c.1920年の演歌『調査節』
医療英会話026
『演歌の明治大正史』
外科医が内に持つ共同墓地
精神病院における患者の死について
精神病院における患者の死と、それがどのように当時の社会や文化に組み込まれるのかを論ずる章を書きはじめている。今のところは、いろいろな本を読み散らしているというのが現状で、学術的な研究と、そうではないことの双方を考えている。
後者では、A.S. Byatt のPossession というだいぶ前の小説があり、それを読んでいる。20世紀後半のポスドクの研究者とそのガールフレンドがいて、この研究者は19世紀の文学者の史料を読んでいる。19世紀の文学者にも妻がいて、二つのカップルが時代を通して存在する。そして、19世紀と20世紀のカップルたちがそれぞれ複雑な事件を起こし、20世紀のポスドク研究者はその謎を学術的に解くと同時に、19世紀にはキリスト教が崩れている時期に心霊術を用いるという話だったと記憶している。ある意味で生と死の間が繋がれる話であり、歴史学者である私が、過去の死をどう考えるのかという問いに関する非常に洗練された大ヒット作品である。
この作品には日本語の翻訳もあり、そこで著者が書いている「あとがき」も面白く、そこから重要な引用をメモした。
芸術は政治のため、教育のためにあるのではなく、何よりも楽しむために存在するのであり、楽しむことができなければ、無に等しい。コールリッジが熟知して語っているように、芸術は、楽しめてこそ、他の機能を持ちうるのである。
ホーソンより(これは冒頭にもある)。歴史を扱ったロマンスは、リアリズムによってではなく、はるかなる過去と、刻一刻過ぎ去りいく現在を、一つに結び付けることへの願望から成り立っているのである。
『ドン・パスクワーレ』と19世紀イタリアの政治社会
しばらく前にドニゼッティ『ドン・パスクワーレ』を観た。新国立劇場のプログラムはしばらく前から水準が高く、林真理子がどうでもいい文章を書くというようなことはない。今回は水谷先生という方が「オペラ・ブッファからロマンティック・コメディへの転換」という文章を書いていらして、きっと基本的な知識なのだろうけれども、17世紀のイタリアにおけるオペラの様子、モーツアルト、イタリアの19世紀初頭の様子、そしてイタリアの19世紀の様子の順で説明して下さり、素晴らしくよく分かる記述だった。
「イタリア」を一括りにせずに、いくつかの都市に分けて考えることが大切である。また、ロッシーニとドニゼッティ・ヴェルディは、前者は1810年代、後者は1840年代ということで、王政復古の時期か、新しい民主的な政治なのかも違うとこと。たまたましばらく前に19世紀のイタリアの作家マンゾーニが、17世紀のミラノのペストを描いた『いいなづけ』を読んで、イタリアの文学における勢いを感じたこともあって、『ドン・パスクワーレ』が持つイタリアの力が分かりました。