外科医の分布と梅毒の身体論

 必要があって、昔読んだ論文を読み返す。Pelling, Margaret, “Appearance and Reality: Barber-Surgeons, the Body and Disease”, in A.L. Beier and Roger Finlay eds., London 1500-1700: The Making of the Metropolis (London: Longman, 1986). 

 この20年間の英語圏の医学史研究は、社会史の手法を使って医学史を歴史研究の本流の中に乗せながら、医学に特有の問題を切り出してきたが、それを牽引した学者の一人がペリングである。そのペリングの仕事の中でも傑作のひとつ。その関係のシラバスなら、必ずリーディングリストに入っているだろう。

 エリザベス朝のロンドンで、外科医がどこに分布していたか - 売春が盛んであったいわゆる「悪所」の付近である。この地理的な分布は当時の外科医にとって梅毒に代表される性病が「重要」であったことを示す。この重要さというのは、収入源としてだけではなく、彼らの職業的なアイデンティティにとって重要だという意味でもある。外科医と内科医の職業的な境界を分ける人間身体の部位は皮膚であり、その皮膚に悪性の吹き出物様のもの-これはおそらく「瘡」と呼ばれたのだと思う-を作る梅毒は、外科医の職権のイメージの中枢を占めることとなった。それだけでなく、身体の表面に現れた欠陥は、当時の宮廷社会のエトスに影響された社会において、人々の関心の焦点になり、多くの風刺詩・散文のトポスになっていた。

 外科医の地理的な分布の分析から始って、身体をめぐる言説の布置まで、社会史と文化史が融合された医学史である。