エリザベス朝ロンドンの「ヒステリー」

 1602年に起きた魔女疑惑事件で、魔女術の結果であるとされた少女Mary Glover の奇妙な症状が、「ヒステリー」であると論じた書物を読む。文献は、Witchcraft and Hysteria in Elizabethan London: Edward Jorden and the Mary Glover Case. Ed. and intro. by Michael MacDonald. London: Tavistock/Routledge, 1991. ジョーダンのリプリントと、この事件に関係ある文献をあと二つ収録して、マクドナルドの緻密で明晰なイントロダクションがついている。

 1602年の4月、当時14歳のロンドンの商店主の娘、メアリー・グラヴァーは、貧しい老婆のエリザベス・ジャクソンと口論したあと数日後から、突然奇妙な症状を呈するようになる。喉がつまって水が飲めず、口も利けないし目も見えなくなり、首と喉に毎日腫れが現れ、それが18日間続く。その間、彼女は物を食べることが一切できないが、飢えた様子はまったく見せない。魔女術が疑われる典型的な例である。ジャクソンが魔女術をかけたのかどうかをめぐって裁判が行われ、医者たちの意見が聴かれる。その中で、グラヴァーの病気が「自然な」原因によって引き起こされたもので、魔女術の産物ではないこと、ゆえにジャクソンは無罪であることを主張した書物が、ジョーダンの書物、A Briefe Discourse of a Disease Called the Suffocation of the Mother (『子宮の閉塞と呼ばれる病気についての略説』)である。

 ジョーダンの書物は、ヒポクラテスの『神聖病について』以来の、超自然と自然の現象の線引きの仕事である。グラヴァーの症状が自然的な原因(子宮の閉塞)によってもたらされたものであることを、当時の医学的な理論を用い、古典と近代の医学書と彼自身が経験したほかの症例に基づいて論証したものである。久しぶりに読み返して、面白い話がたくさんあった。(よい匂いはこの病気に悪いとか。)それと同時に、この本に書いていないこともあって、それも面白かった。まず、ジェンダーの問題。プラトンの「さまよう子宮」に典型的に見られる女性の性的な欲求不満の議論は、触れられてはいるが、扱いはとても軽い。子宮の病気だと言っているのだから、改めていう必要もないのかもしれないが、ジェンダー化の程度はとても低い。もう一つは、グラヴァーの症状が一切書かれていないことである。このテキストは司法医学の文脈で書かれたにも係わらず、case ではない。同じような「驚異」の病気の例を、ブッキッシュな引用で例証し、医学理論で道筋をつけるというのがこの本の機能である。この本が case でないというのは、もしかしたら、意味があることなのかもしれない。