緒方洪庵

緒方洪庵関係の伝記を3冊ほど読む。
 グリーンウッド社から来年刊行される『世界医学人名辞典』(Dictionary of Medical Biography) の日本の医者のエントリーを幾つか書く。そんな事情もあって、日本の医者の人生について付け焼刃で勉強している。その中の一人が緒方洪庵で、3冊の本を読んだ。緒方富雄(洪庵のお孫さん)によるファクチュアルな伝記と、西岡まさ子による家族に焦点をあてた伝記小説を2冊。前者はもともと戦前に書かれたものだし、後者はそもそも小説なので、現代の医学史のスカラリーな関心を共有していることは期待していない。しかし、たくさん調べものがしてあって、特に後者はそれをうまくまとめて読み物に仕立てている。
 伝記辞典のエントリーを書くだけのマテリアルそのものは十分にあるが、やや長めのエントリーにどうやって流れをつけたらいいのか、思案している。緒方富雄が強調しているように、洪庵が大阪の町医者であったことをまず強調しなければならないだろう。大阪は大都会だが、江戸の医学館や京都の医の名家にあたる、公の権威がある医学教育の競争者がいない。教える内容について自由度が高いだろう。そして、教える内容の自由度が高いということは、色々なことを教えなくてもいいということかもしれない。洪庵自身にはオランダ医学の基礎的な部分の訳業があるが、適塾では基礎医学を教えていたのだろうか?ポンペ(このエントリーも書かなければならない・・・)が、むきになって教えた生理学や解剖学などは、私が知る限りでは適塾の学生の記録からはエピソード的にしか現れてこない。(だいたい、適塾は当時の医学校の基準で言ってもかなりの定員超過であったにちがいない。また、そこで組織的に教えられ、進級の基準になったのは、医学というよりオランダ語の文法である。)18世紀の西洋の医学教科書には系統的に教えるものと、アフォリズムの形式を取って臨床的・実地的な知恵の断片を警句風に記したものがあったが、緒方が塾生に接したスタイルは、明らかに後者である。福沢の評からも、そんな姿が浮かんでくるような気がする。
まだ、これで書ける、という雰囲気になっていないので、あと少し論文などを読み漁ろう。これは、というものを知っていたら、教えてください。

文献は 緒方富雄『緒方洪庵伝』増補改訂版(東京:岩波書店、1977);西岡まさ子『緒方洪庵の妻』(東京:河出書房新社、1988);西岡まさ子『緒方洪庵の息子たち』(東京:河出書房新社、1992)。