グリーンブラット!

 グリーンブラットの本を読む。

 私には何人か「好きな」学者というのがいる。その人が書いたものはどれでも読むのが楽しい、そんな学者たちである。問題の立て方や、分析の仕方、表現の仕方で、ああ、この人らしくていいなあという「スタイル」を感じる学者がいる。逆に、同じように重要な仕事をしている学者でも、何故か好きになれないスタイルの持ち主もいる。主張が正しいかどうかではなく、あるスタイルが「好きか嫌いか」というのは、教室や学会でおおっぴらには言えないから、同業者とそういう話をしたことはあまりないが、きっと、皆さんも密かに好き嫌いがあるに違いない。
 グリーンブラットは、私が昔から「好きな」学者の一人である。英文学のスター学者の一人だから、好きなのは私だけではないと思うけど。独創性があって深みと広がりがある枠組み設定、切れがよい分析、さり気なく博識をまとう優雅さ(wearing one’s learning lightly)。秘書が借り出してくれた本の山の中に、彼の本があるのに気がついて、なぜこの本を読もうと思ったのかよく判らなかったけれども、彼の本だから喜んで読んだ。時間がなくて、全部は読めなかったので、イントロダクションしか読めなかったけれども、でも楽しかった。
 一番簡単に言ってしまうと、新世界の事情を報告したヨーロッパの旅行記の分析である。これを、「表象の資本の生産と流通」という概念で分析するそうだ。(イントロしか読んでいないので、この概念がどのように効果的なのかは分からなかったけれども。)そして「驚異」という経験に着目する。新世界を訪問した旅行記には、目の前で展開している現象に「驚異」を感じるという段階がある。これはある意味で一時的な感覚だが、その驚異を感じた現象を、ある装置を経た後に、「所有する」という言説のメカニズムの存在を探り出す。これが、ヨーロッパの新世界経験にクルーシャルであるという議論になるのだろう。
 驚異を感覚であるといったけれども、これは感覚というより、身体に刻まれた、「感覚」よりももっと深い現象である。おぞましい光景を見たときの嫌悪感、美しいものに触れたときの喜び。こういった感覚は、新世界の旅行記では、身体に刻まれたものとして表現されていた。だから、驚異に打たれ、しかるのちにそれを所有するという言説のメカニズムは、身体が受けた衝撃から回復するという、身体の再所有という意味を持つことになるだろう。
 私は、精神医療の歴史の研究で、似たようなことを考えようとしたことがあった。それは「嘔吐」である。精神医療の改革者たちは、判で押したように嘔吐する。精神病患者が隠されている劣悪な環境(それはだいたい、光が入らない地下室である)を暴いた勇敢な改革者は、大活躍が一段落すると、嘔吐することになっている。このコンヴェンションが成立していたはなぜだろう?という疑問を持ったことがあった。そんなことを思い出させてくれるような、インスピレーションに富んだ、楽しい時間を過ごしながら、久しぶりのグリーンブラットを読んだ。

文献は、Greenblatt, Stephen, Marvelous Possessions: The Wonder of the New World (Oxford: Oxford University Press, 1991).