ジャマイカと植民地医療


 ハンス・スローンが1680年代のジャマイカで行った医療についての研究論文を読む。

 4月にサンフランシスコで学会があるが、そこでは20世紀の日本を題材に医学と気候馴化の話をしようと思っている。資料を分析するアイデアを探して文献を漁っていたら、扱っている時代はだいぶ遡るが、面白い論文があった。

 18世紀イギリスの国王侍医にして、チョコレートの生みの親ハンス・スローンは、若い頃にジャマイカに滞在して医療に携わり、自然史研究をおこなった。彼のコレクションやアーカイヴが素晴らしい状態で保存されている―というか、そのコレクションが後に大英博物館になった―こともあって、スローンは最近のポストコロニアル研究の隆盛の一つの焦点である。一昨年に来日して各所で講演したフェミニズム科学史の女帝ロンダ・シービンガーも、最新著の中でスローンのエピソードを大きく取り上げていた。

 スローンが1707年に出版したジャマイカの自然史についての二巻本の大著に、64ページにわたって128人の患者の「症例」が記されている。イギリス人、原住民、男性、女性にまたがって、患者の病気とスローンによる治療が記されているこのマテリアルは、医学史家でなくても魅力を感じる資料だろう。これを丁寧に分析したのがこの論文である。

 この論文のポイントは、スローンが当時の「環境主義的生理学・病理学」の中で、きわめて重要な例外だったことである。当時のイギリスやヨーロッパでは、気候によって人間の体質が変わるので、病気、またはその発現が大きく変わり、その治療法も変えなければならない、というヒポクラテス的な思想が主流をなしつつあった。特にイギリスにおいては、この説は、イギリスの海外進出や外国との戦争時の軍事医学、あるいはアフリカとカリブ海の間の奴隷貿易などを正当化するのに用いられた、イデオロギー的な医学の学説であった。スローンは、当時主流になりつつあったこの説に反対して、イギリス人においても原住民においても病気の現れも治療法も変わらない、変わるとしたらそれは患者の社会階層と行動要因による、というストーリーを展開する素材として、この症例を掲げているという。

 デイヴィッド・アーノルド流の、医学言説が植民地支配を支えた構造を分析するヒストリオグラフィは、この20年以上にわたって使われ続けてきた。この論文を読んで、アーノルドの枠組みに当てはまる史実を探して喜ぶのではなく、むしろその枠組みに当てはまる史実と当てはまらない史実をパターン化していくメタレヴェルの考察が必要な段階に入ったということを実感した。 

文献はChurchill, Wendy D., “Bodily Differences?: Gender, Race, and Class in Hans Sloane’s Jamaican Medical Practice”, Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 60(2005), 391-444. 言及したシービンガーの著作は、Londa Schiebinger, Plants and Empire: Colonial Bioprospecting in the Atlantic World (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 2004).

画像は、ハンス・スローンがジャマイカで収集した植物の標本。この標本コレクションを写真に撮った画像が、ロンドンの自然史博物館のサイトでデータベースになっている。
http://www.nhm.ac.uk/research-curation/projects/sloane-herbarium/