サド侯爵と精神病院

 サド侯爵の精神病院での晩年を描いた映画『クィルズ』を観る。このブログで初めての映画評。
 シャラントンの精神科医ロワイエ=コラール(サー・マイケル・ケインの名演)は、偽善者にして冷酷な拷問者と映画では徹底的に敵役に描かれているけど、本当にこんな嫌な奴だっけ?神父のド・クルミエ(ホアキン・フェニックスの好演)は本当にこんな格好いい奴だっけ? と、気にしてはいけないことが気になって―エンディング・ロールにこれはフィクションだって断ってあった-手元にある資料で調べてみた。ネタは主にゴールドスタインの有名な研究書。
 ロワイエ=コラールの描き方は、ポエティック・ライセンスの範囲内というか、歴史フィクションの王道といっていい。革命と共和制の中で台頭した「精神医学の父」フィリップ・ピネルはその弟子のエスキロールを通じてパリに精神医学者たちのグループを形成するが、ロワイエ=コラールはこのサークルと対立し、哲学から政治に転進して成功した兄などの影響力を通じて重要な職についていた。精神医学の研究上の業績が殆どないのに、1806年にはシャラントンの院長に任命され、ピネルとエスキロールのサークルからは目の敵にされていた。ピネルらとロワイエ=コラールは政治的な色合いもかなり違った。前者は革命の成果を守ろうとしていたのに対し、ロワイエ=コラールは保守よりの政治サークルと付き合いがあり、メーヌ・ド・ビランと知的・個人的な親交があった。保守化の波に乗って社会的な成功を収めている医者の姿が浮かんでくる。実際に悪辣で偽善者であったかどうかは別にして、そうであったと想像したくなるような人物である。
 一方、ド・クルミエの方は全然ダメ。モラル・トリートメントの一環としてサドに演劇を上演させたりして、新しい精神医学を実施していたのは本当だが、彼もアクが強いキャラだった。1806年に着任したロワイエ=コラールに患者のカルテを見せないとか、かなり妨害して両者の確執は相当なものだったらしい。何よりも、ド・クルミエは体も顔も変形していた大変なチビだった。ある女性は、「クルミエ氏が立ち上がったとき、彼は視界から消えてしまった」と記している。若くハンサムでケイト・ウィンズレットが惚れるような神父の姿は、かなり無理がある。

調べた本は、Jan Goldstein, Console and Classify (Cambridge: Cambridge University Press, 1987); Dora B. Weiner, The Citizen-Patient in Revolutionary and Imperial Paris (Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 1993); Neil Schaeffer, The Marquis de Sade: A Life (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1999).