信濃川のツツガムシ


注文しておいた新潟のツツガムシ病についての研究文献が到着したので、喜んで読む。文献は蒲原宏「越後恙虫病雑記」1-3, 『日本医事新報』no.1620(1955), 2191-2194, no.1625(1955), 2745-2747, no.1671(1956), 51-53.

江戸時代を中心に、新潟あたりの古文書からツツガムシへの言及を丁寧に拾って収録した論文。中国の医学書や博物誌の記述、和漢三才図会の記述、江戸の有名な医者が刊本で記したこと、新潟の医者の手稿、郷土の知識人による随筆の中の記述、藩の行政文書、そして伝説の聞き取り。17世紀東アジアのグローバル・スタンダードハイカルチャーから、常民の暮らしの中までを自在に渉猟した、旧き良き時代の医学史の最良のかたちである。

一番気になったのは「開発原病」としてのツツガムシ病の側面である。森羅万象さんはまだレポートを出していないようだけど(笑)、経済発展に随伴して起きた病気というのは、現代の研究の焦点の一つである。アフリカの眠り病、マレーシアのゴム園のマラリア、先日取り上げた雲南省の銅山とペスト・・・ 新潟の信濃川流域のツツガムシ病もこのモデルで理解できることはほぼ確実である。この論文の中にもそれをうかがわせる記述がたくさんある。例えば1754-5年には新発田藩から派遣された普請奉行は、そのあたりは恙虫がいるから立ち入りたくないという農民の抵抗をはねつけて普請(河川沿いの新田開発だろうか?)を進めたという。また、農民たちの間では、砂州には家畜の溺死体がやすらかに眠っているのに、これを開墾するから、腐敗の気が炎熱によって発散し、家畜の「怒」の気が毒虫と化したという「川洲の開墾に対するレジスタンス」(蒲原の表現である)の伝説が生じたという。

懺悔を一つ。蒲原によれば、「つつがむし」の「つつが」というのは、もとはといえば病気を表す「つつみ」という万葉時代の表現が転じて「つつが」になったそうである。だから「つつがなく」という表現は、病に罹らずにという意味であり、「ツツガムシに刺されることなく」という語源だと解するのは、「いみじき僻ごと」だと本居宣長が糾弾しているそうである。 ・・・はい、私は「いみじき僻ごと」を信じていただけでなく、もしかしたら授業でも口走っていたかもしれません。お許しください、懺悔します(笑)。

 地図は1947年のツツガムシ病の分布を示したもの。