実験室とフィールド

 昨日のJNさんのレポートで、「実験室の医学」と「フィールドの医学」という概念が使われていた。最近流行の概念である。その概念を使って、ブラジルの黄熱病コントロールを素材にして「実験室」と「フィールド」の二つのパラダイムの違いと重なりを記述した論文を読む。文献はLöwy, Ilana, “Epidemiology, Immunology, and Yellow Fever: The Rockefeller Foundation in Brazil, 1923-1939”, Journal of the History of Biology, 30(1997), 397-417.

 なんと読むのか知らないが、Ilana Löwyという歴史家の仕事は、どれもシャープで洞察に富んでいる。科学哲学・科学論と実証的な歴史研究が有意義に組み合わされている論客である。この論文もとても面白かった。素材は1920年代から30年代にかけて、ロックフェラー財団がブラジルで行った黄熱病撲滅キャンペーンにまつわる、実験室とフィールドの二つのアプローチの違い。黄熱病は人間の間だけで感染し、それゆえある程度の人口密度がある大都市にしか存在し得ないのか、それともジャングルの動物の間で常在しているのかというような、疫学的・生態学的な見解の相違などにも部分的には重なって、二つのシステムが存在した。ひとつは実験室での厳密な実験と、それを世界に適応することを目標にする「実験室のパラダイム」。もうひとつは、医療や予防的方策などを実践するために、政治・行政と結んで効果的な実施組織を作り上げ、新しいディシプリンを強制する「フィールドのパラダイム」。そして、この両者において、それぞれ異なった意味を与えられてはいるけれども、それを媒介できるような緩い意味で共有されている「境界オブジェクト」が、両者の融合を可能にしている。

 この論文で日本の疫学や公衆衛生をどのように総合的に書けばいいのか、やっとおぼろげながら見えてきた。「実験室とフィールド」という枠組みが使われているのは時々見ているが、なるほど、このように使えるのかということをこの論文は示してくれた。必読の文献である。