コレラと木賃宿

 コレラの論文の準備が続く。ちょっと気になったことがあって、横山源之助『日本の下層社会』(東京:岩波文庫、1949)をチェックする。

 都市の非定住労働者と疫病の関係に最近注目している。いくつかの感染症のアウトブレイクは、現実に都市の非定住民と関係があったし、あるいは彼らが引き起こしたものとして問題化された。1914年に東京で発疹チフスの流行がある。発疹チフスは東京ではとても珍しい病気だが、このアウトブレイクは、病気の常在地だった東北地方からの出稼ぎ労働者を宿泊させる簡易宿泊施設と大きな関係があった。初期近代のヨーロッパのペスト対策も浮浪者への対策とワンセットで語られていたことは、つとに指摘されている。コレラも、巨大な流行を経て対策も一通り落ち着いてきた明治30年代になると、木賃宿から木賃宿へ渡り歩く貧民が広めるという、どこまで本当か分からないイメージが現れる。当時発見された「保菌者」(キャリアー)の概念も、都市の非定住民に感染症の流行の「責任」を負わせるなかで有力な仕掛けになっていく。

 そんなわけで、横山源之助の古典に何か木賃宿のことが書いていないかしらと思ったら、案の定、大きな扱いを受けている。横山や東京の下層社会というと、三大貧民窟の記述が有名だけれども、横山は木賃宿も同じくらい問題視している。一戸を構えることができない細民にとって、簡易な一種の住居を提供する木賃宿は、不定期な労働者、あるいは半ば浮浪者化している貧民が多く住むところであった。東京全体には145の公式に登録された木賃宿があり、一日に約430人の人間を泊めている。この数字は警視庁が把握している数で、実際はもっと多いだろう。この木賃宿の半分以上は本所区に、二割以上が浅草区にあり、この二つの区で木賃宿の3/4を占めているという。この二つの区のコレラの発生が、一つの鍵になる。