パリンプセストとしての都市空間とペスト


 初期近代のヨーロッパのペストの記憶を論じた論文を読む。文献はCarmichael, Ann G., “The Last Past Plague: The Uses of Memory in Renaissance Epidemics”, Journal of the History of Medicine and Allied Sciences, 53(1998), 132-160.

 アン・カーマイケルは私が好きな歴史家の一人である。緻密なリサーチ、クリスプな事実記述、鋭い切れ味の分析。ルネッサンス期イタリアのペストを研究するにふさわしいaccomplished な雰囲気が漂う。未読山の中から私がまだ知らない彼女の論文が出てきて、それがペストと「記憶」の問題だというから喜んで読んだ。

 発想自体は単純である。ペストは16・17世紀には数十年の間隔でヨーロッパの都市を襲うようになった。すると数十年の間隔を経て以前の流行が想起される。そして、ある流行が終焉すると、それを振り返り、未来への教訓としてその都市のペスト論(流行記事と言ってもよいだろう)が書かれる。かつてペストの流行の最中にペスト予防規則が現れたのと対照的である。このように、ペスト対策とペスト流行記事に、過去に照らし合わせて現在の手段と体制を正当化し、一方で未来に現在を投射する、記憶の政治学を読み込もうというのがこの論文のカーマイケルの狙いである。

 カーマイケルらしい適切な事例も多く紹介されている。面白かったのはウディーネの街の例である。ウディーネでは1511-12年と1556年にペストを経験したが、どちらの流行でも同じ家から始まったという<事実>が作られる。そしてその家には REMINI (記憶せよ!)という銘が刻まれて20世紀まで残っていたという。「都市の風景は、ペストをめぐる規則のパリンプセストになった。記念碑と通路と丘と空間が、記憶と忘却と支配のテンプレートになって、すべての住民に読まれ、まなざされるようになったのである」-ちょっと彼女らしからぬ台詞だという気もするが、この台詞の一言一言が史実の解釈によって裏づけを与えられているのは、やはり彼女らしい。アメリカには実証史学と緻密さとポストモダンの洞察を組み合わせた歴史家たちがたくさんいる。

 画像は1630年にミラノでペストを流行させる毒を街の壁に塗っていた咎で死刑になった男の犯罪現場を記録した版画。この男たちの住居は取り壊され、その後に柱が立てられて1778年まで残っていたという。