ミシェル・フーコーのヘテロトピア

 昨日水曜日は、私が事務局をしている研究会で、私が話すことになっていた。秘書がコピーしてくれた論文が山をなし、借り出してくれた本が机の上に柱のようになっていた。かなりの体積をもったそれらの文献をとにかく読み散らかしてアイデアをかき集め、話のポイントだけを作り、新幹線の中でPPのスライドを作って間に合わせた。今年の修羅場が絶頂を迎えた感がある。その中で、コピーしてくれた論文の山の中に偶然あったミシェル・フーコーのヘテロトピア論は思わずじっくり読んだ。

 <19世紀のオブセッションは時間 / 歴史であった。現代のそれは、空間である>という内容の有名な台詞で始まるこの論文を、これまで実は読んだことがなかった。(こういう本や論文がなんと多いことか・・・) ヘテロトピアというのは、ユートピアと同じように、現実世界の全ての「地点」(英語では site であった。いかにもフーコーらしい一癖ありそうな概念だが、定訳があるのだろうか。)と対照される空間である。しかし、ユートピアとは違って、ヘテロトピアは現実に存在する空間である。こうして「ヘテロトピア」という空間的な鍵概念を簡単に定義したあと、その原理を5つか6つ、美しい、インスピレーションをかきたてるレトリックを使って列挙している、という構成の論文である。その中では、時間を堆積させる近代の図書館や博物館のような場所と、時間を一切れスライスして切り取るお祭りのような場所の対比が、一番惹かれた。その他にもインスピレーション満載で、きっと、フーコーの他の仕事と同じように、これから何度も読み返す論文になると思う。

文献は、Michel Foucault, “Of Other Spaces”, Diacritics, Spring 1986, 22-27.

研究会のHPは、以下の通りです。(これを書くと、このブログの書き手が特定されるのだけれども・・・ でも、読んでくれる皆さんの中で、書き手が誰か知らない人は少ないと思います・・・ふと気になって、アンケートを始めてみましたので、ご協力ください。)
http://web.hc.keio.ac.jp/~asuzuki/BMC-HP/home.htm