水の環境史


 数日続いた悪魔憑きのおどろおどろしさを洗い流してくれるような水の歴史の研究書を読む。小野芳朗『水の環境史-「京の名水」はなぜ失われたか』(東京:PHP新書、2001)

 リサーチの中心は、明治期の京都の上下水道建設案の行方である。ペッテンコーファーの地下での水の有毒化論と、コッホの細菌学に対応する形で、水系感染症の予防には、下水道を優先させるべきか上水道を先に建設するべきかという議論があった。井戸水が美味しい(と信じられていた)京都では、上水道を建設しても人々は水を買わないだろうという読みから、明治28年頃から下水道を優先すべきだという意見が上がる。しかし、これらの案がさまざまな障害にぶち当たって放棄されるなか、ほぼ同じ時期に琵琶湖から疎水を引いて、その疎水を用いた水力発電で電気を販売しようという目論見の中で上水を優先させる案は30年代の後半に実現する。これを、公衆衛生に対する電力産業の勝利であると著者は位置づける。

 これ以外にも、面白い指摘が満載だった。末石富太郎の「環境容量論」という面白い概念の紹介も面白かったし、海辺の地下水は塩辛いので飲用に適していないから、住民は危険な表流水(例えば淀川の水)を飲むという指摘は、この筋の専門家にとっては当たり前かもしれないが、私がずっと探していたアイデアだった。

画像は、19世紀イギリスの水洗トイレの設計図。