環境思想の帝国史

 環境思想と対策のグローバル・ヒストリーの概説書を読む。文献はGrove, Richard H., Ecology, Climate and Empire: Colonialism and Global Environmental History, 1400-1940 (Cambridge: The White Horse Press, 1997).

 だいぶ前にこのブログでドナルド・オースター『ネイチャーズ・エコノミー』中山茂他訳(東京:リブロポート、1989)を取り上げたが、それに較べると今回の本はこの20年ほどの環境史の成熟をまざまざと見せつけてくれる。

 オースターの本は古典的な手法で書かれた環境思想史の本で、リンネとかソローなどのテキストにどんなことが書かれているかというのがリサーチの基本である。今回読んだグロウヴの本は、はるかに複雑な仕掛けを持つ洗練されたものである。地球的な気候変動の歴史と、世界的な植民地化にともなう土地利用と環境のの変化(特に森林の伐採)を背景にして、植物学、地質学、化学などの科学的な理論と知識が応用され、さらにはキリスト教思想(エデンの園の神話)や進化論、民族主義などによって駆動されて、世界の各地で環境保全思想が経験した進展と挫折と復興を描いている。 環境、科学、政治、経済などが絡みあうトータル・グローバル・ヒストリーとしての環境史・環境思想史がついに教科書レベルまで降りてきたのだなという感を強くした。 

 私は環境史は全くの素人なので、専門家にとっては基本的なことなのだろうが、幾つかの面白かったことを。まずヨーロッパとその植民地における環境保全思想の長い歴史である。17世紀以来世界各地に築いた植民地からの情報を通じて、イギリスの科学者たちは世界で同時的に起きる気候変動や、開発の結果生じる環境の悪化を18世紀からかなり的確に捉え、それに対応しようとしていた。1791年のエルニーニョなどが惹き起こしたインドの旱魃は、1770年代に進展した気体化学(植物と炭酸ガスの固定)や当時の重農主義などと結び付けられてインド植民地の植林活動の発端となった。そして、これらの環境科学のプロトタイプにおけるイノヴェーションは、帝国の中心であるロンドンの知識のセンターではなくて、植民地で起きたという指摘である。 

 なお、私はまだ読んでいないが、グロウヴには Green Imperialism (1996)という550ページもの馬鹿でかい(笑)研究書がある。