権運動日清戦争日露戦争などのおりに、演歌が発生する。もともとは、自由民権運動期に教養人たちが演説をするなか、その「説」の部分が「歌」となり、「演説」から「演歌」になるとのこと。実際、この書物に収められている初期の演歌は、自由民権の中の演説である。ただ、演歌屋があらわれて路傍で歌をうたい、その歌詞が書いてある印刷物を一部いくらで売るようになる。この印刷物が演歌コレクションとなる。これは香具師と同じような路傍での商売であるという。実はこの香具師というのも難しい存在である。
 
演歌はいろいろな事件を歌やコメントを添えた形で路傍や広場で歌っていたものである。その事件というのは、戦争のような大きなもの、政治家のスキャンダル、殺人事件などもある。殺人事件の中では、明治末期に、医学生漢詩人、その妹が、妹のハンセン病を問題にしたである妹を問題にした明治末期の事件がインパクトがあった。それ以外にも面白い情報が満載。岩波新書ですが、買って持っておくことにしました。 

外科医が内に持つ共同墓地

Henry Marsh 先生はイギリスの脳外科医。もともとは政治学、哲学、経済学などを学んでいたが、最後に医学を学び脳神経外科の教授となった。彼が2014年に刊行した Do No Harm: Stories of Life, Death and Brain Surgeryは、脳外科医が生と死の間で仕事をしていることについて、実際の事例を繰り込みながら、情念と正直さを描いている傑作である。特に冒頭は、神経膠腫を目の前にする患者、患者の妻、そしてマーシュ先生の話で、そこで語られることが、手術が成功せず、数多くの患者の死を引き起こす外科医は、自らの内部に共同墓地を持っていることである。これは、Rene Leriche, La philisophie de la chirurgie (1951) からの引用で、以下のようなものである。
 
Every surgeon carries within himself a small cemetery, where from time to time he goes to pray - a place of bitterness and regret, where he must look for an explanation for his failures.  

精神病院における患者の死について

精神病院における患者の死と、それがどのように当時の社会や文化に組み込まれるのかを論ずる章を書きはじめている。今のところは、いろいろな本を読み散らしているというのが現状で、学術的な研究と、そうではないことの双方を考えている。

後者では、A.S. Byatt のPossession というだいぶ前の小説があり、それを読んでいる。20世紀後半のポスドクの研究者とそのガールフレンドがいて、この研究者は19世紀の文学者の史料を読んでいる。19世紀の文学者にも妻がいて、二つのカップルが時代を通して存在する。そして、19世紀と20世紀のカップルたちがそれぞれ複雑な事件を起こし、20世紀のポスドク研究者はその謎を学術的に解くと同時に、19世紀にはキリスト教が崩れている時期に心霊術を用いるという話だったと記憶している。ある意味で生と死の間が繋がれる話であり、歴史学者である私が、過去の死をどう考えるのかという問いに関する非常に洗練された大ヒット作品である。

この作品には日本語の翻訳もあり、そこで著者が書いている「あとがき」も面白く、そこから重要な引用をメモした。

芸術は政治のため、教育のためにあるのではなく、何よりも楽しむために存在するのであり、楽しむことができなければ、無に等しい。コールリッジが熟知して語っているように、芸術は、楽しめてこそ、他の機能を持ちうるのである。

ホーソンより(これは冒頭にもある)。歴史を扱ったロマンスは、リアリズムによってではなく、はるかなる過去と、刻一刻過ぎ去りいく現在を、一つに結び付けることへの願望から成り立っているのである。

『ドン・パスクワーレ』と19世紀イタリアの政治社会

しばらく前にドニゼッティ『ドン・パスクワーレ』を観た。新国立劇場のプログラムはしばらく前から水準が高く、林真理子がどうでもいい文章を書くというようなことはない。今回は水谷先生という方が「オペラ・ブッファからロマンティック・コメディへの転換」という文章を書いていらして、きっと基本的な知識なのだろうけれども、17世紀のイタリアにおけるオペラの様子、モーツアルト、イタリアの19世紀初頭の様子、そしてイタリアの19世紀の様子の順で説明して下さり、素晴らしくよく分かる記述だった。

「イタリア」を一括りにせずに、いくつかの都市に分けて考えることが大切である。また、ロッシーニドニゼッティヴェルディは、前者は1810年代、後者は1840年代ということで、王政復古の時期か、新しい民主的な政治なのかも違うとこと。たまたましばらく前に19世紀のイタリアの作家マンゾーニが、17世紀のミラノのペストを描いた『いいなづけ』を読んで、イタリアの文学における勢いを感じたこともあって、『ドン・パスクワーレ』が持つイタリアの力が分かりました。