伝染病対策と環境主義

啓蒙と医学における環境主義についての古典的な研究書を読む。

今年の冬学期に大学院の授業で明治期の赤痢についての医学書や流行記事などを読んでいるうちに、「感染説 vs 環境説」ではなくて、どちらも(特に後者)複数あることを実感した。在来医学の影響もあって、日本の明治期のContagion <theories> vs environmental <theories> の構図はとても複雑になっているのに、日本の研究者たちの間では、最もナイーブな記述が横行している。誰か、この豊かな領域で、読み応えがある分析をしてくれる研究者はいないだろうか。

 赤痢のテキストを読んだときに気になったけれども、そのままにして調べなかったメモが「未決書類」の山の中から出てきたので、ライリーの古典を引っ張り出して読んだ。とても有名な書物である。17-18世紀ヨーロッパ啓蒙主義の「秩序ある自然」への興味と信頼は、伝染病の説明として、医者たちの意見を、「感染」ではなくて「環境」重視に傾斜させたという科学史上の主張と、その環境重視に基づいてヨーロッパの諸都市で行われた方策(たとえば通りの清掃とか、汚物処理の改善とか)が、18世紀後半のヨーロッパの死亡率低下に貢献したという人口史上の主張の二つの大きな主張をしている。

 調べたかったことの一つは、「空気」偏重の問題である。環境の中には、水だとか土だとかもあって、これらも病気の原因として重視されていた。しかし、細菌学革命以前、18世紀の末から、空気(ミアズマ)が偏重して重視されるようになるという。(この原因が何か書いてあるかと思ったのだが、何も説明してなかった。)<感染 vs 環境> という単純な構図でなく、環境説の中で、どのエレメントを強調するかという違いが大切である。もう一つは、アナロジーの問題である。環境主義が、膨大なデータを蓄積するにつれて、反証されるどころかますます受け入れられていったことを説明するのに、「観察・データ収集・帰納的推論」ではなく、「観察・データ収集・アナロジー」という方法を取っていたからということをライリーは上げている。この、アナロジーの文法というか、どんなアナロジーがよく使われたか、どんなアナロジーは受け入れられなかったかということに、明治期の衛生方策を決めた一つの鍵がある。(石塚左玄の夫婦アルカリは、衛生行政として「受け入れられる範囲」を逸脱していたのかなという気がする。)

文献はRiley, James, The Eighteenth-Century Campaign to Avoid Disease (New York: St. Martin’s Press, 1987)