人痘とイギリス海洋通商帝国

 1720年代のイギリスの海外貿易の文脈に人痘を位置づけた論文を読む。文献はStewart, Larry, “The Edge of Utility: Slaves and Smallpox in the Early Eighteenth Century”, Medical History, 29(1985), 54-70.

 1720年、マルセイユでペストが流行し、イギリスは検疫法でペストの上陸を防ごうとする。この政策を擁護した歴史小説『ペスト』をダニエル・デフォーが出版するのが1722年。ペストはイギリスには上陸しなかったが、天然痘は(なぜか)悪性化してイギリスの各地と大西洋の両側で大被害を出していた。1721年にはモンタギュー卿夫人がコンスタンチノープルから伝えた人痘が、死刑囚などで実験された後に、イギリスの王室の子供に行われ始める。ときあたかも、南海泡沫会社のバブルがはじけて経済と政治が大混乱に陥っていた。このように史実を並べると、イギリスで公衆衛生対策として人痘が導入された背景の一つが見えてくるだろう。海外貿易、海洋通商帝国である。

 そしてこの論文は極めてソリッドな形で人痘の導入期における海外貿易の関心を実証している。鍵になる人物は音楽のパトロンとして名高いチャンドス卿である。彼は勅許アフリカ会社がアフリカからアメリカに奴隷を輸送する際の、アフリカと航海中の双方における天然痘による大きな被害と損失に頭を痛めていた。病気による「積荷」の被害を食い止めるための方策を求めて、またそれ以外にも高い利益を上げる商品を探して、チャンドス卿は王立協会の科学者や医者と密接なコンタクトを取っていた。博物学的医学の大御所で大英博物館のもとになるコレクションを集めたハンス・スローンは、王室や貴族たちの侍医であり、人痘の強力な推進者でもあったが、スローンたちがチャンドス卿のアドヴァイザーになっていた。

 チャンドス卿の名前を冠した有名なレコード会社があって、私も何枚かCDを持っているが、こんな関係があったとは。しかもその論文が20年前に出版されていて知らなかったとは。いやはや、不明を恥じ入りました。