昭和の細民と低湿地の水利

 コレラ論文の準備のついでに、少し新しい東京の貧民窟はどんな風に書いてあるのかを見ようかと思って、手元の「東京本」に目を通す。文献は今和次郎『新版大東京案内』上・下(東京:ちくま学芸文庫、2001)

 昭和4年に出版された書物。関東大震災からの復興が整った<大東京>について、官庁街やオフィス街の豪華、細民街の悲惨、軽薄な流行、渦巻く欲望、壮大な野心、そして一番描くのが難しい小市民的安寧。戦前の東京に生活している人々のさまざまな息吹や思いが感じられる、カレイドスコープになっている。その貧民街の衛生について今は面白いことを書いている。今によれば、貧民街が低湿地にあることが貧民街の死亡率が高い大きな原因である。

 昭和期の東京はすさまじい衛生格差社会だった。区名でいっても、当時の麹町区の乳児死亡率は92.0、浅草区では172.9.細かい地区別に見ると、さらに大きな差が出てくるだろう。 貧民街は低地にして湿りのある土地、窪地、河川や海辺の埋立地などに形成される。こういった土地に安普請の劣悪な長屋が作られ、水道も引かれないから、飲料・生活用水は井戸水になる。しかし例えば海辺を埋め立てて作ったりした低湿地の井戸に良い水が出るわけがない。 雨水は流れ込む、汚水は流れ込む、場合によっては糞尿水まで染みとおるような井戸ばかりである。 井戸は相当にあっても、飲めるような水の出るものはどこでも一二箇所しかないので、一つの井戸を三十戸四十戸で使用しているようなありさまになる。管理が悪く、数も少ない井戸が集中的に利用されるので、いったん水系感染症が侵入すると爆発的な流行が見られる。細民が不潔だとか無知だとか言うのではなく、水の入手形態に着目するあたり、非常に洗練されている。 衛生工学者にして歴史研究もよくする小野芳朗さんの京都の水利の研究(『水の環境史:京の名水はなぜ失われたか』PHP出版、2001.)と同じ視点である。 東京府全体としてみたときに、この時期は衛生状態が改善する時期だと思うけど、それは水利の条件が比較的良い高燥な地域(武蔵野台地など)に東京が拡大していったことと関係があるのだろう。