ロボトミーはなぜ流行ったか

 アメリカのロボトミーの実践の歴史については、ケンブリッジ大学出版局から出ているプレスマンの著作が今のところの決定版である。ヒストリオグラフィも洗練されていて、最近の医学史研究で流行の「医学理論の歴史から医学の実践の歴史へ」という潮流にも乗っている。実践のこともいいけど、理論のこともきちんと知りたいと思っていたところ、精神科治療法のインターナルな理論史・概念史の視角から20世紀中葉におけるロボトミーの受容を研究した論文を読む。インターナルな概念史は最近の医学史では流行っていないが、この論文は傑作だった。

 ロボトミーの歴史記述はたいがいリスボンの神経学教授のエガス・モニスから始まる。私は恥ずかしながら今まで知らなかったのだが、ロボトミーはモニスより50年前に報告されている。1880年代にスイスの小さな精神病院の医者だった、ブルクハルトという医者である。彼は、88年から89年にかけて合計6人の精神病患者の脳を切り取る治療実験をして、その効果を90年のベルリンの学会で報告した。この報告が終わったとき、会場には冷たい雰囲気が流れたという。それから約50年後の1936年、リスボンの神経学教授のモニスが20例の患者のロボトミーをパリで報告した。この報告のときにも、反応は50年前と同じように冷たかったという。ここまでは話は大体同じである。精神病患者の脳を切り取るという手術は、精神医学者たちにもまずは嫌悪を引き起こしたのである


 しかし、その後、ロボトミーは英米やラテンアメリカで陸続と実施され、四半世紀のあいだ大流行する。どうして1890年代に葬られた治療法が、50年後には医者たちをひきつけたのだろうか?この理由を、ブルクハルトの概念基盤とモニスの概念基盤の違いに注目して分析したのが、この論文である。著者のコトウィッツ(と読むのだろうか)は、英語・フランス語・ドイツ語、そして(たぶん)ポルトガル語の文献を駆使して、二つの精神科外科治療の概念上の決定的な違いを次のように説明する。ブルクハルトの方法は、古典的な局在論であった。つまり、大脳の特定の箇所の病変によって、ある精神症状が作り出されるというモデルである。その症状を取り除くために、特定箇所を切り取ればよい。(ブルクハルトは、症状を見ながら2.5グラムから5グラムくらい切り取っている。)一方、モニスの方法は、パブロフの条件反射とラモン・イ・カハールのニューロン説に基づいている。脳の組織そのものは健常であるが、ニューロン間に異常なつながりが固定されてしまって、ある症状が反復的に生み出されてしまう状態が精神病であり、そのつながりを外科的に絶てば精神病は治る、というのである。ブルクハルトの理論は極めて反証しやすい(同じ症状を示した複数の患者の脳に同じ病変が発見されなければ、この理論が誤りであることを示すことができる)のに対し、モニスの理論は極めて反証しにくい。組織上の変化が観察されなくてもいいのだから。その重要性と発展性を多くの医学者が認めていた基本概念(ニューロンと条件反射)を組み合わせて、反証できない概念装置に仕立てた外科的な治療法がモニスのロボトミーであったのに対し、ブルクハルトのそれは、すでに人々が行き詰まりを感じていた昔日の局在論に基づいていたのである。モニスのロボトミーは「勝ち組の理論」に乗って、少なくとも当時の技術水準では反証できない治療モデルに基づいていた、というまとめ方ができるだろう。

 もう一つコトウィッツは面白いことを言っている。モニスの理論は、精神医学の緻密な臨床を必要としていないというのである。この概念では、精神病の色々な症状を区別しなくていいのだ。そして、実際、モニスは精神医学をいちじるしく軽視し、同じリスボンの精神科の教授は激しくモニスを批判している。モニスのロボトミーは、精神科医の本領である緻密な臨床観察の重要性を否定するものであったのである。

文献は Kotowicz, Zbigniew, “Gottlieb Burckhardt and Egas Moniz – Two Beginnings of Psychosurgey”, Gesnerus, 62(2005), 77-101.