ソ連の社会衛生学

 1920年代のソ連の社会衛生学についての論文を読む。私がまったく知らなかったテーマであったことと、社会医学の先駆者についての顕彰的な記述に食傷していたこともあって、とても新鮮だった。

 革命前のロシアでは、衛生学は、medical police と細菌学に支配されていた。(このあたり、戦前の日本とよく似ている。)しかし、革命期に、ドイツの社会医学(グロートヤーンなど)や、革命前からの地域に根ざした医療改革の流れの双方から、社会的な要因を重んじる社会衛生が現れて、一般衛生学とは異なった学科として確立した。 比較的早い社会衛生学の社会的独立は、革命期の医療全体の改革の波に乗って、新しい講座を作ったり医学カリキュラムを作ったりすることが簡単だったからだ、という。もちろん、社会主義のイデオロギーの大いに与って力があった。(このあたり、フランス革命期の医学改革を想起させる。)

 面白いのは、この社会衛生学が、その後に辿った運命である。独立した学問としての社会衛生学は短命であった、というのが著者の判断である。1930年には、雑誌は廃刊し、カリキュラムからは外される。その理由として、著者は面白い説明をしている。1920年代には、革命後の混乱と内戦、そして経済政策が導いた急速な都市化によって、ソ連の衛生状態は危機的なものに陥った。続発する危機に対応するために必要だったのは、長期的なヴィジョンではなくて、「火事場的な仕事」 fire fighting であった。社会的な改革による予防ではなく、目先の「防疫」作業であった。その中で、社会衛生は自らを正当化する「実績」を示すことができなかった、というのである。
 公衆衛生の実績と学問的なレジティマシーの結びつきということは、これまであまり考えていなかった。しかし、たとえば大正期のコレラの減少とか、第二次大戦直後の結核とか、「実績のレトリック」という観点を入れて記述すると面白いだろう。

文献は、Susan Gross Solomon, “Social Hygiene in Soviet Medicine, 1922-30”, Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 45(1990), 607-643.

画像は、読もうと思って読めないでいる研究書の表紙