アメリカの疾病史

 アメリカの病気の歴史の通史を読む。

 アメリカの精神医療、特に精神病院の歴史研究をリードしてきた Gerald Grob が第一線を引いて、アメリカの病気の歴史の通史を書いた。意外なことに、このトピックでははじめてのまとまった本である。精神医療の歴史から病気の社会環境史へという方向が、ちょっと自分自身の姿と重なる。精神医療の歴史においては、私の世代のイギリスの研究者たちの間では Grob とは大きく違った「学風」が支配的だった。この本も、いかにも彼らしい構成であり、彼らしい筆致が随所に見られる。折衷的というか、多様性を強調することに熱心というか、リザベーションの積み重ねで議論を作るというか・・・よく言うとバランスが取れていて冒険しない。悪く言うと独創的な着眼と、鋭い分析でヒストリオグラフィを切り開くことをしない。そういった学風の違いを認めた上で、この書物は、厚みがある二次文献に支えられ、圧倒的な高水準の書物であることは疑いない。 

 コロンブス以前の状況では、征服以前の「原初の健康のエデン」神話を否定する(このあたりがGrob 節である)。コロンブス以降の感染症による先住民の殲滅を論じたところでは、それが天然痘だけではないことを強調する(このあたりも Grob 節である)。初期植民時代においては、都市の未発達と人口のまばらさ、そして大西洋という巨大な防疫線のせいで、天然痘などの感染症は少なかったが、しかしエンデミックな感染症のため健康状態は悪かったことを指摘する。-そして、ここからが Grob 節の真骨頂である。 

 エンデミックな感染症として、赤痢などの水系感染症とマラリアのような気候に依存する感染症の二つを重要なものとしてあぶりだす。つまり、植民者は船による輸送と水の確保が必要だったために水際に住むことが多く、河川の水への依存の度合いは高く、井戸を掘ったとしても初期は浅いものしか掘られなかった。河川が氾濫した場合には特に、この状況は水系感染症による健康へのハザードを作り出した。また、南部においては蚊の繁殖(特に越冬繁殖らしい)を助ける暖かい気候は、河川の周りの沼地の住民をマラリアの脅威にさらした。マラリアは直接の死亡の原因としては小さくても、抵抗力を弱め、死亡率全体を押し上げるのに大きく貢献した。河川沿いの原始的な定住地が発達し、より洗練された構造を作る過程は、河川と近接した生活域でその水に依存している状態から離脱する過程でもあり、この時期に死亡率は下がる。後に、鉄道が河川への依存からの脱却をさらに進めた。(しかし、19世紀になると、急速に拡大した都市は大きなヘルスハザードとなる。)その一方で、沼地で米を作るプランテーションが成立した南部地方においては、マラリアは19世紀まで残ることになる。マラリアに抵抗力を持っていたアフリカ出身の奴隷の輸入が、この構造を安定させた。

 つまり、河川沿いのフロンティアが充実して小都市へ、それから大都市になっていくなかで死亡率の上下が繰り返された波と、比較的安定して差を作り出していた南部と北部の気候と産業に依存する病気の違い、これがアメリカの病気の歴史の大きな枠組みである。 

文献はGrob, Gerald N., The Deadly Truth: A History of Disease in America (Cambrdige, Mass.: Harvard University Press, 2002).