タイのコレラ

 タイのコレラについての論文を読む。文献はTerwiel, B.J., “Asiatic Cholera in Siam: Its First Occurrence and the 1820 Epidemic”, in Norman G. Owen ed., Death and Disease in Southeast Asia: Explorations in Social, Medical and Demographic History (Singapore: Oxford Universiy Press, 1987), 142-161.

 タイのコレラについての基本的な情報を記した文献。1820年の流行以前にもコレラの流行が何度かあったという推測があったが、その記述を丁寧に分析して、どれもコレラとは言えないという否定的な結論を出したのが一つのポイント、1820年の流行についての詳細な記述を紹介したことがもう一つのポイント。

 二つほど面白かったことを。まずはアユタヤ朝の開始に関する伝説である。

「かつてはアユタヤの地に沼があり、凶暴な大蛇(英語の原文は dragon だが、勝手に大蛇と訳しました)が住んでいた。その大蛇は怒ると有毒の涎を吐くので、沼の近くには人間は近寄れなかった。王子は苦心のすえこの大蛇を殺し沼の干拓を完成させると、魔法使いが現れて、この地からは流行病が根絶され民は健やかに暮らせるだろうと予言した。そこで王子はこの地に都を置いた。これがアユタヤ王朝の始まりである。」

・・・という伝説を読んで、この病気というのはマラリアであり、この伝説が王権によるマラリアの制圧を物語っていると考えない医学史研究者がいるだろうか? 私が好きな医学史家のPeregrine Horden も、6世紀のパリの周辺の沼地のドラゴンをめぐる伝説をマラリアのエコロジーと結びつけて解釈している。(Ranger & Slack, Epidemics and Ideas 所収) ところが意外なことに、この病気というのは何と「天然痘」である。過去の病気の同定に慎重な学者が書いたのでなければ、懐疑的に「ホント?」と聞きたくなるところであるが、この論文の著者がそう言っているのだからほぼ間違いない。しばらく前にツツガムシ病とネズミの伝説について偉そうなことを書いていたブロガーがいたが(笑)、現代の医学知識を読み込んで過去の伝説を解釈することがいかに危ういか痛感させてくれる。

 もう一つは、1820年のコレラ流行の時のエピソード。シャムの王朝の年代記にこのようなことが書いてある。

「コレラがバンコクに侵入すると夥しい死者が出た。王は祈りをささげることを民に命じ、人々はエメラルドのブッダや聖遺物を奉った行列をした。旅行と殺生は禁止され、全ての政府の業務は停止され、宮廷やその周囲で仕える平民たちは家に帰された。善良な王は、危機が迫ったときこそすべての生類は自分の命を大切にするもの、そして両親や夫婦、子供と親戚と同胞は愛し合い、看護し合わなければならないと考えたからである。」

 流行病のときこそ、政府の活動を休止して家族の私的領域に任せることが、善良な王の疫病対策なのである。公権力が公衆衛生を行うなどとんでもない、というわけだ。 日本のコレラ流行時に、警察の強権を発動して患者の隔離政策、特に家族から切り離して避病院に収容する対策が民衆の呪詛するところとなったことは有名だが、その究極の反対像がここにある。