作られた「向精神薬革命」

 1950年代以降のアメリカの精神医療における向精神薬の歴史を分析した書物を読む。文献はGelman, Sheldon, Medicating Schizophrenia: A History (New Brunshwick: Rutgers University Press, 1999).

 今の仕事では向精神薬までは含めないが、インスピレーションを求めて、この書物を読んだ。何となくあまり期待せずに読み始めたが、これほど良い書物だとは知らなかった。

 誰が使い始めた言葉か知らないが、「向精神薬革命」という言葉がある。1950年のクロルプロマジンの開発によって、精神医療全体が革命的な変化を経験したという歴史理解のモデルである。このモデルの背後には、クロルプロマジンという薬が、それ以前の療法に較べて、根本的に異なった療法であり、「革命」と呼ぶに値する変化の原動力になるだけの内在的な新しさを持っていたという信念がある。それ以前に開発・発見された療法は、インシュリン昏睡や電気痙攣療法を含めて、科学的な精神医学の療法の「前史」に押し込められた。特にロボトミーは精神医学者の間で、野蛮で非倫理的な過去の遺物であるという合意が急速に形成された。

 この本の目玉の議論は、この革命が「作られた」ものであるということである。著者によれば、クロルプロマジンが現れたときには、それは患者を鎮静化するのにとても有効な「精神安定剤」(tranquilizer)の一つであった。(その商標 “Thorazine” は雷を意味する Thor から取られ、電気ショックになぞらえて名づけられていた。)クロルプロマジンが1950年代から60年代にかけてアメリカで広く使われ、その優れた効果が確かめられ、短期・長期の副作用が発見されるという通常の道を辿っている間も、クロルプロマジンは有効な精神安定剤であった。

 クロルプロマジンに神話的なステータスを与えたのは、1964年に発表されたクロルプロマジンに関する精神保健研究所の報告書であるという。1964年の報告書は、これまでにない広範かつ厳格な調査に基づいていたが、それが明らかにしたクロルプロマジンの「効果」には、それまで精神医学者が知らなかったことはなかった。それにもかかわらず、報告書はクロルプロマジンに新しいステイタスを与える。単に症状を緩和する薬品ではなくて、精神病そのものを治療する薬品(antipsychotic)である、というのだ。精神病の症状とは何か、その病的過程・病気の本質とは何かという複雑な議論が大胆に単純化されて、クロルプロマジンは、この報告書によって、「新たに付け加わった有効な精神安定剤の一つ」から「革命の担い手」に転換させられる。

 このクロルプロマジンの役割の再定義によって、精神医療が営まれる形式(精神病院から地域精神医療へ)の転換も正当化される。そして、精神医学が新しい時代に入ったという「進歩」のモデルが作り出される。そのありさまが高い水準で分析されている。このあいだ翻訳がでたヒーリィの『抗うつ薬の時代』よりも視覚が狭い恨みはあるが、思想史の丁寧な分析手法で医学テキストを読んだ、お手本のような研究書である。