ホスピタルの起源


古代末期から初期中世のヨーロッパ・イスラム世界の病院(ホスピタル)の起源を論じた論文を読む。

 Peregrine Horden という古代から中世の歴史研究者がいる。10年ほど前に彼が編集した論文集に寄稿したことがあって、それ以来彼のファンになった。 時代的には私の専門とかけ離れているが、もともと古代や中世の研究書のスカラリーな「厚み」が好きなこともあるし、ホーデンが書いたものはできるだけ読むようにしている。 今回は、新着雑誌に彼が病院の起源を論じた論文を見つけて、張り切って読んだ。 この論文は、私が読んでいない重要な研究を下敷きにして、またそれらに対する批判として書かれたものなので、内容を正確にまとめることはできない。以下は、ホーデンのスタンスを私の関心にひきつけた翻訳である。
 病院の歴史の研究の中で、これまで病院設立者たちの思想が重視されてきた。「病院を作ることで、誰が、どんな人に対して、何をしようとしているのか」という部分が注目されてきた。このヒストリオグラフィの中で、ピーター・ブラウンはローマ帝国のキリスト教化の脈絡の中に病院を置き、それは革命だったと論じている。 それに対してホーデンは、ホスピタルというのは「空間の創出」である、と考える。病者や貧民、異人などを泊めてケアする機能を持つ空間は色々ある(ホーデンはそれをサブ=ホスピタルと表現している)が、この「慈善・ケアの空間のスペクトル」の連続の中で、いわゆる「病院」というものを考えるべきだ、ということだろう。 そうすると重要なのは、ホスピタルとサブ=ホスピタルとの関係を考えることである。言葉を変えると、ホスピタルという壁の中に貧しい病者を囲い込む空間を作ることは、サブ=ホスピタルのスペクトルの空間にどんなインパクトを与えるか、ということが重要な問いになってくる。あるいは、どのようなシステムで貧しい病者をケアしていた社会が、サブ=ホスピタルから「壁を持つ」ソリッドなホスピタルを結晶させたか、比較することである。その脈絡で、ローマやビザンツ、ユダヤ、イスラムの(サブ=)ホスピタルが比較されている。(短いがインドや中国にもホーデンは言及している。)
 いま、日本の精神病院の歴史についての本を一冊書こうと思っていて、ぼつぼつと準備をしている。このあいだ脱稿したイギリスの精神医療についての本では、色々な事情があって、精神病院の話をほとんどせずに、家庭におけるケアとコントロールだけを議論した。今回の日本については、もっと広い、色々なサブ=ホスピタルのスペクトルを含んだ話をしたい。ホーデンの論文は、とてもいい出発点になる。

Horden, Peregrine, "The Earliest Hospitals in Btzantium, Western Europe, and Islam", Journal of Interdisciplinary History, 35(2005), 361-389.
彼の著作は多いが、私が特に好きなのは、Horden, Peregrine, “Disease, Dragons and Saints: The Management of Epidemics in the Dark Ages”, in Terence Ranger and Paul Slack eds., Epidemics and Ideas: Essays on the Historical Perception of Pestilence (Cambridge: Cambridge University Press, 1992), 45-76. である。

画像は13世紀に作られたトルコのディヴリギの病院