臨床医学の哲学

 19世紀から20世紀のポーランドにおける臨床医学の哲学の論客たちの論集を集めた便利な論文集を読む。文献は Ilana Löwy ed., The Polish School of Philosophy of Medicine  (Dordrecht: Kluwer Academic Publishers, 1990).

 ヒポクラテスは遍歴医者たちの親分に過ぎなかったかもしれないが、ガレノスはローマ皇帝マルクス・アウレリウスの侍医にしていっぱしの哲学者であった。医学に対する知的・哲学的な反省というのはヨーロッパのアカデミックな医学史に通底する一つの知的な営みである。近年の医療倫理の隆盛は、この長い伝統が政策決定に携わる政治家と官僚のバックアップを受けたときの一つのヴァリエーションとして捉えたほうがいい。

 19世紀から20世紀にかけてポーランドで「医学の哲学」が花開いた。なぜポーランドだったのかという疑問に対して、多くの優れた医学生が外国に留学して先端的な医学を学んだが、自国に帰るとそれを活かせる設備がなかったため、医学に対する哲学的な反省に向かったという面白い説明がされている。そういったポーランドの医哲学者とは、シャルビンスキー(Tytus Chalubinski)、ビエルナッキー(Edmund Biernacki)、ビエガンスキー(Wladyslaw Bieganski)といった、聞いたこともなければどう読むのかも定かでない人々である。再発見されて評価が高いフレック(Ludwik Fleck)も、直接の弟子筋というわけではないがこの系譜に属する。

 彼らの特徴は、当時あらわになりつつあった臨床医学基礎医学の緊張関係を正面から取り上げて、「基礎医学と理論が進歩している現在、臨床はどうあるべきか」という問いに取り組んだことである。基礎医学が実験室で発見した「病気」というカテゴリーを、個々の患者に対処する臨床でどのように使ったらよいのか、医学の少なくとも一部が「科学」の体裁を整えているときに、数千年の伝統を持っている治療という「技法」はどうあるべきか。そういった問題に対する当時の反省的な考察を知ることができる貴重な論集である。