免疫学の思想


 メチニコフ (Eli Metchnikoff, 1845-1916) の食細胞理論に始まる免疫学の思想史を読む。文献はTauber, Alfred I., The Immune Self: Theory or Metaphor? (Cambridge: Cambridge University Press, 1994)

 この著者にはチェルニャックと共著のMetchnikoff and the Origins of Immunology (Oxford University Press, 1991)という書物がある。メチニコフの食細胞理論の過激な独創性を明晰に示し、その思想的起源を鋭利に分析した科学思想史の傑作の一つである。本書は、二つの点で前作を発展させている。時代的にメチニコフ以降まで射程を伸ばしたことと、免疫学の哲学的な分析をより深めたことである。 おそらくこちらの方が名著としてより知られていると思う。
 
 メチニコフはダーウィン『種の起源』の生存競争の概念に触発されて、ある生物の一つの個体の内部において、さまざまな組織や部分が競争しながら並存しているモデルから出発した。この争いを通じて、その生物の「自己同一性」が形成されるとMは理解する。Mが考えたプロセスは「外界から侵入した異物を排除することで、調和的な状態にあり完成している自己を維持する」というモデルではない。確かに食細胞は外界から侵入した異物も食べる。しかし古くなった細胞も食べるのである。食細胞の前者の機能は、より範囲が広い機能の一部であって、その本質的な特徴ではない。食細胞がまるで意思を持っているかのようなこのモデルは、より化学的なアプローチを取る当時の主流から激しく攻撃された。ベーリングが発見したジフテリア血清をモデルとする免疫の理解は、化学的・計量的なだけでなく、体内に外から侵入してきた毒素を叩いて体内の秩序を維持するというモデルである。体内の「調和を維持する」ことが生命の特徴だと捉えるのか、それとも体内での「闘争」を通じて調和を「目指す」のが生命の本質であると捉えるのかの違いである。

 メチニコフの思想は、第二次大戦後、免疫学の主流となった。現在の(というか、この本が書かれた時点での)免疫学はベーリングのようなスタティックなモデルで免疫システムを理解していない。免疫学における「自己」概念は、ダイナミックなプロセスとして理解されている。(ちなみに、1950年代にメチニコフのアイデアを発展させて免疫学での「自己」という言葉と概念を確立したのは、名著『伝染病の生態学』の著者バーネットである。)現代と過去の免疫学におけるメタファーとしての「自己」概念と、フッサールニーチェ、ジェイムズ、フーコーなどの概念を比較した部分も、あまり丁寧に読めなかったが、とても面白そうだった。 

 画像はメチニコフ。二回の自殺未遂を含む激しい人生を送ったように見えなくもない・・・か?