道徳と健康

コレラの準備のために、10年ほど前にでた「道徳と健康」の論文集を読む。文献は、Brandt, Allan M. and Raul Rozin eds., Morality and Health (New York: Routledge, 1997). 教科書的に使われることを想定したのか、どれも専門家でなくても読みやすく書かれている。ブラントをはじめ、キース・トマス、チャールズ・ローゼンバーグ、 ナンシー・トウムズといった大家が平易だが読み応えがある論文を書いている。それ以外にも、食事制限や喫煙などについて、時間があったら読みたい論文が目白押し。

 しばらく前に Dnaisuke さんが素晴らしい記事を書いていて、それを読んで考えたことを。 Dnaisuke さんの記事はこちら


 医学というのは独特な難しさをもつ営みである。科学として価値中立的であることが期待されている一方で、病気にならずに健康を保つ方法というのは、同時に道徳的であることも期待されている。「正しい」生活を送っていれば病気にならないような世界であってほしいという人間の欲求は根強い。「成人病」を「生活習慣病」と言い換えた厚生省の政策も、たぶんその欲求を助長しているのだろう。(前者の名称は成人の「宿命」としての疾病を、後者は悪しき習慣が「引きおこす」疾病を連想させる。成人であることも、悪しき習慣も、どちらも危険因子なのだろうけど。)「何も悪いことをしていない私が、なぜこの病気にかからなければならないの?」という問いは、科学的には意味をなさないかもしれないが、倫理学の根底にふれる問題である。『トスカ』の女主人公が歌う「私はこんなに清く敬虔な人生を送ってきたのに、なぜこんな目に会うの?」というアリアが、安易なセンチメンタリズムだと承知しながらなお私たちの紅涙を絞ることは、疾病は人間の道徳律に合わせて振舞ってくれないという厳然たる事実と、深い関係がある。 Dnaisuke さんの記事は、疾病のメカニズムを研究している研究者が、道徳の世界で生きなければならない患者と臨床医の双方に接しなければならない時の引き裂かれるような苦悩を描いている。この論文集を読んで、そんなことが頭をよぎりましたので、それを記事にしました。