日本のペスト


 日本のペストの疫学に関する古典的な研究を読む。文献は、飯村保三『日本ニ於ケル「ペスト」ノ疫学ニ関スル総合的研究』(東京:内務省衛生局、1929)

 ペストに関して言えば日本はラッキーな国だった。13世紀以来、ユーラシアを席巻した第二回の世界的流行、ヨーロッパでいわゆる黒死病を惹き起こした長期の流行においても、ペストは日本に上陸しなかったと考えられている。19世紀末からの第三回のパンデミーにおいても、3000人弱の患者ですんだ。(その8割以上が死んだが・・・)この流行のメカニズムを、ネズミとノミに着目して解明しようとしているのが本書である。

 トリヴィアを一つ。ネズミにつくノミの研究はペスト学の中心の一つだったし、ペスト流行地にどんなノミがいるかという研究はルーティンとして行われていた。具体的には、患者が出た家やペストに罹患したネズミが出た倉庫に、モルモットをしばらく放置して、それにたかったノミの種類を調べるという手法である。 しかし、意外に盲点だったのが、家で普通に人にたかるノミだった。このノミの季節性について、飯村が欲しかったようなデータがなかった。そこで、飯村は、引っ越したばかりの自分の家のノミを数えることを考える。東京都四谷区大番町76番地、木造瓦葺平屋、新築8年、南向き開放日当たり良、5部屋23畳の家で、8人家族の飯村家はひたすらノミを取り、ルーペで雄雌を区別して、それを記録することを2年10ヶ月続ける。「蚤の捕獲については家人全員常に注意し、行住座が各機会に於いて捕らえたる蚤は漏れなく容器に投入記録し、特に小児(飯村家には4人の子供がいた)は蚤に過敏にして縷々安眠を妨げらるるため夜中に捕らえたる数も相当多し」。飯村家は大正14年には1128匹の蚤を、同15年には834匹、昭和2年には1343匹の蚤を捕まえて数えている。 引越しした新居を楽しみにしていたに違いない飯村家の子供たちは、衛生局の防疫官の家族というのはここまでしなければならないの、と涙をこらえる3年間だったに違いない。 

画像は、ペストの担い手として悪名高いケオピスネズミノミ。吸った血液が透けて見えるのがおぞましくも罪深い。